ある程度まで自分の考えはまとまっていたのですが、どうも情報収集しているうちにそれが二番煎じで、特に真新しいものではない、ということを知りました。
したがってここに挙げるのは、あくまでも一般論に過ぎませんが、参考にしていただければ、と思います。
端的に言って、私の死刑に反対…までいかなくても無い方がより良いとするのは、罪を犯した者にも改心更正の余地が残されている為です。
この考えは、「汝の敵を愛せ」というキリスト教的価値観に基づいていますが、「神は死んだ」とするニーチェの言葉の通り、もはや現代社会において宗教はその効力を持ち得ないのではないでしょうか。
◇そもそもなぜ、死刑存廃問題が話題にならないのか。
理由はいたってシンプルで、第一には、司法が民間にまで浸透していないという点が挙げられます。
知識がないため司法についてよく分からない。
よく分からないから皆で議論をしようとしない。
議論をしないから本質がみえてこない、という流れです。
第二には、依然として死刑存置肯定派が過半数を占めているためです。
日本は民主主義国家ですから、大多数の意見が尊重されます。
伝統を守ろうとする保守的な趨勢の中で、異質な反対意見は危険因子として抑圧される傾向にあるわけです。
そして第三には、死刑制度云々なんぞは結局のところ他人事で、自分には関係のないこと、という風に捉えがちだからです。
しかし、他人のあらゆる問題を見て見ぬふりをせず、常に自らの問題として捉えることで、人は成長していくものですから、全く関係ないということはなく、むしろそこに拠り所を求めることによって逆に自分自身を振り返って見つめることができるのだと思うのです。
◇存置否定派の代表的意見
問題が起きた際には、根本にまで遡り、原因を究明しなければなりません。
犯罪者は生まれながらにして犯罪者だったわけではなく、ただそういう傾向があったというだけであり、犯罪者を育て上げてしまう社会のシステムを見直さない限り、同じことの繰り返しとなってしまうでしょう。
暴力に対して、他ならぬ国家権力の下で正義の鉄槌を下すこと自体に疑問を覚えます。
寛容になって暴力の連鎖を断ち切る必要があるのではないでしょうか。
そして、死刑は必要悪などではなく、死刑が直接に犯罪の抑止につながるわけではありません。
それはマクロの視座で見れば、核を保有したところで世界から戦争がなくなるわけではない、という解釈もできなくはありません。
◇結論
罪を犯す者には、心に何かしらの障害があります。
重大事件が発生したらまず、私たちは被害者の心情を優先して考えます。
それは、当然正しいことだと思います。
ですが、加害者の立場を無視することはできません。
人は何の理由もなしに事を起こすわけではありません。
「心の喪失」と私は呼んでいます。
自由を失い、心にぽっかり穴が開き、虚無感に耐え切れなくなった結果、やり場の無くなった矛先は社会へと向けられるのです。
そういう意味では、彼らもある種の被害者なわけです。
彼らの心の病をケアしつつ、事件の重大性を認識させるような社会システムを周囲の人々が協力して構築していくことこそが、これからの急務になるであろうと私は考えます。
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