かみきりや流 読書感想文 その13 | いらっしゃいませ!!かみきりやです

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 まずはこちらでしょう 生ビール
 
 
 皆さん、こんばんは !!
 ご訪問ありがとうございます にひひ
 
 今日はとある場所にて、打ち合わせに
臨んでいました チョキ
 
 
 
 このビルの下にある
 
 
 
 このカフェにて、某先生とお会いして
 
 
 
 この場所はブロ友さんの応援のために
訪れることは何度かありましたが、イベ
ントがない状態のこの広場は静かなもの
です かお
 
 もしかしたら、来月にこの場所のステー
ジに立つかもしれません チョキ
 
 そのための打ち合わせでした !!
 
 
 帰る道で見かけたオシロイバナを、
マクロレンズで撮影しました !!
 
 
 ショッキングピンクも黄色も綺麗です
よね 合格
 
 
 
 こんなツートンカラーも見かけまし
た ゲラゲラ
 
 
 
 咲くお花によって季節の移ろいを実感
出来ますよね 合格
 
 さて、本題です !!
 
 
 今回のテーマとなる本は
 
 近重幸哉著
 
 『 明仁天皇の言葉 』
 
と・・・
 
 
 同じく近重氏著の
 
『 天皇陛下と美智子さまの言葉 』
 
の2冊です !!
 
 皇室ジャーナリストを勤めてきた著者
が長年にわたり平成の両陛下を取材し
てきた事の集大成ともいうべき本です 本
 
 実はこの2冊はまったく同じ内容でし
て、前者を御代(年号が平成から令和)
替わるにあたって、掲載写真を増や
加筆、再編集したものが後者です。
 
 もともとは令和になって間もない頃に
Getしておいたものでしたが、先月にな
ってようやく読むことが出来ました チョキ
 
 天皇陛下としての立場、それにどう向
き合って来たのか はてなマーク
そして天皇陛下がこなす公務(仕事)が
どれだけたくさんあるのか はてなマーク
について、知ることができると思いま
す !!
 
 ではここから先は、恒例の
 
『 である体 』
 
で書かせていただきます !!
 
 日本国憲法第一条の象徴天皇制について
『 天皇は日本国の象徴であり、日本国民
統合の象徴である 』 と明記されているが、
この象徴という言葉を辞書で調べてみると
『 抽象的な概念、思想などを具体的な事物
によって理解しやすい形によって表現する
もの 』 とされている。これではまだしっくり
しない。つまり具体的な事物が天皇ご自身
ということになるのだろうが、平成の天皇
(ここから先は明仁天皇と表記する)の
父でもある昭和天皇は先の大戦において
『 現人神(あらひとがみ) 』 つまり人の
姿をした神として崇められ、戦後は象徴
としての天皇という、立場がガラリと変わ
っての存在となった、この象徴という立場
がそのまま引き継がれたのが、明仁天皇
ということになる。おそらく象徴とは何か?
と最も思い悩んだのは昭和天皇であった
ろう。
 天皇は古くは国家を掌握する絶対的な
権力を持っていた時代もあったが、武家
政権が誕生して以来皇室は絶対的権力
者として存在することはなかった。現人
神として存在することとなるのは明治維
新以降の大日本帝国憲法下で、先の
大戦が終わるまでのことである。つまり
天皇はその時代によって立ち位置が
変わり続けて125代にわたって存在し
てきたことになる。
 象徴となってからの天皇、皇族は日本
人ではあるが、日本国民ではない、つま
り日本国民として憲法上で保障されてい
る選挙権も職業選択の自由もなく、苗字も
なく、自由に発言することも出来ない、
抽象的な事物を具体的にという表現とは
ほど遠いと言えるそれこそ抽象的な存在
でもあるといえる。
『 私は戦争のない時代をしらないで育ち
ました 』というお言葉通り、11歳になる
までの時代を大戦下で生きてきた明仁
天皇は、昭和の時代を父でもある昭和
天皇のなさりようを見ながら学んできた。
これこそが帝王学の見本と言える。
 明仁天皇の公務は、宮中祭祀だけで
も元旦の四方拝から大晦日の大祓まで
20を超える。さらに外国の要人との晩さ
ん会、全国の植樹祭などの行事もこなす
毎日であったが、高齢になり次第に段取
りを間違えることも重なり、高齢化が叫ば
れる昨今、天皇とてもその例外ではなくな
って、全身全霊で公務にあたることが出来
なくなったと実感しての生前退位を決断
することとなる。
 天皇という究極の『 公人 』 という立場
にいながら、60年間の苦楽を共にした
美智子皇后との家庭において、乳母制度
の廃止や皇居内にキッチンを作って美智
子皇后自らが料理をするという、旧来の
しきたりを改革することによって、皇室を
国民にとってより身近な存在にすること
により、国民にとって象徴(理想)の夫婦
(私人)であり続けた。さらに沖縄(昭和
天皇が最後まで成し得なかった)訪問、
戦争こそなかったものの、大震災など
自然の猛威による災害が絶えなかった
平成という時代において、被災地に足
を運び被災者たちを励まし続けたその
姿は
『 国民の安寧と幸せを祈ること 』
を大切な公務と位置づけ実践する両陛
下の象徴としてのなさりようであったと思
う。
 最後に
『 天皇陛下とは何か?どういう人か? 』
 
 と子どもに聞かれたらどう答えるか?
皇室担当記者の 故 松崎敏弥氏の
言葉を引用すると
 
『 国民の幸せを祈る人だよ 』
 
 まさにその言葉通りの存在と言える。
 象徴とは国民の最高のお手本でもあり、
理想の存在でもあると言える。
 この精神は次の天皇にも引き継がれ、
さらに象徴とは何か?について、自らの
なさりようによって証明されていくこと
であろう。
 
 
 明仁天皇と美智子皇后を切ってみ
ましたが、いかがでしょうかね(笑)
明仁天皇は日本人離れした鼻筋が
通ったお顔立ちですので少し鼻を
高めにしてみました チョキ