1.袴田里見裁判から導かれるもの

 

今回の裁判で松竹氏側は、昭和63年の袴田里見事件の判例変更、それも「部分社会の法理」を見直す視点から袴田裁判の判例変更すべきと述べている。

 

共産党袴田最判 (最3小判昭和63年12月20日集民155号405頁)は、「政党の結社としての自主性」のみを根拠に、政党の処分の当否に対しては、説示①「一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審査権は及ばない」と判断した。また、説示②「一般市民としての権利利益を侵害する場合」であっても、自律的に定めて法規範があるときは、これが公序良俗に反するか否かを審査したうえで当該法規範に基づき、こうした法規範がないときは条理に基づき、適正な手続に則ってなされたか否かにより決すべきであると判断している。具体 的な判決文の説示は次のとおりである(下線及び太字、①②は、原告訴訟代理人によ
る。)。


政党 の 結社 と して の自 主 性に か んが みる と 、政 党 の内 部的 自 律権に 属す る 行為 は 、法 律に 特 別の 定 めの ない 限 り尊 重 すべ きで あるか ら、 政 党が 組 織内 の自 律 的運 営 とし て党 員 に対 し てし た除 名その 他の 処 分の 当 否 に つい て は、 原 則と して 自 律的 な 解決 に委 ねるのを相当とし、したがって、①政党が党員に対してした処分が 一般 市 民法 秩 序と 直接 の 関係 を 有し ない 内 部的 な 問題 にと ど まる 限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであり、他方、②右処分が一 般市 民 とし て の 権 利利 益 を侵 害 する 場合 で あっ て も、 右処 分の当 否は 、 当該 政 党の 自律 的 に定 め た規 範 が 公 序良 俗 に反 する などの 特段 の 事情 の ない 限り 右 規範 に 照ら し 、 右 規範 を 有し ない ときは 条理 に 基づ き 、適 正な 手 続に 則 って され た か否 か によ って 決すべ きで あ り、 そ の審 理も 右 の点 に 限ら れる も のと い わな けれ ばならない。

(以上、太字は最高裁判決文より)


しかしながら、共産党袴田最判は、小法廷限りの判断であることに加え、民集登載判例でないことから、その先例的価値はない。仮に、先例としての通用力があるとしても、上記説示は判例変更されるべきである。

 

https://matutake-nobuyuki.com/assets/pdf/20240307_tokyo_chisai/20240307_tokyo_chisai_01_sojyou.pdf

 

 

 

それに対して、日本共産党側は、こう述べている。

 

 

 袴田事件最高裁判決の判旨は、本件にも妥当するものである。したがって、

 

「政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な間題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであり、他方、右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られる」。


 本件では被告の機関が原告を除名処分したものであるが、除名処分は「一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題」であり、裁判所の審判権は及ばない。
 したがって、原告の請求(請求の趣旨第1項)は却下されるべきである。

https://matutake-nobuyuki.com/assets/pdf/20240620_tokyo_chisai/20240612_hikoku_nihonkyousantou_toubensyo.pdf

 

 

同じ昭和63年の袴田里見事件の最高裁判例について、一方は「民集登載判例でないことから、その先例的価値はない。仮に、先例としての通用力があるとしても、上記説示は判例変更されるべきである。」と主張し、もう一方は、「袴田事件最高裁判決の判旨は、本件にも妥当するものである。」と主張する。

 

今回は、袴田里見氏の判決文をもう一度読んで何が本当の争点なのかを、パトラトソクラが一市民の視点から考えてみる。

 

その際に、今回の裁判で令和二年の地方議会の停職をめぐる昭和35年の最高裁判例の判例変更についての論評は省略する。

 

 

2.松竹伸幸氏側の主張

 

松竹氏側は、除名処分の意味と司法審査についてこう述べる。

 

本件除名処分は、原告の共産党員としての権利及び義務(日本共産党規約(甲3)5条等)を失わせしめるにとどまらず、後述(4⑵)のとおり、比例代表選出議員として立候補する自由を剥奪し、原告の名誉権、信用を含む人格権をも侵害するものであるから、共産党袴田最判の判例変更をせずとも、「一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題」とは到底いえず、司法審査の対象になることはいうまでもない。
しかしながら、政党の自主性なるものが「憲法上の根拠」でないことは明らかであるから、法律上の争訟の要件①②を満たす以上、全面的な司法審査の対象になり、「一般市民法秩序と直接の関係を有しない 内部的な 問題」を 司法審査 の対象か ら排除す る理由は 一切ない。

