京都では祇園祭のクライマックス、山鉾巡行が行われています。
去年の山鉾巡行の日、私は集中治療室にいました。
肺炎と急性腎不全を併発して緊急入院してから3日目のことでした。
40度以上の熱が続いて、多臓器不全の状態になっていたそうですが、個室のテレビから見た山鉾巡行の様子をはっきりと覚えています。
京都に住んで、普通に仕事をして、友達と遊んでいた自分が突然病気になって身動きひとつとれないことが信じられなかったです。歩いたり、座ったり、食事をしたり、トイレに行ったり、それまで自分が何とも思わずやっていたことが全部できなくなるなんて。
この日から10日間、集中治療室で過ごしました。
集中治療室というのは当然のことながら症状の重篤な患者さんばかりが入る病棟です。
一般病棟のように就寝時間のようなものは決められていません。
24時間態勢で治療が続きます。
私は体内の老廃物や毒素を取り除くため、人工透析を5日間ほど連続で行いました。
透析の機械と自分の血管はチューブでつなげています。
チューブが途中で折れたり、詰まったりしないように透析中は寝返りをうつことも、足を曲げることも許されませんでした。
それでも機械にエラーが出れば、夜中でもブザーが何度も鳴ります。
ブザーの音にナースさんが気づけるように、集中治療室にはドアがありません。
ナースステーションと集中治療室はつながっているのと一緒です。
だから夜中になっても他の患者さんが鳴らすナースコールの音が全部聞こえました。
集中治療室は不夜城みたいなものです。
夜中になると他の患者さんが暴れたり、奇声を発したりします。ナースさんも暴れる患者さんを必死におさえようとします。この病棟にいる患者さんはみんな生死の境にいるので、暴れるときも死に物狂いです。ナースさんが優しく諭してもまったく聞いてくれません。だからナースさんも大声を出して、点滴を自分で引きちぎったり、暴れるおじいちゃんを怒ります。
そして危篤になれば、ドクターが大勢集まってきます。
治療の甲斐なく患者さんが亡くなったら肩を落としたドクターたちがとぼとぼと部屋を出てきます。
そんなことが繰り返される毎日でした。
まわりの患者さんが次々に亡くなっていることが、意識のもうろうとした私でも分かりました。
私は生まれて初めて、「自分が死ぬのかな」と思いました。そのときまだ28歳だったので、今死んだらもったいないな、やり残したこともいっぱいあるのに。
「死にたくない」という気持ちが心の底から湧いてきました。
成人して、仕事もして自分で生きていると思っていたけど、勘違いでした。
自分の命は生かされているということに、死にそうになって初めて気が付きました。
1年経って、自分の命が助かったことにすごく感謝しています。
今日はそんな日です。