(左から鍋倉雅之氏、有田芳生氏、家登みろく氏)
1.ヘイトスピーチのカウンターと政治家・市民
有田芳生氏はかつて日本共産党員でした。
1980年に有田氏は雑誌「文化評論」(新日本出版社)に日本共産党の上田耕一郎副委員長と作家の小田実との対談記事を掲載しました。この企画は当時の日本共産党委員長・宮本顕治も了承していたもので、対談号は好評で完売しました。しかし、その数か月後、小田実が公の場で共産党を「市民運動などを自党に系列化する既成政党」と批判したことから、党と小田実の関係が悪化し、有田自身も党内で批判されるようになります。
その後、有田は長時間の「査問」(党内の追及)を受け、自己批判書を書かされました。1984年には日本共産党系出版社の新日本出版社から追放されましたが、党籍は剥奪されていませんでした。
さらに1990年、有田芳生は『日本共産党への手紙』という本を編集出版しました。これは加藤周一ら文化人15人に共産党への提言を依頼し、それをまとめたものです。この出版により、党からの査問が再び始まり、最終的に党規律違反として「除籍」処分を受けました。当初は賛同していた上田副委員長が態度を変えたことなどにより、有田は党の対応の硬直性を痛感したと語っています。
この経緯は党内外で議論を呼び、有田に対する「除籍」は、共産党の内部における異論の抑圧や硬直的な体質を象徴する事件としても受け止められています。
その後、有田氏はジャーナリストとして霊感商法や旧統一教会問題等に取り組みました。その後、複数の政党を経て民主党から立憲民主党へと移り、参議院議員を2期務めた後、衆議院議員に転じています。民主党時代には、有田芳生氏はしばき隊のカウンター活動に頻繁に参加しています。しばき隊のメンバーと共にデモに参加し、阻止行動などを行っています。
有田芳生氏はヘイトスピーチに関する著書『ヘイトスピーチとたたかう! 日本版排外主義批判』を2013年に岩波書店から出版しています。
この著書では、主に日本におけるヘイトスピーチの実態やその背景、排外主義の問題について詳しく論じています。
ヘイトスピーチの具体例や発生のきっかけ、新大久保・鶴橋での状況、カウンター勢力の登場とともにデモの中止に至る流れ、表現の自由と法規制の問題、日本社会における差別の現状などを章ごとに扱っています。特にカウンター勢力の台頭については「しばき隊」やその関連グループ「プラカ隊」などの活動についても言及しています。
「しばき隊」との関係に関しては、有田氏の著書や活動がしばき隊およびその後継団体とされるC.R.A.C.との共闘や連携の流れの中で重要な位置を占めています。
しばき隊はレイシストに対抗するカウンター集団で、2013年に結成されました。これらのカウンター行動は、在特会などの差別的なデモを阻止する運動として位置づけられており、有田氏もこのカウンター動向について評価や言及を行っています。ただし、しばき隊内部の問題やリンチ事件などをめぐるトラブルもあり、これらには別途議論があるものの、有田氏は基本的には差別と闘う立場からしばき隊の意義を認め、その活動を支持する立場にあることがわかります。
有田氏は政治家や市民がヘイトカウンターを行うことは、日本のヘイトスピーチの状況、排外主義の批判、法規制とともに重要だと考えています。
ヘイトスピーチをなくそうとする人々がカウンター活動を行うのは自然なことなのかもしれません。
2.路上で闘わないのかという誘惑
2011年に在特会によって引き起こされた京都朝鮮人学校襲撃とその後の刑事・民事裁判がありました。
この事件は、朝鮮人の生徒に恐怖を与え、その後もトラウマになるなどヘイトスピーチが精神的にも大きな影響を与える先例となりました。
民事事件では不法行為が認められ、その後、ヘイトスピーチを無くすために、2016年に「ヘイトスピーチ解消法」が施行されました。大阪市では2016年に川崎市では2020年に条例も制定されました。
このことにより、京都朝鮮人学校襲撃のような事件が起きることはなくなり、また街頭演説やデモも露骨な民族差別的な行為は減ったとされています。しかし、無くなったわけではありません。
