どれぐらい時間が経ったのだろうか。

腕時計が入ったままのバッグは八雲家においてきてしまって、正確な時間帯がわからない。

あの時、バッグを持ってきていれば…そう後悔している。

いや、というより突然落とされてしまったんだよ!

というか、時計あっても帰ることができなければ意味ないよ!



カラスの不気味な鳴き声が、夕暮れの空に響いていた。

空はオレンジ色に輝いているのに、森の中は暗い。

太陽はもう沈んでしまうかも。


橙はしゅーんと耳と尻尾を垂らしている。

「ごめんなさい、神無…橙が道に迷わなければ…」

「気にすんなって、そんな事より、これからどうするかを考えよう」

頭を撫でてそう橙を励ますものの、俺が幻想郷を歩いたことなんて今日が初めてだし、土地勘なんてものは、元々持っていない。

「橙、寒くないかい?」

「大丈夫…」

春浅いこの日、夜は冷えるものだ。

「体が震えているよ。ほら、俺の上着貸すから」

上着といっても、制服のブレザーだし、橙には大きいようだ。

「あ、ありがとう!神無!」

体にあっていないブレザーを着込んで、橙は笑みをこぼしてくれた。

よし、元気が出たようだ。

「じゃあ、行こうか、きっと抜けられるさ」

手を決して離さないように、強く握る。

俺も、元気を貰えたかもな。

「紅魔館へ案内しようと思ったのぃ・・・」

「そっか」

「吸血鬼の姉妹が住んでるの」

「…」

最後のはあまり聞きたくなかった。





しかし、あまりこんな気味の悪いところ、夜が訪れる前には抜け出したい。

だけど、進むたびに深くなっている気がする。

「こんな危険な状況なのに、紫は隙間を使ってくれないのかなぁ…」

橙も同意見だと頷く。

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一方、紫といえば


「ぐがぁぁぁ…」

すぐ目の前にある隙間を使えば、神無達の危機も簡単に抜け出せるはずなのに。

本人は熟睡中であり、その式神である藍と言えば…。

「あ、なるほど、ここはこの公式を使って…」

今朝と変わらず、数学の教科書に集中していた。
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「もしかして、俺達を試していたりするのかなぁ~」

森の中を歩きながら、そんなことに思考を凝らしている。

「試す?」

「そうそう、一人前にやっていけるかって、妖怪なりの試験とかじゃないの?」

「それは、ないと思うよぉ…」

が、橙の一言で無意味になる。

「そっか、じゃあ思いつくといえば、ぐーすか寝てそうだな」

だって、仕事やってないし、隙間使えば全てできるし。

ニートだし。

「藍様ぁ…」

しっかりしている位置にいる藍でさえ、あんな感じだったものな。

更に闇が深くなってきた気がする、さすがの俺も不安が抑えきれない。

「な、なぁ……日本の昔話にはさ、人間を食べる妖怪とかいるんだけど…。昼の住人達の様子からして、そんなの、ないよね?」

その不安は、更に不安を掻き立てるようなことを聞いていた。

「…言いにくいけど、いる…」

「うぇ!?でも、橙は大丈夫だよな?」

「う、うーん、多分…」

俺は良いとして、とりあえず橙の安全だけは…。

んっ?。

「橙…これはなんだ?」

歩くのをやめて、周囲を見渡すが…。

耳や、脳を奥から聞こえてくる、奇妙な音。

その原因は見つからない。

「ど、どうしたの?神無?」

「え、…この変な音が聞こえないのか」

俺だけ?

「う、うん…」

…やはり、人間を食う妖怪の仕業か。

橙にだけは危害を加えてほしくない。

「耳を塞いでも、内側から少しずつ音が大きくなってくる…。気持ち悪い…」

突然、吐き気が全身を襲った。

「神無!?、たたたた大変、どどどどどうしよぉ」

橙はあたふたと慌て始める。

「橙…大丈夫だ、そんなに慌てるなって…」

そのかわりに、橙の頭を撫でる。

「…いきなり、闇が深く…なっている気がする…。橙、手を繋いで、いてくれ…」

今ほどけてしまえば、もう握ることができないような、そんな恐怖感が襲った。

「わかった…」

きゅっと更に強く手を握ると同時に、膝を、地につけてしまう。

「離れたら…だめだから…な」

もうしゃべることすら苦痛である中、精一杯言葉を繋ぐ。

「は、はい」

橙は後ろを、俺は前を見た。ような気がする。

方向すらもうわからないけど、大体の感覚である。

「闇が深い…人間の俺じゃダメダ…橙、見えるか…?」

「うん、大丈夫、橙も見張ってるから…」

忙しく視界を変えていても、見えないものは見えなかった。

橙に任せるしかない……。

この奇妙な音が、次第に何者かの歌声に変わってきてしまってから、嘔吐感とともに視界が段々狭くなってきている。

闇に視覚を奪われ、奇妙な歌声に聴覚を奪われてしまった。


「来る…神無こっちへ」

左へと、体が引っ張られる感触がしてすぐ、横何者かが通り過ぎた。

これは橙が動いて、助けてくれたのか…?

橙…。


俺を引っ張ったその手は、ずっと、ずっと震えている。

小刻みに震えている…。



俺を守ろうと、頑張っている、橙の手。

それだけで、俺はもう十分…。

貰った気がした。

「橙…すまない」

「えっ…?」

感覚だけだが、俺は橙をかばっている状態…だと思う。

「怖いん…だろ?無理しないで…いい」

「でも、神無が…っ」

「こうすれば……橙に、被害はない…」

「で、でも!!神無はどうするの!?」

ごめん、もう、何を言っているのか聞こえないんだ。

「大丈夫、俺はこんなことしかできないけど、絶対、橙は守ってみせるさ・・・」

「う、神無ぁ…」

「ふんっ…しんみり…としたのは…もうこりごりだ」

闇の中で、何かが動いた気がして、俺は更に腕の力を強めたその時。

熱いものが横を通り過ぎていった。

妖怪、俺を食いに来たのか、そう思った時、爆発音を耳にした。

聴覚を奪われた俺に、音が戻ってきた。

手の中には、涙でくしゃくしゃに顔を濡らして、ピクリともしない、橙の姿があった。

「そんな、橙っ…」

心臓の音は、確かに聞こえることに気がついた。