翌日、紫は、俺と杏を八雲家へ招いた。

帰ってきたという方が正しいかもしれないけれど、今の俺にとっては、「招かれた」という言葉がよくあっている。



いつも通りの温かい八雲家とは違ってみえていたのだ。

「・・・神無、どうするか・・・決めた?」

紫は正座して、居間で俺と杏を真剣な眼差しで見つめている。

「・・・俺は・・・」

空気が重くて、少しの沈黙でさえ耐えられない。

これでいいんだ。

これが、俺の結論だから・・・きっと、俺の運命なんだよ。

「現実世界に帰るよ」

「お兄ちゃん・・・!」

杏は不安が消え去った笑顔を見せてくれる。


「そう・・・。神無が導き出した答えは、そうなのね」

「うん・・」

昨日の夜、俺は結局眠れずに悩んでいた。


杏は、たった一人の妹で、たった一人の家族なんだ。

家族と共に寄り添うことが・・・正しい判断ではないかと。

杏を一人で現実世界に行かせることはできない。

「・・・二人共、よく聞いて、現実世界へ一歩足を踏み入れたら、幻想郷での記憶はなくなり、都合の良いように補正されるわ」

それが、杏の行方不明という感じか。

「あなた達二人は、あっちの世界で生きると決めたのだから・・・当然のことだと思ってちょうだい」


「わかった・・・」

「ありがとう、紫さん!・・・やっと、現実世界に帰れるんだ」

「学校や家・・・身の周りにことはあたしが手配したから安心して、あっちの世界へ行っても大丈夫なように」

紫は・・・昨日からそうだけど。

なぜか、俺を突き飛ばしているように聞こえる。

杏の疑問に対しても、紫はすんなりと答えてしまった。

――――「じゃあ、お兄ちゃん・・・一緒に現実世界へ落すこともできますか?」
――「できるわよ」




それがなんだか、悲しく思えて、このまま別れてしまうなんて・・・嫌になってきそうだった。

だって・・・紫は俺を救ってくれた恩人でもあるんだ。

その恩人に突き飛ばされた。

心に黒い釘を打たれてしまった感じがする。

「・・・」

「どうしたの、お兄ちゃん・・・?」

「えっ、いや、何でもない・・・」

このままここに居続けたら、心境が変わってしまう気がした。

「紫、本当にありがとう・・・。色々お世話になったよ」

「えぇ、神無も・・・元気でね」

まるで、機械としゃべってるようだ。

本当なら命の恩人との永遠の別れなのに。

涙が零れてこないのは、どうしてだろうか…。

「外に扉を開いているから、二人のタイミングで行っていいわ」

・・・。

バッグの中身を確認して・・・。

「・・・じゃあ、行こうか」

「・・・うん!」

俺達は立ち上がって、八雲家の玄関を開いた。

外には、普通の風景にはありえない、大きな隙間が出来ていた。

まるで、ブラックホールのようだ。

「いこっ、お兄ちゃん!新生活の始まりだね」

「…おぅ」


持っていたバッグを握り締めて、俺達は幻想郷と現実世界の間を向かう

そう、幻想郷とはもうお別れなんだ・・・よな・・・。

ここを通れば記憶も消されてしまい、今まで接してきたみんなともお別れに、なるんだ…。


---------その時


「待って・・・神無!!」

「橙、だめ!!」

橙と藍の声が背後で聞こえた。

俺は振り向かない。

純粋無垢な橙の一言で、涙腺が千切れそうになるのをなんとか力んで抑える。

「・・・く」

「橙、神無は現実の世界へ行くって決めたんだよ・・・」

「藍様・・・藍様は神無が行ってしまって、悲しくないんですか!?」

「悲しいよ・・・悲しいに決まってる・・・でも・・・家族と一緒にいたいと思うのは・・・どの生物でも同じなんだよ」


「でしたら・・・橙も神無の家族です!!!」

「っ・・・」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
-東方神無幻想記 - 最終話 幻想郷の住人達ー