しばき隊からC.R.A.C.に団体名を変えた野間易通氏は、ヘイトカウンター活動の必要性について次のように語っています。
東京・新大久保の路上で近隣の店や通行人に暴言を吐いたり、嫌がらせをするネット右翼の「お散歩」を邪魔しよう。野間易通さんが「隊員」を募集して「レイシストをしばき隊」を結成したのは13年1月のことだった。
「しばき隊」はメンバー・シップ制。一般のカウンターとは一線を引いた。なぜなら、「カウンター・デモでも抗議行動でもありません。彼らが狭い商店街でそうした行動に出た場合、非暴力でいちはやく止めに入ること」と目的が明確だったからだ。プラカードなどの持ち込みも認めなかった。
一方、「しばき隊」の過激さにはついていけないというカウンターは、横断幕やプラカードを掲げたり、風船を配ったりして抗議の意思表示をした。しばき隊は、これらあらゆるカウンターが乗り入れるプラットホームの役割も果たした。この結果、数カ月で新大久保での「お散歩」行為は完全に排除された。
「ヘイトスピーチ」はマスコミにひんぱんに登場するようになり、13年の「流行語大賞」トップ10にノミネートされた。野間さんは「在特会がこんな酷いことをする団体なんだと知られるようになったのが、しばき隊のよかったところ」と振り返る。
一方、マスコミでカウンター全体が「しばき隊」と総称されるようになったことは、野間さんの本意ではなかったようだ。
「そうではないと何回も言ってきたが、イメージが固定化されてしまった。しばき隊はカウンターの一部でしかない。僕たちのやろうとしていることは街頭行動、言論、写真、アート、音楽、署名、ロビイング、イベント、学習会。そのほか必要なあらゆる方法で総合的にレイシズムに対抗するもの」
「しばき隊の呼称は半分ふざけた感じがして、行政を相手に交渉するにも動きにくい」と、13年9月30日に「しばき隊」を解散。同年10月1日には新たな団体「カウンター・レイシスト・アクション・コレクティブ(略称c・r・a・c)」を旗揚げした。
13年は新大久保で毎週のように排外デモが繰り返され、その都度、カウンターとして出動を続けた。怒りの原動力はなんなのか。
「自分たちが多数派であることをいいことに、日の丸をバックに『在日特権』といった実体のない概念をねつ造して、特定のエスニック・マイノリティーの社会的地位をおとしめる行為を繰り返している。それ自体が民族的憎悪を扇動する表現=ヘイトスピーチであり、差別行為そのもの。アンフェアだし、単純にむかつく。調子に乗んなよ、ですよ」
ネット上でコピー&ペーストされ、拡散される『在日特権』に関する様々な言説は、ほとんどが事実無根のデマゴギーか、あるいは事実の断片だけをつなぎあわせ、存在しない事実にフレームアップするというかたちでのネガティブ・キャンペーンでしかない。しかし、デマを信じたい人々によるじゅうたん爆撃のような情報拡散の前にそれもかすんでしまう。
カウンター勢力からも「私は特定の誰かの味方をしたいわけではない。ひどい差別にも、在日特権にも反対し、あらゆる不正を許さないだけだ」という一言を聞いた。野間さんはこれこそが「ヘイト」の威力だという。
どうしたらいい、なにをすればいいのか。具体的になにができるのかを考えたとき、「お散歩」だったら止められるんじゃないかと思った。
「目の前に行って文句を言いたかった。それならできそうというより、これを優先しようと決意した」「みんなで少数をいじめているのは大嫌い。韓国の悪口を言うならともかく、日本で普通の生活をしている在日コリアンを罵倒して溜飲をさげている。そういうのはいっさい許す理由がない。日本の民主主義の危機。粉砕ですよ。圧倒的多数のマジョリティー自らが解決しなければならない課題」
野間さんは「行動する保守」を標榜するヘイト側を「革新勢力」と呼び、自らは「戦後民主主義を守っている保守派」と称する。「日本は戦後、リベラルな民主主義国家としてやってきた。それを根底から壊すようなことは排除し、絶対につぶさなければならない」
野間氏はヘイトスピーチに対して相手を侮蔑した罵声で対抗せよと、穏健な活動家や市民に参加を呼びかけています。
