都知事選の最中に、志位氏の未来社会の講義がしんぶん赤旗に大々的に載ったことが話題になっています。

 

その講義は、これまでも民青同盟のタウンミーティングで行っていたものを全国都道府県学習・教育部長会議のために焼き直したものです。

 

志位氏は、さらに「この『草稿』のなかでマルクスは、未来社会に進んで搾取がなくなれば『自由に処分できる時間』が万人のものになるという大展望を示しています」としたうえで、マルクスが「そうなれば、富の尺度は、もはや労働時間ではけっしてなくて、自由に処分できる時間である」としていることに注意を向け、「全面的に発展した人間こそ本当の富だという思想が示されていると思います」と語りました。

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志位氏は、1865年前後の『賃金・価格・利潤』での記述や『資本論』第三部でまとまって示された剰余労働論、未来社会論を解説したうえで、『資本論』第一部・完成稿(1866~67年執筆)において、資本主義的生産が廃止されれば、(1)一切の搾取がなくなること、(2)資本主義につきものの浪費がなくなることによって、労働時間の抜本的短縮が可能になり、人間の全面的発達のための時間が万人のものになるという展望を示したと述べました。

 志位氏は、講義の中で、マルクスの未来社会論を深く理解するには、『資本論』と『資本論草稿』をセットで理解することが不可欠となっていることを繰り返し強調しました。

 

 

未来社会は労働時間が短くなり、「自由に処分できる時間」が人間の全面発達につながるという特に珍しくもない話です。

新しいことと言えば、『資本論』を読んだだけではだめで、『資本論草稿』も併せて読むことが不可欠と言っていることです。

 

ほう。

マルクスの未来社会はそこまで読まないと理解できないってことでしょうか。

でも、講義のYouTubeを見ると、エンゲルスが晩年に手紙の返事で、未来社会は「まだわからない」と書いていることにも触れていました。

 

 

 

 

未来社会と言ったって、マルクスやエンゲルスが考えたものはソ連で実験された計画経済の青写真にもなっていません。

 

もともとマルクスの革命思想は資本主義では労働者の労働が商品化され、それが商品交換のなかで剰余労働となり、搾取される構造を示したところに画期的な意義がありました。

 

 

労働時間の問題はそこから派生する問題です。

 

 

生産手段の私的所有が問題であって、それを解決すればすべて解決するとマルクスが思っていたけど、そのあてが外れたというのが社会主義実験の失敗でした。

 

それは計画経済のマイナス面があったのですが、端的に言えば、管理する人が資本家から国家に変わっただけということでした。

 

 

資本家はいなくなったけど、共産党と政府の特権階級(ノメンクラツゥーラ)の支配になっただけという結果でした。

 

国家の管理になると、たしかに資本主義社会よりは所得格差は縮まりました。

 

 

しかし、労働意欲が上がらないことや、技術改良の努力をしなくなるという問題が生まれました。

 

そして、ソ連や東欧の社会主義は崩壊しました。

 

 

しかし、社会主義思想は資本主義がもつマイナス面の矛盾から生まれたものです。

資本主義社会はその間、世界大戦も経て、ケインズの雇用創出の経済学なども生みました。

国家による計画経済という社会主義的な解決ではなく、政府による公共事業での経済への介入という方法で経済システムと政治システムを修正したのです。

 

 

民青同盟のタウンミーティングでは、志位氏があまりにもケインズ経済学を知らないことに驚きました。

マルクス主義者が行うべきは、どうして社会主義が失敗したのかを分析することではないでしょうか?

原理通りにやらなかったからだと思いたいのかもしれませんが、それは現実からの逃避でしかありません。

 

しかし、最近の志位氏のマルクス研究は先に批判された不破哲三氏の社会科学研究所の私物化疑惑を彷彿とさせます。

マルクスの原典を調べて新しいことがわかったとか、草稿をひっくりかえしたら無名の人が書いたリーフレットの文句が『資本論』で採用されていることがわかったとか、さも「発見」のように志位氏は言っています。

 

ああこれは、イスラム教のコーラン研究者気取りなのでしょうか。

イスラム教ではシャーリアという体系はイスラム法学者の解釈によります。

それは今でも続いています。

 

イスラームの法は、コーラン(クルアーン)に書かれていることを基本として、学者たちが作り上げていったもので、イスラーム教の信仰や儀礼のあり方から、家族や取引の決まりなどの日常生活にかかわる規範となっている。イスラーム世界ではムハンマドの言行録であるコーランとそれを補い、ムハンマドの伝承を集めたハディースとあわせた規範がイスラーム法とされ「シャリーア」と言われている。現在のイスラーム諸国では、近代的な法律が制定されているが、実社会では依然としてシャリーアのきまりは道徳的規範として生きている。その内容はイスラーム世界独自のものが多く、例えば、結婚は、男性は妻を4人まで持つことが許されること、飲酒は禁止されていることなどがコーランにも記されている。

 

 

われわれだけがイスラムのコーランの教えをわかるのだと法学者は言います。

それだけイスラムでは法学者が権威付けされています。

 

それと同じ事が共産党で起きているように見えます。

 

マルクスの教えはわれわれだけが知っているという不破氏の方法を志位氏が引き継いだのです。

 

ああ、マルクス原理主義。

それはマルクス主義が共産党のなかで宗教化している表れではないでしょうか?