なんとか堪えようと握り締めていた拳で、今は目を押さえている。

「血の繋がった家族でないと、だめなんだよ・・・きっと・・・」

藍は、橙にはまだ早い、残酷なことを言った。

でも、藍は俺のことを思って言ってくれている。

俺が、悲しまないように・・・と。

「血が繋がっていなくても・・・!!橙は神無と別の、確かなモノで繋がっていると信じています!!藍様だって、紫様だってそうじゃないんですか!?」

「橙・・・」

藍は驚いた声を出す。

こんな大きな声をだす橙は、俺も今まで見たことがなかった。

「神無は・・・橙を、人食い妖怪から、自分の身を呈して守ってくれました・・・。その時の温かさやぬくもりは今でも忘れません・・・それが、もう感じられなくなるのは・・・橙は・・・橙は嫌です!!」

振り向いたら、俺はもう、その一歩を踏み出せない気がした。

「バカヤロウ!!」



すると、女性の怒号が響いた。

八雲家の三人とは、違った声。

久しぶりに聞いた声。


「人に挨拶もなしに現実世界に行くとは、いい度胸してんじゃねーか」

ここにいるはずのない、声が聞こえる。

そう・・・この声は、俺を人食い妖怪から救ってくれた・・・妹紅の声だ。

「まぁ、挨拶に来ても、あたしはお前を全力で阻止させてもらう」

妹紅も、俺を止めようとしている意思を見せる。

「だってさ・・・神無言ったじゃねーか!!あたしが危ない時は手を差し伸べるって、お前が生きている間、あたしとどれくらいしゃべれるかな・・・って」

記憶の湖が揺れて、妹紅と交わした約束を思い出させる。

「お前にとっては、小さな、些細な約束かもしれないけど・・・あたしはとっても嬉しかったんだ!!」

妹紅はそう言い放つ。

「私は、神無には行ってほしくない・・・」


妹紅がそう、最後に自分の意思をはっきりさせる。

あの妹紅が、「私」と自分を指した、弱い部分を見せてくれた。

続いて、凛とした、冷静な声が聞こえる。

「私は嫌われ者のネズミなのに、神無はそんなこと気にしないで接してくれたんだ・・・私はそれが嬉しくて、嬉しくて・・・」



「降りてくるのが嫌だった幻想郷も、楽しくなってきた。それは、神無がこの地に存在するからだ・・・」


「神無には行って欲しくないんだ!!・・・唯一の、大切な友人よ」


と、高く叫ぶナズーリンの声が耳に届くと、俺の涙腺は破壊されてしまった。

「・・・うっ」

「私も・・・神無さんに救われました。ひどい嵐の中、足を滑らせて負傷した私を、神無さんは負ぶって集落まで運んでくれました」


また、ここにいるはずのない声が聞こえる。

「人間は、魔物や妖怪のように強い力を持っていないはずなのに、神無さんは自分の足で私を救ってくれました・・・」

その声は椛のものだった。

妖怪の山で、パチュリーの援護のもと行った救出。

「その事実を聞いた後、私は、いっぱいいっぱい、涙を流しました・・・。私よりも遥かに儚い存在のはずなのに、自分の身をかえりみず救い出してくれた・・・その優しさがとても嬉しくて・・・!」