 

法律上の争訟の要件とは、

 

①当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、

かつ、

②それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる

(最高裁昭和51年(オ)第749号同昭和56年4月7日第三小法廷判決・民集35巻3号443頁)である。

 

今回、松竹氏は名誉棄損裁判として争訟の要件を満たすと言っている。

これは、日本共産党側も答弁書で争うと言っているので、争訟の要件は満たすことになる。

 

そして、松竹氏側は八幡製鉄最大判を引用して、政党について憲法上の例外を与えてはいないと言っている。

 

憲法は政党について規定するところがなく、これに特別の地位を与えてはいないのであるが、憲法の定める議会制民主主義は政
党を無視しては到底その円滑な運用を期待することはできないのであるから、憲法は、政党の存在を当然に予定しているものと
いうべきであり、政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素なのである。そして同時に、政党は国民の政治意思を形成する最も
有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事でなければならない。

(最大判昭和45年6月24日民集24巻6号625頁)


そして何より、「政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事」であることから、政党による処分全般についても、
ブラック ボックス にするべ きではな く、全面 的な司法 審査に服 するべきであると述べている。

 

さらに、松竹氏側は、判例変更しなくても司法審査の対象になることを主張している。

 

当然のことながら、本件除名処分は、原告の共産党員としての権利及び義務(日本共産党規約(甲3)5条等)を失わせしめるにとどまらず、後述(4⑵)のとおり、比例代表選出議員として立候補する自由を剥奪し、原告の名誉権、信用を含む人格権をも侵害するものであるから、共産党袴田最判の判例変更をせずとも、「一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題」とは到底いえず、司法審査の対象になることはいうまでもない。

 

そして、裁判所は、「適正な手続に則ってなされたか否か」(手続的違法事由)のみならず、政党による処分が「政党が自律的に定めた規範」ないし「条理」に適合するか否かや「政党の自律的に定めた規範」が「公序良俗に反する」か否か(実体的違法事由)についても審査すべきだと言っている。

 

共産党袴田最判は、「当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反する などの特 段の事情 のない限 り右規範 に照らし 、右規範 を有しない ときは条 理に基づ き、適正 な手続に 則ってさ れたか否 かによって 決すべき であり、 その審理 も右の点 に限られ るものと いわなければならない」と判断している。当該説示を前提としても、「適正な手続に則ってなされたか否か」(手続的違法事由)のみならず、政党による処分が「政党が自律的に定めた規範」ないし「条理」に適合するか否かや「政党の自律的に定めた規範」が「公序良俗に反する」か否か(実体的違法事由)についても、裁判所が審査できることはいうまでもない。

 

そして、手続きの違法として以下の件を上げている。

 

・支部が行うべき除名 処分を特別な事情もないのに地区委員会が行ったこと(規約50条)に係る違法

・意見表明手続(規約55条前段、5条10項)に係る違法

・再審査手続(規約55条後段)に係る違法

 

また、処分理由自体が公序良俗に反するとして実体的な違法についても主張している。

 

 

3.日本共産党側の主張

 

共産党側は袴田事件最高裁判決が政党に自律権を認めた趣旨について、松竹氏側が先例的価値がないと言っていることを批判している。

 

同最判が政党に自律権を認めたことは正当であり、何ら否定されるものではない。
 袴田事件最高裁判決は、「政党は、(中略)国民がその政治的意思を国政に反映させ実現させるための最も有効な媒体であって、議会制民主主義を支える上においてきわめて重要な存在であるということができる。」と判示しているとして、政党の重要性について憲法学者の本を引用している。

 

政党は、「結社の自由を保障し、議院内閣制を採用しているので、政党その他の政治団体の存在を当然のこととして予想している」「国民は有権者団として主として選挙を通じ、あるいは公開討論の場における言論活動を通じて、国家の意思形成過程に関与するが、その過程において政党が重要な役割を果たしている。

(以上、佐藤幸治『日本国憲法論』(成文堂) 4 1 6頁)


