「 常識とは、大人になるまでに身につけた偏見のことである」
これは、アインシュタインの言葉ですが、この偏見とは実に厄介なものです。
偏見が仮に常識と同義ならば、私たちにとってなくてはならないものでしょう。
しかし、偏見も度が過ぎればいじめや人種問題に発展しかねません。
ところで、人と動物の違いはどこにあるのでしょうか。
DNAの塩基配列をみてもほんの?数%の差しかありませんし、
動物や虫たちの知恵から、私たちは多くのヒントを得ていますから、
(例えば、ミツバチの巣のハニカム構造など)知力の面で勝っている
とは言いがたいのが実情です。
ではもし、そもそも、本質的に大した違いがないとしたらどうでしょうか。
逸る利己主義を抑えきれずに、ただ目に見えるものだけを盲信するのは愚の骨頂というものです。
精神世界の探求を怠り、ありもしない幻想に踊らされているのは、私たち自身なのです。
宗教的対立、ユダヤ人の迫害、不条理な移民の待遇にもその根底には、
差異を差異として受け止められないことに端を発しているのです。
総括すると…
違いはあって良い。
しかし、それをそのまま優劣に置き換えてはならない。
ということになります。