南ドイツ新聞の書評記事 ゾフィー・ショルに関する2冊の近刊書 | いいかげんにっき

南ドイツ新聞の書評記事 ゾフィー・ショルに関する2冊の近刊書

南ドイツ新聞の2021年12月28日の記事です。(2冊のゾフィー・ショルの伝記に関する書評です。)

 

ナチスに敵対したゾフィー・ショル:英雄の背後にある人間性(Nazi-Gegnerin Sophie Scholl:Der Mensch hinter der Heldin)

 

(↑胸像写真についたキャプション:磨かれていない場所はほとんどない。ソフィー・ショールの胸像は、2003年以来、レーゲンスブルク近くのワルハラに立っている。)

 

 2021年の5月に生誕100年になる。ロベルト・M・ツォスケとマレン・ゴットシャルクは抵抗の闘士ゾフィー・ショルのポートレートを思いやりをもって描くことに成功している。(評者はコルト・アシェンブレナー)

 

 兄のハンスおよびその他の共謀者たちと一緒に、匿名で作成され、そして何千人もの人に配布された「白バラのビラ」の背後にいて、そしてそのために1943年2月に21歳でナチスの司法当局によって処刑されたゾフィー・ショルは数十年にわたって、ほのかに光るイコンである。

 かの女のおかげでドイツ人は自分の両親や祖父母による蛮行の暗い時代にたいして装い、そして自身を慰める。かの女が称えられているのは正当である。しかしかの女の名はごく最近、ときに政治的かつ歴史的に感度の悪い「常識を欠く思想家たち」のような誤った人々によっても利用されている。

 時を同じくしてゾフィー・ショルについての2つの伝記が今、2021年5月9日のかの女の生誕百周年にあたって刊行された。ヒトラーへの暗殺実行者であったゲイルク・エルサーとクラウス・フォン・シュタウフェンベルクと一緒に、そしてさらにかの女の兄であるハンスよりも先に、かの女はナチス独裁に抗する最も有名な抵抗者に挙げられるだけでなく、近現代史の最も有名なドイツ人にも挙げられている。

 しかし、ようやくその人生の端緒に立ったばかりの若い女性のいったい何が驚くべきことか。そのことを明らかにすることはまさに、勇気あるナチスへの女性敵対者の神話、それに伴う、かの女の妹インゲ・アイハー・ショルが根拠づけた美化、ならびに一連の古い伝記をふまえるべき今日の伝記への要請である。

 他の英雄たちもそうであったようにきっと生誕時に英雄であったわけではないゾフィー・ショルの生涯への接近は容易かもしれ

ない。

著者たちはときに美化されたイメージを持った。

 ただし歴史家マレン・ゴットシャルクと神学者ロベルトM.ツォスケはいくつかの研究に依ることができた。ゴットシャルクは2012年のかの女のゾフィー・ショルに関するレベルの高い青少年向け図書に定位することがきた。ツォスケは2018年に刊行されたハンス・ショルについての伝記に定位することがきた。ハンス・ショルの伝記はかれをかれの妹の陰から救い出した。

 というのはゾフィー・ショルに連邦ドイツの戦後社会はかの女の兄よりもつねにはるかにより多くの関心を寄せたのであった。とはいえ兄はアレクサンダー・シュモレルと共に(後の世界からのみそう呼ばれている)「白バラ」の推進力であったのだ。-しかしまさにゾフィーのようには映画や本の中心人物にはならなかった。

それにたいして東ドイツの認識は確かに幾分か公正であった。しかし兄妹のいわゆる「反ファシズム社会主義」に方向づけられていた。

 2人の著者が見いだしたのは若い抵抗の士のときに美化された不完全は像であった。「英雄の像の後ろ側に総じてさらに人間ゾフィー・ショルを認識できるのでしょうか」とマレン・ゴットシャルクは問う。

 同様にツォスケも書いている。「一般の思考のなかではしばしば磨いて、そして高めて叙述される」完全な人間を提示することがおこなわれている。

かくして、ゾフィー・ショルってどのような人なのか?

 シュヴァーベン・フランク地方のホーエンローエ国出身のリナ・ショルとロベアト・ショルの娘 - 父は行政の専門家、地方議会政治家、愛国者および政治的モラルの義務に忠実な擁護者、結婚以前の母親はディアコニセ(教会で社会奉仕をする女性)で、そして徹底的な敬虔主義的・プロテスタント的志操を持ち、両者とも第1次世界大戦においては徹底的な反戦家であった - はかの女の4人のきょうだいと共に、家族が1932年にウルムに引っ越しするまでシュヴァーベン地方の小都市におけるときにかなり穏やかな、ときにあまり穏やかでない生活のなかで成長した。ウルムでロバート・ショールは会計士・税理士事務所の共同経営者になったのだ。

 1933 年にナチスがドイツにおいて立場を確立して間もなく、インゲとハンスはそれぞれヒトラーユーゲントとド青年女子同盟(BDM)のメンバーとなり、末っ子のソフィーは「少女団」に参加したが、そのことはとりわけ父親の苦悩となった。父親は、ゴットシャルクもツォスケも述べているように、確かに信念を持つ民主主義者ではなく、むしろ君主主義者であったが、しかし決してナチスではなかった。