政党は、「有権者の意見を吸収・集約し、パッケージとしての政策を提示して有権者の多数の支持を獲得して政権奪取を目指す」「有権者の意思を媒介する存在」

(渋谷秀樹『憲法』(第3版)(有斐閣) 5 3 8頁)

 


そして、袴田事件最高裁判決が、「国民がその政治的意思を国政に反映させ実現させるための最も有効な媒体であって、議会制民主主義を支える上においてきわめて重要な存在である」としていることに言及している。

 

また、有権者が政党に参加して活動するということについても、公権力からの介入が許されれば、政党の自律的運営が否定され、前述の民主政のプロセスが歪められることは明らかであるから、結社の自由(憲法第21条)が保障されなければならないのである。
袴田事件最高裁判決が、「政党の内部的自律権に属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきである」とするのは、以上の趣旨によるものと解するべきである。

このような政党の性格については、袴田事件最高裁判決が出されたときと現在とで何ら変更はなく、その先例的価値は現在も全く失われていない。

 

つまり、政党は憲法21条により「結社の自由」という特別な自律権が与えられており、除名するかしないかは政党の自律権の核心なのであると述べている。

 

政党が党員に対してした除名処分は、内部的自律権に属する行為であり、一般市民としての権利利益を侵害しないこと政党が党員に対して行う除名処分は、政党が、当該党員が当該政党の規約等に照らして除名に値するかどうかを検討して行われるものであるところ、政党にとって、誰を党員として認めるか・認めないかということは、政党をはじめとする団体ないし組織においては組織体構成の自律権の核心的部分である。それは、自律的規範としての綱領と規約、除名をはじめとする統制という自治権能に基づく政党の内部的自律権に属する行為であって、まさに結社の自由によって保障されている。
したがって、本件においても、被告が原告に対して行った本件除名処分は、被告の内部的自律権に属する行為であり、原告の一般市民としての権利利益は侵害されていない。
 

 

これを補うように、昭和63年の袴田裁判をもとにその後、次のような裁判例が築かれているという主張を展開している。

 

・日本新党当選無効請求事件(最高裁小一法廷平成7年5月25日民集49巻5号12 7 9頁)

・民主党除名処分無効確認請求事件(東京地判平成23年7月6日 平成2 2年(ワ)第1 5 8 2 6号除名処分無効確認等請求事件判例タイムズ1380号243頁)

・自民党除名処分無効請求事件(東京地判令和4年6月14日 令和3年 (ワ)第2 5 2 3 9号除名処分無効確認等請求事件LLI/DB判例秘書)


 

4.袴田里見裁判の判決文をもう一度読む

 

松竹伸幸氏の訴状、日本共産党の反論書のどちらにも袴田里見氏の判例が出てくる。

昭和63年に最高裁の判決が出た裁判は、おおよそこういう事件だった。

 

袴田氏は1977年に日本共産党の幹部から干されたため、その借家を追い出されるはずだった。でも、袴田氏はそれからもその借家に10年以上居座っていた。
袴田氏がその家にしつこく居座ったために、日本共産党から袴田氏家屋の明渡で訴えられたのだった。

裁判は1988年に始まった。
日本共産党は、袴田氏に1983年8月1日からの家賃月額15万円の滞納分を払えと裁判所へ訴えた。
袴田氏はそのとき、84歳になってた。

日本共産党は袴田氏に、書面で建物の明渡しを請求した。日本共産党は、6か月の猶予をやるから、賃料分の1か月15万円で3年分払えと袴田氏に迫った。けれど、袴田氏はこれに応じなかった。
除名処分こそ不当だという理由だ。

裁判で、袴田氏が除名処分になった理由を日本共産党はいくつか上げていた。
最大の理由は、「被告が『週刊新潮』に党を攻撃する文章を発表した」ということだった。
二番目は、袴田氏が1976年12月7日に衆議院議員総選挙後の常任幹部会々議で宮本顕治氏や幹部を批判したことだ。それが、党中央に反対する自分の同調者を作ろうとする悪質な分派活動に通ずるとされた。
三番目は、袴田氏が党にかくれてソ連共産党中央委員会に個人的使者を送ったとされた。これが党の国際関係を傷つける重大な規律違反であるとされたのだった。
四番目は、袴田氏が、党の議長スパイ説をでっちあげて党の団結と規律に正面から挑戦し、党への破壊行為を行なったとされたことだ。党議長とは、野坂参三氏のこと。戦争中は中国に亡命していた。

