カレンダー「道を拓いた女性たち」2023年12月 ゲルトルト・ヴォカー
カレンダー「道を拓いた女性たち」2023年12月はゲルトルト・ヴォカーです。例によって、はじめて知った女性です。「化学者、教授、女性権論者および平和運動活動家」との副題がついています。
カレンダー 道を拓いた女性たち 2023年12月
ゲルトルト・ヴォカー(Gertrud Woker 1878-1968)
ゲルトルト・ヴォカー(ほんとうは、ゲルトルト・ヨハンナ・ヴォカー)は、1907年以降、ベルン大学の化学の私講師であったが、多くの化学を専攻する学生たちにとってのお手本となり、そして1913年に、ある女性向けハンドブックにおいて化学専攻女子学生の就職可能性についての論文を執筆した。かの女が、エルガ・ケルン(1888‐1957)から、1928年に出版された『ヨーロッパの指導的女性たち』という自意識に満ちたタイトルを持つ本のために自伝的な文章を書くように請われたとき、かの女はすでに化学武器の装備や発展に反対するひじょうに著名な自然科学者の1人であった。1924年にかの女は論文『科学と科学戦争』を、1925年に本『来るべき毒ガス戦争』を。1932年にはその第6版において「来るべき毒ガス戦争と放火戦争と一般民衆へのその影響」を発表した。
かの女は、1878年に大学教授の家庭において3人の子どもの最年長者として誕生したのだが、かの女はベルン大学で自然科学を研究した。ベルン大学には、かの女は1951年の退職まで籍をおいた。1903年に採用され、そして1907年に学位を取得し、かの女は1911年に物理・化学的生物学学科の主任となり、そして後日いわゆる生化学と言われるようになる領域において卓越した成果を達成した。しかしかの女がやっと員外教授になれたのは1933年のことであった。女性であるのが正教授になることを妨げたわけではない。専門に関する国際的な承認にもかかわらず、何よりもかの女の学外での活動が ‐スイス女性運動と国際平和運動 ‐「妨げ」とみなされた。かの女はスイスの女性参政権協会の創設者の1人であり、そして1915年にはIFFF(平和と自由のための国際女性連盟)の創設者に加わった。ゲルトルト・ヴォカーは触媒作用の4巻のハンドブックを(1911年と1931年の間に発表された)、そして2巻の自然のアルカロイドの化学(1953年、1956年)を刊行した。
すでに1917年に、かの女は、有毒な鉛を含むガソリンの健康被害を警告する論文を執筆した。しかしヨーロッパとスイスで有鉛ガソリンが禁止されたのはようやく2000年のことであった。同じく1917年に、かの女はスイスの女性運動のために標語を定式化した。それらは今日もなお横断幕に書かれている(書かれざるをえない)。すなわち「同一労働同一賃金」および「同じ義務、同じ権利」。
ベルンでは、ある街路にかの女の名がつけられ、そして2021年9月に、ファビアン・チケとマティアス・アフォルターによるドキュメンタリー映画『女性平和主義者』がスイスの映画館で上映された。その映画では、甥のマルティン・ヴォカーが痕跡の追求にとりかかっている。とりわけ、スイスの警察および監視官庁のさまざまな「カード」が保管されているアーカイブにて。というのはゲルトルト・ヴォカーの軍備や戦争に反対し、1945年以降は核戦争の危険に抗し、そして軍縮に賛成する行動は常に記録されていたからである。