それは、 野間氏がヘイトスピーチが単なる「他者への罵詈雑言」ではなく、マイノリティに対する憎悪感情に基づく「ヘイト・スピーチ」でありそれ自体が「ヘイト・クライム」であると捉えているためです。
彼は「穏健な口調で論理的に訴える」方法は理想的であるが、実際のヘイトスピーチは憎悪に基づいており、普通の抗議や話し合いでは効果がないと考えています。
また、野間氏のカウンター活動の理念は「少数者の在日を守るため」ではなく「社会の公正さを守るために闘う」という点にあります。
ただ、抗議自体は下品になってはならず、世界的に見れば平和的意思表示の範囲にあるとしつつも、ヘイトスピーチには力強い「対抗言論」が必要だと主張しています。
これらの主張は、これまで彼が参加している「レイシストをしばき隊」や「C.R.A.C.」の活動方針にも反映されており、過激な罵声や時には体を張る行動も「差別への怒りの共有」として位置付けています。
野間氏は、ヘイトスピーチに対抗するためには、単に一部の過激な活動家だけでなく、多くの穏健な活動家や一般市民の参加が重要だと考えています。
理由の一つは、ヘイトスピーチが社会全体の問題であり、多様な市民が声を上げることで「社会の公正さ」を広く守る力になるという認識です。
また、野間氏自身が「市民も多数派であり、ヘイトスピーチを浴びせるマイノリティ攻撃者に反対する正義の側に立つ」という考えを示しています。ゆえに、より多くの市民参加が運動に力を与えると信じています。
彼の過去の発言には「怒りを共有し、正しい対象に向けて表出できる場が必要」という考えがあり、これが市民の参加の呼びかけの根底にあります。
これらは、野間氏が日本の政治活動家として、反レイシズム行動やヘイトスピーチ反対のカウンター運動を展開する中での主張や発言・インタビューをもとに説明されています。
お前は路上に立ったことがあるのか!
野間易通氏のこういうメッセージにコロリとやられてしまう日本共産党の活動家がいてもおかしくないのです。
3.日本共産党内の政治的自由を認め、しばき隊との協調を分派活動として認めるべき
しばき隊やSEALDsの扱いについては、2010年代以降に日本共産党は共闘すべき団体、もしくは危険でない団体という位置づけにしてしまったところに誤りがあるのだと思います。
いや、しばき隊といっしょにやる党員がいてもいいと思うのですが、今の状態では、民主集中制での組織原則で分派を認めないとしていることとの矛盾が出ていると思います。
多少刑法犯罪に触れるような街頭演説の妨害である集団ヤジやスモークの使用について、許容すべきという考えもあれば、刑法犯罪を奨励するような活動を党は一切認めるべきではないという考えもあると思われます。
でも、党員の政治的自由をある程度認めるなら、今の鍋倉雅之や家登みろくという党員の活動を分派活動として認め、中央の方針とは異にするが除名にはしないという態度もありうると思います。
立憲民主党の岡田克也幹事長は、福島の処理水問題で公式には中国が「核汚染水」などと呼んでいるのに対して、「処理水」を「汚染水」と表現した一部議員に対して、「党を代表してそういう立場で出て行ったとしたら、それは党の見解を述べてもらわないといけない」と言い、また、「党の重要な役職がある人間は控えるべきだと思います。ただ、口を封じてしまうというのは政党としていかがなものかと思っています。個々の議員が自分の信念で意見を述べることを封じるような政党にしたくない」と語っていました。
こういうのがオープンでフラットな党のあり方だと思います。
日本共産党もそういう組織にすべきだと思いますが、そのためには、党規約を改正しないといけません。
それに、そんなふうに変わると松竹伸幸さんや神谷貴行さんを除名や除籍にしたこととの整合性がとれなくなります。
いっそのこと二人とも復党させればいいと思いますが、それは組織革命かもしれません。
今、政治環境の変化と市民意識の多様化のなかで、日本共産党にもゆらぎが起き、民主集中制に対して組織革命を起こすように党自体を揺さぶっているのです。