これらの理由はどれも袴田氏としては納得できるものではなかった。
まず最初の『週刊新潮』への投稿についてだが、これは隠しようもない事実だ。しかし、袴田氏はそれまでに会議で党の批判をしたということで党員としての権利を制限されていた。党内部で発言する機会を奪われてしまっていたのだ。それでやむなく、自分の主張を社会に発表する方法として週刊誌を選んだった。

そのほかの除名の理由は付け足し、または誤解に基づくものだった。

二番目の党への批判。それは1976年12月7日、衆議院議員総選挙後の常任幹部会の会議で宮本顕治氏ら幹部会員に批判を加えたことだ。袴田氏は、宮本顕治氏が機関紙拡張一本ヤリなので、党員は疲れ切って足が重くなっていることを指摘した。足が重くなると大衆運動に力が入らなくなると。
「日本共産党が依拠しなくてはならない大衆勢力のなかで、われわれへの信頼が減っている、という事実がある。今の宮本顕治体制に党内民主主義はありません。僕よりも宮本顕治のほうこそ党規約を尊重していない。踏みにじっている」
そう袴田氏は会議で述べた。
このことを袴田氏は妻や自分の知り合いの党員にも話していましたが、それも宮本顕治氏の耳に届いて、「分派活動をしている」ことになった。

しかし、袴田氏の場合、党が敗北した直後に開かれた会議で、選挙活動に対する反省、批判を述べただけだった。これは、「党員は党の政策について討論し、組織や個人に対して批判することができる」(当時の党規約3条)ことに基づいている。袴田氏が会議で党の選挙活動等に対し批判的発言をしたとしても、これについて責任を問われるべき理由はない。さらに妻との愚痴話が分派活動になった。

こうやってみると、昔も今も除名理由ってこじつけなのがわかる。
それでも共産党は「結社の自由」だから許されると思っているフシがある。

しかし、袴田氏は、宮本顕治氏を批判した会議ではかなり興奮していた。
その激情の余り、持病の心臓発作を起こして、会議の途中で退席し、病院に運ばれた。袴田氏は治療に当たった医師らにその会議の様子を話した。そのときに「宮本顕治氏は党の独裁者であり、横暴である」とも言ったのだ。この病院は党員が医療者として多く働いていたため、袴田氏の話したことはすぐに、党指導者を非難する内容の発言をしたと党本部に伝わった。それで、その病院でのことも、「党外部における発言には党の規約に違反する疑いがある」となったのだ。

除名の三番目の理由である袴田氏がソ連共産党中央委員会極東部長に使者を送ったというのはたんなる誤解だった。
最後の野坂スパイ説は本当のことだった。
袴田氏は野坂議長のスパイ説を長年の疑惑として抱いていたことを指摘していた。党がこの事実を調査せずに放置しておくのはおかしいと主張し、その疑惑に関する資料も党に提出した。
野坂氏は101歳まで生きたが、このスパイ説が本当だったことを、野坂氏本人は1992年に著書で認めた。

しかし、それよりはるか前に袴田氏は除名処分になっていたのだ。

 

そういう背景のもとで家屋明け渡しの裁判が争われた。

 

結社の自由が問題になったが、控訴審(第二審)までに除名理由と除名手続きについて、裁判所は審議した。

 

その結果、控訴審では以下のように判断された。

 

そして、右認定の事実によれば、被控訴人のした本件除名処分には、控訴人の主張するような手続上の瑕疵は全くなく、被控訴人としては、本件除名処分を決定するに当たり、党常任幹部会内に特別の調査委員会を設けて控訴人の党規約違反の有無を調査し、当該被調査者本人である控訴人に対しても再三出頭弁明の機会を与えたのに、控訴人は、その出頭要請を拒否するなどして殆んどこれに応ぜず、党規約上の権利を放棄したものであって、被控訴人のとったこれらの手続に欠けるところはないし、控訴人に対する党員の権利制限が党中央委員に選出される機会を奪うために仕組まれたようなものではないことも明らかであり、本件除名処分の通知書の記載内容が格別抽象的で不明確なものでなく、党規約に基づく再審査申立等に何らの支障もなかったことが十分認められ、他に本件除名処分の効力を妨げるような手続上の不備、欠陥、その他違法不当な瑕疵も見当らない。したがって、本件除名処分は、党の内部機関がその権限に基づいて党規約に従ってしたものであって、その手続には何らの違法もなかったといわねばならない。


