何か事件が起こったらまず、問題原因を追究するように、浸透力あるバリアフリーの関係を築くためには、一度その本質まで遡って考える必要があるように思います。
美辞麗句を言い連ね、社交辞令で体裁を取り繕うだけでは、本当の意味で相手のことを理解できないし、うわべだけの付き合いは結局長続きしません。
一度世界に放り出され翼を得た私たちは、自由に色つきメガネでものを見てしまいます。
その時に邪魔をしてくるノイズは、どこから生じるのでしょうか。
人というのはどうも、変化を楽しむ性質があるようでして、既存の、言わば出来合いのパターンには辟易してしまうようです。
なるほど、私たちには「共通感覚」というのもが備わっているんですね。
この共通感覚とはつまり、普遍的な美的価値判断には大差はない、ということです。
物事を判断する根底は同じで、その上で多様な考え方、価値観が生み出されるわけです。
したがって、人間関係においては、そもそもの力点さえ誤らなければ、期待通りの作用が得られることになります。
交友を求める際に、しかしながら、「周りを見たって、たくさん人がいるんだから、別にあなたじゃなくても構わない」となれば、これは明らかにベクトルにズレがあります。
その人の求めるところが異なってくれば、当然彼(彼女)は篩にかけられるでしょう。
ここで、改めて共通感覚の概念を持ち出してくる必要があるのです。