 2人の著者とも、宗教教育、音楽、本および会話が重要であった大家族における成長を、繊細かつ正確に描き出した。常に、住居は多くのショルのような子どもたちにおおいにゆとりを提供したに違いなかった。たとえ高くつににせよ。その愛に満ちた、教養ある市民的環境に、ナチズムが迫ってきた。そして3人の姉と兄たちはすぐにそのとりこになった。そのことは、たいていの同年齢の子どもたちと異なることではなかった。ヒトラーユーゲントにおける「奉仕」は、マレン・ゴットシャルクが書いているように、まさにまったく違う仕方で社会化されたショルのような子どもたちにとって、洗脳に等しかった。その子たちはすすんで洗脳を受けたのだ。

目覚めるという体験はなかった

 しかし一番年上の姉であるインゲが戦後にかの女の本『白バラ』のなかで現代の聖人伝説であるかのように叙述したのとは異なり、ゾフィー・ショルにとっても、かの女の兄にとっても、すでに早くも戦争以前に突如、ナチス体制からの離反を引き起こさせた目覚めの覚醒体験はなかった。

 2人の著者ともにそれぞれの本を存在する資料にもとづいて、何より書簡および回想にもとづいて構想した。マレン・ゴットシャルクは現代史研究所におけるショル家の遺品にもとづいて、ツォスケは、さまざまな国内アーカイブおよび国際的アーカイブに由来する資料もまた包括したより広範な基盤の上で構想した。

 2人とも、ゾフィー・ショルの男友だちであった、若い国防軍将校、フリッツ・ハルトナーゲル宛の、別の男友だちであったエルンスト・レーデン宛の、そして妥協しない若きカトリック教徒、オトル・アイヒャー宛の、そしてさまざまな女友だちたち宛の書簡から、ならびにその人たちの回想から、物思いにふけがちだが、それにもかかわらず生活を楽しみ、自分の周囲を鋭く洞察したきわめて厄介かつ賢い女性の姿を描き出すことに成功している。

 ただしウルムからのユダヤ人の追放をかの女はみなかった。いずれにせよ、かの女をそのことに言及していない。そしてナチスの青年組織の魅力から、ゾフィー・ショルは長く逃れることができなかったし、逃れたくもなかった。ようやく後に、つまり1941年に、かの女は離脱した。かの女は少女ではなく、むしろある女の友人が後日回想したように、自然を愛し、芸術の才能に恵まれ、そして本をよく読む「キラキラした奔放な若者」であった。

 同時に、かの女には、自分と他人に困難をもたらすという注目すべき傾向があった。何よりも男友だちのフリッツに困難をもたらした。かれはゾフィーよりも真剣でも、信心深くもなかったのに。

 2人の間を往復した書簡は、宗教的にも精神的にも、文学的なテーマについても、しばしば驚くほど深い。たとえば、フリッツとの前夜のことにより神の前でかの女が有罪になるのではないかというソフィーが繰り返しした問いかけに匹敵するものは、今日、同じくらいの年齢の者たちの心を揺さぶることはほとんどないであろう。

 いくつかは口の軽さという気持ちで読まれるが、しかしゾフィー・ショルが少なくとも一時期宗教的な憂鬱さを持たなかったかどうかも問われる。

後に、ようやく1942年に、かの女はキリスト教的良心に従った

 いずれにせよ、かの女は、まさにツォスケの本で明確になっているように、敬虔な求道者であった。神学者であるツォスケはこの観点に多くのスペースを割いている。なぜなら、「少女団」として「お前は何でもない、お前の民族こそすべてだ!」と教えられ、ウルムの聖パウロ教会の堅信礼《幼児洗礼を受けた者が、自己の信仰告白をして教会の正会員となる儀式》教育で「神はわたしたちに、悪を慎むだけでなく、善を行うことを求めている」と学んだ若い女性の成長におけるもっとも興味深い葛藤が、かの女の「堅信礼冊子」であるヴュルテンベルクの教義問答にみられるから。

 ゾフィー・ショルは決して最初から徹底的な抵抗の闘士ではなく、きっと別の仕方であるに違いなかったごとく、矛盾のなかにいる若人であった。ようやく後に、つまり1942年に戦争がかなり進んだ後、かの女はキリスト教的に刻印された良心に従い、ツォスケが書いているように、「神と共にヒトラーに抗して」戦おうとした。

 かの女は、兄や友人から聞いて知っていた東方におけるナチス体制の犯罪に自分も責任があると感じた。かの女の日記のなかで1942年10月に「穏やかな悲しみ」について言及されている。「罪の意識に、わたし自身の罪の意識に引き込まれる無邪気さ。」

 ただしゾフィー・ショルは、マレン・ゴットシャルクが明らかにしているように、かの女の父親の平和主義的伝統のなかで最初から反戦家であった。そのことは若い職業士官であったハルトナーゲルとの関係もまた難しくした。

 どちらの伝記も、2人の著者がいかにゾフィー・ショルの人生を徹底的に研究してきたかを示している。マレン・ゴットシャルクは、今日のとはかけ離れた生活世界を持った若い女性の物語を、ストレートに、カラフルに、そして共感的に語っている。

 ロベルト・M・ツォスケはもう少し踏み込んで、ゾフィー・ショルとその共謀者たちの「高い道徳的精神態度」を強調し、それは今日の過大評価に通じている。ツォスケは、キリスト教信仰が最終的にゾフィーを、兄のハンスと同じく、抵抗運動に向かわせたことを明らかにしている。ツォスケはかの女をさまざまな欠点をもつ立派な勇者として描いている。ツォスケもまた、真実の人生像を描くことに成功している。