(三) そして、前記(二)の(1)認定の事実によると、被控訴人のした本件処分について、その理由の有無の認定が著しく恣意的であるとか、その処分が不法な動機に基づきあるいは制裁の目的を著しく逸脱する等の制裁権の濫用にわたることをうかがわせる事情は見当たらず、他に右のような事情を認めるに足りる証拠はない。


(四) そうすると、党の内部機関である党統制委員会が昭和52年12月30日控訴人を除名することとした本件除名処分の決定には、その効力を妨げられる事由はないことになるので、有効にされたというほかなく、かつ、これによって控訴人は日本共産党の党員の資格を失なったものというほかないことになる。

 

 

つまり、除名理由について根拠があり、手続き的にも共産党には瑕疵がないので、除名処分は有効であると判示されたのである。

 

しかし、袴田氏側は上告した。

袴田里見氏側の上告理由はその手続き審査では瑕疵がないとされたが、実体審査を行っていないことにたいする物言いだった。

 

判決は、その理由三、29丁以下において、上告人の本件建物の使用権限(本件建物の利用関係)について判断するに際し、本件除名処分が司法審査の対象となるかいなかについて、その手続的、実態的瑕疵を問題としたうえで、
「それが個人の権利、利益の侵害をもたらす場合において、当該処分の手続自体が著しく不公正であったり、当該処分が政党内部の手続規定に違背された等、手続的な問題については、裁判所がこれを司法審査の対象として、その適否を判断することができる」
との基準を示している。そしてこのことを前提として本件除名処分につき上告人の主張するような党規約違反等の手続上に瑕疵があったかどうかについて検討を進めているものである。即ち原判決は、たんに手続自体の不公正、あるいは手続規定の違背だけを司法審査の対象とし、
「当該処分を課すべき理由があるかどうか、又は当該処分を選択したことが相当であるかどうかの実体的な問題については、原則として、これを内部的判断にゆだねるべきであり」(33丁)
として、これを原則として司法審査の対象からはずしてしまっているのである。

こうして、原判決は、処分の手続的側面と実体的側面とを区分し、その手続的側面の判断で足るとの基準を原則にすえているのである。

しかしながら当該処分についての手続的側面の正確、公正、妥当な判断は、実体的側面と無関係になされうるものでないことはいうまでもない。

処分の動機、目的、処分に至る経緯の不法、不当が処分の手続面と密接、不可分に作用し、手続の違法、無効を招来するのである。

司法は手続的形成面と、理由的実体面の両者を総合判断することによって、かかる事実に関する国民の権利保全の実現・侵害を正しく判断できるものというべきである。

かような意味から原判決が、前掲名古屋高裁判決や名古屋地裁決定が、国民の権利、市民的権利の保全にかかわる司法審査の限界につき、司法の立場からの明確な基準を設定しているのに対して、かような従来の判決とは異る法解釈の立場をとり焦点を二分してしまったのは、前記法令の解釈を誤り、審理不尽の違法を招来していると言うべきである。その結果、原判決は、手続違背についての具体的事実の認定及びその評価については、きわめて皮相的な判断となり、安易な事実認定をなし、その結果本件の真相を見誤るに至っている。

結局において、原判決は、憲法第21条、第32条、裁判所法第3条の解釈を誤り、従来の判例にも違背しているといわざるをえない。

 

 

 

そして、判決に影響を及ぼすこと明らかな審理不尽による理由不備乃至は法令解釈の誤りがあったので、控訴審を破棄すべきというのだ。

 


上告人に対する除名処分が党規約違反であることは既に詳述したとおりであるが、此処では、同じく党規約違反を観点を変えて論述してみたい。
即ち、上告人の除名処分は党規約上効力を発生していないか、少くとも確定していない、ということである。