「神無さんがこの幻想郷を去ってしまうのは、私、耐えられません・・・心優しい神無さんは、この幻想郷に必要なんです!!」

涙声が混じった叫びが聞こえる。

「お兄ちゃん・・・」

「うっ・・・」

俺はすでに大粒の涙を溜めていた。

「あたしは最初、神無を殺そうとしてしまったのに、神無はそれでも何度も接してくれた、話掛けてくれた・・・その日から、神無の声だけが確かなものに思えたの・・・」

振り向いたら・・・振り向いたら・・・もう・・・。


「闇の中、神無を殺してしまいそうだった・・・それでも、神無は闇を振り切って、あたしを抱きしめてくれた。人の優しさを教えてくれた・・・」


「また会いに来てねって約束も、したよね…?」

こいしの声は、脳へ浸透すると同時に記憶という映像を揺らした。

「あたしも、神無には行って欲しくない!!大切な、あたしの大切な人だから・・・!!」



「ずっとずっと独りだった私を救い出してくれたのは神無なんだから・・・これからも、ずっと傍にいてよ・・・」

「私は・・・!神無の笑顔さえ見られれば、それでいいの・・・神無の姿さえ見られれば・・・それでいいから・・・行かないで、行かないでよ・・・」

泣きそうなフランの声が聞こえる。


「白鳥さん、約束しましたよね・・・?私が現実世界へと向かうとき、一緒に行ってくれるって・・・!きちんと、この胸の中に、今でも鮮明に覚えてます・・・」

早苗の声が聞こえた。

「現実世界で私の居場所はもう・・・神無さんしかないんです。・・・だから、行かないで下さい!!」

あの時交わした約束。


「神無さん、あなたには大きな迷いが生じています・・・ですが、目を背けないで下さい、きちんと、受け止めてください」

さとりの声が聞こえた。

「そして・・・私も、みなさんと同じ意見です…!!こいしを救ってくれて、まだ十分なお礼も返せていないのに行ってしまうのは、悲しすぎるじゃないですか…」」

心を読んだのか、さとりはきちんと俺の心情をついてきた。

「目を・・・背けないで・・・」

涙は頬を伝って、手の平へと落ちる。

「白鳥さんは私の友人を救ってくれた、大切な方・・・。そんな方が消えてしまうなんて、私・・・行ってほしくないです!!白鳥さん!!」

と、文が言う。

「白鳥君・・・僕は君みたいな常識人が消えてしまうのは・・・いただけない」

幻想郷には珍しい、男性の声が届く。

「君にはまだまだ与えてもらっていない知識が多くあるはずだ・・・頼むから行かないで欲しい」

そう、霖之助さんだ。

「あの時、言わなかったけど・・・。私は行ってほしくないわ・・・あなたと話しているときは、なんだか楽しくて・・・・」

「私が見てきたこの幻想郷を、あなたは以前とは違って、とても楽しく、優しくしてくれた。そんなあなたの話を、聞きたいの…もっともっと、話していたいの!!」

とパチュリー。

「私も・・・そう、みんな言ってると思うけど・・・あなたはこの幻想郷に必要よ、行かないで欲しい!!大切な友人だから・・・!」


アリス。



「ナズーリンも言っていた通り、私も同じです。揺らぐことはありません。大切なナズーリンを救ってくれた、私にとっても大切なお方」

少し抜けている、彼女の声が聞こえた。

「ナズーリンを救え出せたのは神無さんだからです、ナズーリンの大切な友人であり、恩人であり、私の友人である神無さんは本当に大切な存在なんです!!」


星が珍しく、大きな声で叫んでいた。

「昨日のさよならは・・そういう意味だったんですか神無さん!!・・・私も・・・私も・・・!行ってほしくありません、神無さんとはまだまだ話したいことがいっぱいあるのに!」


ミスティアもみんなと同じような意思を見せる。

「私が神無さんを襲おうとした時、あなたは襲おうとした私の命まで救ってくれた、とても心の優しいお方、そして私の大切なお方…。接し続けたいと思えど、手放そうなんて、私にはできません…!」

泣き声を入った、ミスティアの懸命な叫びが聞こえる。

「あたいに相談したのは・・・そういうことだったんだ」

昨日、相談にのってもらったチルノの声が聞こえた。

「あたいも・・・みんなが言うように・・・あんたが消えてしまう姿見てるとのは、変な気分になるんだ。あんたには行って欲しくないよ…」

「これからも、あたいと一緒に、つるんでほしい」



「杏・・・あたしも、あなたには行ってほしくないわ。あなたは大切なあたしのメイドなのよ!」

レミリア。

「白鳥さん、戻ってきてくれませんか」

咲夜。

「神無さんに杏さん!戻ってきてください!!」

美鈴。


「・・・私は現実世界へ行きたいんです。平和に・・・生きて行きたいんです!」

俺は俯いて、振り向くことができない。

手と足は微かに震えている

「神無!・・・神が言うから本当だよ?よーく聞いて!この地に、あなたは必要だよ!!だから、戻ってきて、ね…?」

「あたしからも言わせて貰うぞ、お前は必要だ」

諏訪子と神奈子。

「あたいの大切な人を救ってもらったんだ…。まだこれっぽっちも返せていないのに去ってしまうなんて、あたいは嫌っ!!」

「あたしもそう、あたしは馬鹿だけどこれだけはわかるよ…神無には行って欲しくないって…」

空とお燐の願いが響いてくる。

「・・・神無を悲しませてしまうから、言わないでおこうと思ったんだ・・・けど・・・・私だって、神無に料理、まだ全然教えてもらってないんだから・・・構ってもらってないんだから!行ってほしくないに決まっているじゃないか!!神無は大切な、家族なんだ。」


