最近、急にキース・エマーソンに目覚めた(?)私。


プログレに興味を持ち始めた頃、EL&PもたぶんFMかなにかで聞いたが、そのキースの荒っぽい演奏と、唐突に出てくるグレッグの澄んだ声質のボーカルに違和感を感じてあまり好きになれなかった。しかし、EL&Pが再結成したとき(1992年か?)に、偶然にも、来日ライブを見る機会があったのだが、そのとき、本物のキースのすさまじい演奏を見て、涙が出るほど感動したのだ。その時、このバンドはライブでこそ本当のよさが判るのだと再認識した。


その再結成時のアルバム『BLACK MOON』は、ヘビィ路線のサウンドが往年のファンには不評であったようだが、HR/HMに興味があったその頃の自分には、かえってそのハードロックっぽさがカッコ良く、私的には、新しいEL&Pのほうが好きだった。試しに、全盛期のアルバムで有名な『展覧会の絵』のCDを買って聞いてみたが、ライブ演奏のための音質の悪さと、古臭い音色が気になって、やはりあまり好きになれなかった。


買った時期を覚えていないのだが、ドラムがコージー・パウエルになった、『EMARSON, LAKE & POWELL』のCDは、1曲目の「The Score」がめちゃめちゃカッコ良く、ホルストの惑星の火星「Mars, the Bringer of War」とともに、その2曲だけ聴いていた(笑)。このアルバム、この2曲のために買ってもいい(^^;。


昔の角川映画の『幻魔大戦』の音楽の一部をキース・エマーソンが作っていたが、その音楽にはいわゆる“キース節”といわれる独特なフレーズが思いっきり出ていて、とても印象的だったのを覚えている。すごく好きというほどでもなかったが、でもやっぱり気になって、たしかレコードを買ったような記憶がある(^^;。


このように、EL&Pというか(関連も含め)キースの曲は、ものによって好き嫌いが分かれる、評価のし難いものが多い。


そんなキース・エマーソンの新しいアルバムが久しぶりに出た。

『KEITH EMARSON BAND featuring Marc Bonilla』

よくわからないタイトル(というかバンド名?)。Amazonのレビューを読むと、やはり(?)いろいろと意見があるものの、★★★★☆で、“おおむね良好”な感じ。初回限定のDVD付が面白そうなので買ってみた。


1曲目の最初、「来るぞ来るぞ・・・」の感じが、「ああ、プログレだよ~」とちょっと懐かしいけどワクワクした。現代音楽的な(調性の判らない)断片的な速いパッセージのピアノ、そして続く2曲目のパイプオルガン・・・、なんかとってもキースらしくて、カッコいい(^^)v。


その後にマーク・ボニーラのギターとボーカルが出てくるが、グレッグよりもロックらしい声質が、むしろ馴染みやすい気がした。その後、キースのオルガンとギター、そして他のメンバーのベースやドラムが、複雑絡み合っていく。サウンド的には現代らしさを感じるが、それでも普通の(今どきのポップな)ロックとは明らかに違うのも確か。


マーク・ボニーラのおかげで、アルバム全体に新しい色が吹き込まれ、音色が多彩で煌びやかになったように感じる。編成もEL&P時代より多いわけだが、エレキギターに全く負けていないキーボードは、さすがキースといったところか。



・・・と、レビューはこれくらいにして(←これだけ?)、

「なぜ、今、(私の興味)、キースなのか?」

というところを書く。


実はそれは、このブログの最初の記事にもなった、Perfumeから関係していたりする←これもか(笑)。


Perfumeで久しぶりに聴いたシンセらしい機械的な音。

「ああ、シンセってこういう音でいいんだよな」

と、既存の楽器のシミュレーション化していたシンセサイザーという楽器の本来のあるべき姿を再認識した。その影響で、私は卒業作品でも、音色作りにこだわった。


Perfumeはその後、有名になり、CDもやたらと出るようになった。しかし、もともとPerfume的音楽は、表現がどうしても“狭くなる”のに、それを乱造されれば、飽きも早い。まぁPerfumeに限らず、売れるとすぐ乱造してしまう、日本のレコード業界の悪い癖も問題なのだが・・・。

私もはっきり言って・・・飽きた(笑)。


自分が表現しようと“探している音楽”は、Perfumeのようなテクノポップではないことは判っている。

では、シンセサイザーらしい音色を使いながらも、PerfumeやYMOとは違う音楽はどういうものがあっただろうか?


そこで、私が過去に聴いた音楽から浮かんできたのは、私が尊敬するアーティスト、Vangelis(ヴァンゲリス)の『反射率0.39』、『螺旋』、『Direct』あたり。

『螺旋』では、時代的にまだコンピュータによる演奏は使われておらず、シンセサイザーの機能にあったアルペジエーターをうまく使っていた。『Direct』になると、コンピューターの“ニオイ”がしてくるが、それでも、ヴァンゲリスらしい、クラシカルな要素との融合が、今、改めて聴いてみても、面白さを感じる。しかし同時に、コンピュータ化すればするほど、なにか、悪い意味で面白みが薄れていった気もしていた。


ところで、最近のDTM。PCの発展とともにソフトウェアも高機能化し、誰でもプロ並みの音質で音楽が作れるようになっている。秋葉原でDTMコーナーに行けば、そういうデモ演奏がいつでも聴ける。DTMブームの頃に比べれば、音楽としてのクオリティも多少上がっているとは思う。ただ、その音楽になぜか“感動”がない。


それはもちろんデモの音楽的なクオリティの問題もあるだろう。音楽の“深み”を出すには、ただ、いろんな音色を重ねるだけでなく、音の一つ一つにもっと、細かい変化を与えていかないといけない。しかし、コンピュータの打ち込みによって、そのような音楽的な表現をつけるのは、本質的に面倒で難しい。しかも、表現をつける努力すればするほど、結局それは、人間の上手な演奏に近づいていき、それは、コンピュータが演奏する意味が“単なる演奏者の代理でしかない”というジレンマに陥っていく。


ここで改めて、EL&P(関連)の音楽を思い起こしてみると、キースは基本的にコンピュータやシーケンサーに頼らず自ら弾いている。シンセサイザーを電子楽器と考えず、音色の作れるキーボード(≒オルガン)の感覚でいる。当時は、自ら弾いているということを、あまり気にしなかったが、今思えば・・・しかも今でも“弾く”ことに基本を置いて音楽を作っているキース・エマーソンは、むしろ

“(シンセサイザーの使い方として)本質的であり、(今となっては)新しい使い方”

とも言えるのではないか。


最近、そんなことを思うようになったのだ。

だからこそ、今、キース・エマーソンなのである。