ドイツ、1933年の全権委任法の正体 | いいかげんにっき

ドイツ、1933年の全権委任法の正体

南ドイツ新聞が「1933年の全権委任法の正体」(2020年11月18日の記事)を掲載した背景には、最近の新型コロナに係る連邦政府による規制法に反対する人たちの主張に、そのような規制をナチスの全権委任法と同一視するものがあるのです。新型コロナに係る規制に反対する自分を、こともあろうに白バラ運動のリーダーに擬える人すらいるようです。

 

以下、翻訳です。なお、写真に付されたキャプションは「1933年の全権委任法はドイツにおけるナチス独裁の樹立のための似非法的基礎を形成した。-写真はクロールオペラ座における審議を写す。演台にはヒトラーがいる」となっています。

 

 

南ドイツ新聞 2020年11月18日

歴史 「1933年の全権委任法の正体」

パンデミックの阻止のための新たな感染症予防法をヒトラー独裁と同一視する人が若干存在する。それは、歴史を見ればわかるように、愚かな意見である。(ロバート・プロブスト著)

 

「権限を与える」という言葉があるということだけで、全権委任法に等しいとはかぎらない。感染症予防法の批判者たちが今、まったくもって大げさな歴史的こん棒を振り回し、そして新しい全権委任法への警告によって暗に1933年3月における民主主義の遮断を示唆しているとき、しっかりとした洞察が必須である。たとえば副宰相であるオラフ・ショルツ(SPD=社会民主党)はそのような(2020年の感染症予防法と1933年の全権委任法の)比較を「歴史忘却的で、そしてひねくれている」と評している。

全権委任法は帝政時代においても(例えば1914年8月の第1次世界大戦の開戦にあたって)、ワイマル共和国の初期においても存在した。議会制民主主義の導入後、国会は1919年から1927年までの間で10回、政府に通常ではない権限を与えた。何よりも法的効力を有する時間的に限定された規制の制定のために。

それは例えば(第1次世界大戦の)終戦後の停戦交渉の期間に、あるいは内政的危機の年である1923年に実施された。ワイマル憲法はそのことをはっきりとは想定していなかった。しかし立法府から行政府へのさまざまな権限の委譲は常に憲法を変えるのに必要な3分2の多数でおこなわれたので、そのことは当時の国法学者たちによって承認されていた。

しかし新しい全権委任法について語る人は概して、無害化するためにそのように呼ばれている1933年3月の「国民と共和国(ライヒ)の困難の除去のための法律」のことを考えている。アドルフ・ヒトラーのもとの新しい共和国(ライヒ)政府は、有効性が確証されている似非合法性の戦術にしたがって共和国(ライヒ)議会を排除し、そして独裁を樹立するために、当時は比較的中立的で、そして承認されていた全権委任法の概念を用いた。

決定的な違いは:その法律が共和国(ライヒ)政府に、議会や共和国(ライヒ)大統領の関与なしにさまざまな法を決定し、しかも共和国(ライヒ)憲法を改変するような法でさえ決定する権利を与えたということである。そのようにして、そして1933年2月の悪評高い国会火災令と一緒になって、基本的諸権利もまた事実上無効とされた。共和国(ライヒ)憲法は形式上引き続き有効であったとはいえ。その法律は国家と社会の統制のための基礎を形成した。

議席数を激減させていたSPD議員団のみが1933年3月23日に、その法律に同意せよとの圧力に抵抗した。(KPDのすべての代議士はそれ以前に会議への出席を禁じられ、すでに拘束されていたか、あるいは地下に潜伏していた。)SA(親衛隊)の隊員たちは議場の前で、そして議場のなかですべての反対する者を脅していた。

SPDを代表して党の議長オットー・ヴェルスが後に有名になる言葉を発した。「わたしから自由と命は奪うことができるでしょう。しかし名誉を奪うことはできません。いかなる全権委任法もあなたがたに、永遠かつ不滅である理想を否定し尽くす力は与えません。」しかし94人のSPD代議士のうちの24人がそれぞれの反ナチス的姿勢のせいでナチス時代に命を失った。

NSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党)とDNVP(ドイツ国家人民党)ならびに中央党およびその他のブルジョア的諸政党の444票で、その法律は採択された。それゆえ形式上3分の2という多数による同意がなされた。その法律は(ヒトラーの)恣意に門戸を開いた。

基本法はいわゆる永遠条項を含んでいる。

連邦共和国ではその種の法律はもはや不可能である。しかも基本法の第79条は、憲法の中枢的な諸原理の変更を禁じる「永遠条項」を含んでいる。そのような原理とは、ドイツの連邦的構造、連邦の立法行為への各州の関与、ならびに第1条と第20条に記述された諸原理、すなわち人間の尊厳の不可侵性と尊重、ならびに三権分立あるいは連邦主義を含む民主主義、法治国家の原理である。

概念的にも、今では法学において区別されている。基本法の第80条の枠内で法規命令を発する権限を与える法律は、全権委任法(Ermächtigungsgesetz)でなく、権限を与える法(ermächtigend Gesetz)と呼ばれている。