(一) 党規約第31条によれば、「中央委員会」は「中央委員会幹部会」と「幹部会委員長1名」を選出するとされている。即ち、「幹部会」なる会議体の設置と委員長の選出のみが行なわれることが規定されているだけである。「幹部会副委員長」の選出は任意とされている。
右規定の結果、「中央委員会幹部会」なるものはその構成員、会議体としての権利、義務については具体的な規定が置かれていないということになる(尤も第32条は中央委員会の職務を行う旨を定めている)。その為幹部会なるものが会議体として機能するためには、人事面において特定の人物の独裁を許さざるを得ないということになる。

(二) 次に規約第32条は「幹部会」は「常任幹部会」をおく、として常任幹部会なる会議体を必置のものとしている、しかし、その構成員、会議体としての権能は何等明定していない。構成員、権能を明定しなくとも当然のものとの考えによるのか、或いは特定人物の独裁を許す趣旨であるのか不明である。しかし、そのいずれであるにせよ、公党として社会的に存在し、その活動等の社会に与える影響の大なることを考えると極めて異例な規約と言わざるを得ない。

(三) そこで本件上告人に対する処分であるが、原判決の認定によれば、統制委員会が党常任幹部会の承認を得て除名処分を決定したものである。右決定により直ちに効力を生じ確定したとの趣旨に受けとれる。

右の「常任幹部会の承認」は原判決の認定の仕方からすると、先ず上告人が自ら弁明の機会を放棄したと結論づけたことに正当性を与え、除名の決定、確定をさせるという極めて重要な役割りを果している。

しかしながら、既に見て来たとおり、党常任幹部会なるものは、党規約上構成メンバーを特定することが不可能であると同時に規約上の具体的権能を全く有していないのであるから、上告人を除名するにつき、統制委員会に対し如何なる「承認」をも与えることは出来ない。従って、上告人が自ら弁明の機会を放棄したと統制委員会が結論ずけることへの正当性を付与することは出来ないし、除名の効力を発生させ、確定させることも不可能である。更に基本的なことは、もし仮に上告人を除名した統制委員会の委員が、常任幹部会が選出したのであるとすると、前記のとおり常任幹部会の機能は党規約上何等具体的に規定されていないのであるから、右統制委員会は規約上無権限の会議体によって選任・設置された規約上全く根拠のない存在であり、そのような無効、無権限の会議体のなした除名決定なるものも、法的効果を生ずるに由ないものであることは明白であると言うべきこととなる。

(四) 以上要するに、本件上告人に対する除名処分なるものは党規約上具体的権限を有しない機関によって為された無効なものであり、少なくとも除名決定は未だ確定されたとは言い得ない。

然りとすれば、その余の点を判断するまでもなく、原判決の無名契約なる概念で処理したとしても上告人の本件建物使用権限は正当に是認されることになる。

原判決は以上の諸点につき充分な審理を尽さず、その結果判決に重大な影響を及ぼす理由不備乃至は法令適用の誤りを招来している。因って、原判決は破棄せらるべきである。
 

 

要するに、控訴審で敗訴した袴田氏側は、手続き審査で共産党側に瑕疵がないとされたのを不服として、その規約による除名理由の実体審査をすべきというものだった。

 

しかし、上告審の判決はこのように述べている。

 

政党の性質、目的からすると、自由な意思によつて政党を結成し、あるいはそれに加入した以上、党員が政党の存立及び組織の秩序維持のために、自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあることもまた当然である。右のような政党の結社としての自主性にかんがみると、政党の内部的自律権に属する行為は、法律に特別の定めのない限り尊重すべきであるから、政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名その他の処分の当否については、原則として自律的な解決に委ねるのを相当とし、したがつて、政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであり、他方、右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であつても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則つてされたか否かによつて決すべきであり、その審理も右の点に限られるものといわなければならない。
 本件記録によれば、被上告人は前記説示に係る政党に当たるということができ、本訴請求は、要するに、被上告人と上告人との間で、上告人が党幹部としての地位を有することを前提として、その任務の遂行を保障する目的で上告人に党施設としての本件建物を使用収益させることを内容とする契約が締結されたが、上告人が被上告人から除名されたことを理由として、本件建物の明渡及び賃料相当損害金の支払を求めるものであるところ、右請求が司法審査の対象になることはいうまでもないが、他方、右請求の原因としての除名処分は、本来、政党の内部規律の問題としてその自治的措置に委ねられるべきものであるから、その当否については、適正な手続を履践したか否かの観点から審理判断されなければならない。そして、所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし正当として是認する
ことができ、右事実関係によれば、被上告人は、自律的規範として党規約を有し、本件除名処分は右規約に則つてされたものということができ、右規約が公序良俗に反するなどの特段の事情のあることについて主張立証もない本件においては、その手続には何らの違法もないというべき
であるから、右除名処分は有効であるといわなければならない。
 これと同旨に帰する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、失当である。論旨は、ひつきよう、右と異なる見解に基づいて原判決を論難するか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