藍が静かに、俺に届くように呟く。

それからも、俺が出会って来た妖怪達の声がそれぞれ飛び交う。


「「神無!!」」



「神無、これでわかったはずよ」

あっ・・・。

はっきりと届く、あの日、俺を救ってくれた声。


紫の声が聞こえた。

「あなたにはこんなにも大切な友人がいるの。とても強い絆で結ばれた・・・ね」



紫はそれから何もしゃべらなかった。

沈黙が訪れる。

「・・・お兄ちゃん、とってもつらそうな顔してる」

「・・・ごめん」

「ううん、お兄ちゃん。もういいよ。そんなつらそうな顔してるお兄ちゃん・・・私、見たくないから」

涙は拭いても拭いても、後から後から滴ってくる。


そんな中で、俺は杏の顔を見る。

「お兄ちゃんの意思も聞かずに・・・現実世界へ連れて行くなんて勝手よね・・・。今更だけど、気付かされた」

「杏・・・?」



何か、吹っ切れたような顔をして、杏は涙を流した。

「お兄ちゃん、ここに残りなよ!私は・・・大丈夫だから」

「で、でも・・・杏、一人で・・・」

「私、お兄ちゃんのこと昨日ずっと見てたの・・・そしたら、みんなお兄ちゃんに寄り添ってきて、みんなとっても幸せそうな顔してた」

杏は俺の気付かないところで、俺を見ていたんだ。

「大丈夫だって、私はあの紅魔館でメイドをしてたんだから・・・ね?」



「杏・・・ごめんな、ごめん・・・・」

俺は俯いて、落ちてくる涙を手の平で救った。

最後まで、かっこ悪い兄だな・・・俺。

でも、ありがとう、杏。





「俺・・・この世界に大切なモノ作り過ぎたよ」


この涙は、きっと・・・俺と、俺を信じてくれる友人との物語が詰まったものなんだ。


「お兄ちゃん」



「私達は死に別れたわけじゃないの。会いたいと思えば、きっと会えるから」



「私達は、いつまでも、家族だよ?」


杏は、涙を流しながら笑顔を見せた。

「あたりまえだろ?・・・」

二人は頷いて、強く抱きしめた。


「お兄ちゃん・・・またね」

杏は「またね」と言った。

それは、また会おうということ、この先もきっと、杏と再会できるのは不可能ではないという希望の現われなんだ。



杏はそう言うと、俺から離れて、その大きな隙間へと消えていった。

それは、幻想郷と現実の境目、現実と異世界の切れ目。


でも、杏はいつまでも俺の妹で、家族だ。

その事実はきっと切れない、消えない。

「これで・・・あなたがどっちの世界に住人になるか、正式に決まったわね」

俺を突き飛ばしたような態度をとったのも、紫はためしていたんだ。

幻想郷と現実、どちらの住人になるかを・・・ね。

それを、俺の判断に紫は委ねた。

だけど、こんなに集まってしまったら、行けるはずないじゃないか・・・。

大切な友人が集まってしまったら・・・さ。



背筋を伸ばして、持っていたバッグをまた握り締める。



そして・・・。


俺を信じてくれる人達の元へ振り返ると・・・。


みんなは俺の元へ走り出した。

「「神無っ!!」」

「ただいま・・・みんな!」

抱きついたり、小突いたり、撫でられたりしながら、俺は正式に幻想郷の住人になったのだ。


そして、まるで幻想郷へ戻ってきた俺を祝ってくれるように


隣には、あの時咲いていなかった、満開の桜が咲いていた。















END