カレンダー「道を拓いた女性たち」2024年5月はゾラ・ニール・ハーストンです | いいかげんにっき

カレンダー「道を拓いた女性たち」2024年5月はゾラ・ニール・ハーストンです

 カレンダー「道を拓いた女性たち」2024年5月はゾラ・ニール・ハーストン(1891 –1960)です。やはりはじめて知った女性です。「アメリカ合衆国の作家で民俗学者」との副題がついています。このカレンダーシリーズ「道を拓いた女性たち」において、ときに登場するアメリカ合衆国における黒人差別について改めて学ぶことができます。

 

 

以下翻訳です。

 

カレンダー 道を拓いた女性たち 2024年5月

Zora Neale Hurston (1891 –1960)

 

 人類学者、民俗学者および作家であるゾラ・ニール・ハーストンは世界に深い足跡を残した。かの女は奴隷制終焉後まもない時期、1890年代にフロリダ州のイートンヴィレで育った。イートンヴィレはアメリカ合衆国における初の黒人だけが居住する村であった。1920年代において、かの女はハーレム・ルネサンス運動の指導的活動家の1人であると見なされた。その運動はアフロアメリカ人著述家および画家たちの社会・文化・芸術運動であった。ゾラは1891年1月7日にアラバマ州のノタスルガで、伝統を重んじるアフロアメリカ人家庭において誕生した。かの女の父親がイートンヴィレで牧師としての地位を得たとき、ゾラは3歳だった。1897年に父親はイートンヴィレの市長になった。1904年の母親の死によって、かの女の人生は劇的に変わった。厳格な父親はなんと母親が死んだ年に、ゾラを寄宿学校に通わせるためにジャクソンヴィレに送り、20歳のマティ・モゲと再婚した。マティ・モゲとゾラは理解し合うことはなかった。すぐに父親は授業料を支払わなくなった。それゆえゾラは1917年からウエイトレスや家政婦として働いて、夜間学校であったモーガン・アカデミー専門学校に通わねばならなかった。1918年にそこをゾラは卒業した。その後、かの女はワシントンD.C.の歴史的・アフロアメリカ人の大学であったハワード大学で学んだ。その後、かの女はハーバード大学において、民俗学を受講するための手続きを取り、そしてその後バナード・カレッジに移った。1928年の卒業後、かの女はコロンビア大学で専門科目である人類学を学び始めた。それに加えて、かの女はハーレム・ルネサンス運動と接触をとった。人類学者として、かの女は黒人民衆のさまざまな歌、物語、ダンスおよび祈祷を収集し、ニューオーリンズのホードー教の司祭たちと一緒に仕事をし、バハマでさまざまなデータを収集し、カリブ海のブードゥー教カルトを研究し、英国領ホンジュラスにおける黒人のコロニーを調査し、そして黒人の説話の伝統に取り組んだ。かの女は数多くの小説、物語および戯曲を執筆した。それらの刊行により、かの女は自身が黒人の女性著作者たちを代表する重要な文化の担い手であることを証明した。かの女の小説「バラコーン - 最後のアメリカの奴隷の歴史」において、かの女は、1860年に最後の奴隷船の1つにおいて北アメリカに拉致された奴隷の真の歴史を物語った。かの女のおおいに注目された小説「かれらの目は神を見ていた」は史上もっとも美しく、もっとも悲しく、そしてもっとも心を掴む愛の物語のひとつであるとみなされている。残念ながら、かの女の本の売れ行きは当時、よくなかった。晩年、かの女は病気と貧困のなかで過ごした。かの女は1960年1月28日にフロリダ州のフォート・ピアースの介護施設において心臓病で亡くなった。ようやく1970年代の黒人女性運動により、ハーストンの本は今日まで再び注目されている。