皆様にお知らせがあります。


その前に、前回のつづきとして。


前回に私は、自己という存在は論理的必然性を伴うものだ、と言いました。


これは、平たく言い換えれば、自然の法則が人間の内面にまで行き渡っていて、普段私たちはその法則によって各々行動を決定している、すなわち、個々人はそれぞれの設計図に基づいてつくられている、ということです。


私たちの生活の場面を例に挙げてみましょう。


例えば、あなたは翌日会社が休みで、前の晩は遅くまで起きていたとします。


次の日の朝はゆっくり寝ているかもしれません。


ところが、不意に友人と会う約束を思い出し、慌てて布団から飛び起きた…


この流れのなかで、果たして全ての要素が偶然に発生し、その結果あなたは偶然に行動をとったと言えるでしょうか。


もしかすると、あらゆる要素が確実にそうなるべくしてそうなって、その結果ある種必然的に夜更かしをせざるをえなかったとしたら。。。


意識と無意識の枠を超えて、論理的な流れがひとを然るべき行動へと導いてゆく。


人と人、運命と運命の交錯は、さながら網の目を彷彿とさせる。


どんなひとにも、そのひとだけの生きてきた歴史があります。


そしてそれにつづく未来もなくてはなりません。


天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言へり、とは有名な学問のすすめの冒頭部分ですが、この言説は誠に至言と言えましょう。


平等は何をもって平等とするのか。


そこに答えがあるとするならば、それは「出逢い」なのではないでしょうか。


目には見えない引力と思考という名の重力が相まって、「出逢い」が起きるのだと私は思うのです。






と、ここでお知らせです。すまいる


この「パウロのブログ」も三ヶ月余りが過ぎ、まだまだこれからという時なのですが、ほんの少し、お休みの期間を設けたいと思っております。


と言うのも、勉学の方が忙しく、ブログに時間を割き難い現状がございます。


申し訳ありませんが、僅かの充電期間を経て、必ず皆様方のもとへ戻って参りますゆえ、どうかご理解いただきますようお願い申し上げます。



2008年9月25日   パウロ