 

※太字はパトラとソクラ

 

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/340/062340_hanrei.pdf

 

 

 

 

ちょっとわかりにくいが、こういうことだ。

抗告理由として、袴田側は控訴審まで裁判所が手続きの審査を行ったが、除名理由の実体審査をしていないことが問題であると主張した。そもそもどこでどうやって除名処分をするのかを共産党は明確には決めていなかったのも問題であると。

 

しかし、最高裁判所は、「政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであり、他方、右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であつても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則つてされたか否かによつて決すべきであり、その審理も右の点に限られるもの」と判示した。

 

これを上告理由との関係で解釈するとこういうことだろう。

 

袴田氏の除名処分が単なる政党からの除名で一般市民法と関係なければ単なる内部問題として司法権は及ばない。しかし、家屋明渡という権利権益を侵害するケースだった。こういう場合でも、日本共産党の規約自体が公序良俗に反していないかぎり、その規約で適正に除名処分されたのかどうかを判断することになる。そういう規約がない場合は、条理にもとづいて適正な手続で処分されたかどうかを判断すべきであると裁判所は上告を棄却した。

 

つまり、除名理由について、裁判所は立ち入らないが、手続きが適正に行われたかどうかを審査した控訴審判決の通りなので、上告審への訴えは退けるということだ。

 

その結果、袴田里見氏は80歳を越えてから、長年住んだ家を追い出されることになったのだ。

 

規約の内容と除名理由という実体の審査について、裁判所は政党の自律権の範囲外だと認めた。

しかし、その規約による除名処分が適正に行われたかどうか、瑕疵があったかなかったのかについて裁判所は審査した。

 

今回の松竹氏の裁判では手続き審査をするとどうなるのだろうか?

 

松竹氏側は、3つの瑕疵については訴状で問題にしている。

①支部が行うべき除名処分を特別な事情もないのに地区委員会が行ったこと(規約50条)に係る違法
②意見表明手続(規約55条前段、5条10項)に係る違法
③再審査手続(規約55条後段)に係る違法

 

①②は手続きの瑕疵なんだろうが、③再審査手続きについて共産党は、規約に細かく定めていない。

これは政党が裁量で決められるのかどうか?

つまり再審査は党大会で審査するということを大会議運団だけで決めることが有効か無効か?

 

政党の除名処分について、裁判所の司法審査が及ぶ限界はどこなのだろうか?

 

袴田判決では、実体審査は政党の自律権の範囲なので、公序良俗に違反する規約であったりすることを別として、基本的には司法審査は及ばない。

しかし、手続き上の瑕疵については司法審査の対象になるということだ。

 

松竹氏側の平弁護士が袴田里見裁判の判例変更を主張するのは、例えば③について、その方法を共産党が定めていないことは政党の自律権でその政党に裁量があるのか、それとも条理に従うのかという問題があるからなのだろう。

 

袴田裁判で日本共産党は勝利した。

それは袴田里見が家屋の引き渡しを許可したが、共産党が強制的に退去させる権利があることが認められたのだ。

それはひとえに袴田里見氏が党規約に従った除名処分の調査手続きなどに従わなかったことで、瑕疵は袴田氏にありと判定されたことも影響している。

 

今回、その教訓に学んだのは松竹伸幸氏だった。

日本共産党は袴田里見裁判を教訓にしなかった。

もし、教訓にしていたら、除名処分の再審査の手続きなどを規約に定めていただろうし、何より除名処分について規約に忠実にもっと慎重にどこの委員会が決めるのか、弁明の機会をどうやって与えるのか考えたはずだ。

 

「勝者は学習せず、敗者は学習する」。

 

誰が言ったのかは知らないが、名言だ。