1.ブランコ・ミラノビッチによる資本主義の定義

 

ブランコ・ミラノビッチの『資本主義だけ残った』(みすず書房)という本が2019年に出版された。

 

 

この本の中で、ブランコ・ミラノビッチは中国のことを資本主義であると言っている。

どういうことかというと、ブランコ・ミラノビッチは今の資本主義をリベラル能力主義資本主義と権威型資本主義に分けているのだ。

 

資本主義による世界の支配は、二つの異なるタイプの資本主義によって達成された。ひとつは、過去200年かけて欧米で徐々に発展してきた「リベラルな能力主義的資本主義」、もうひとつは、国家が主導する「政治的資本主義ないし権威主義的資本主義」だ。後者の代表は中国だが、アジアの他の地域(シンガポール、ヴェトナム、ビルマ)、そしてヨーロッパやアフリカの一部(ロシアとコーカサス諸国、中央アジア、エチオピア、アルジェリア、ルワンダ)にも存在する。人類の歴史には珍しくないことだが、あるシステムないし宗教が勃興し、いっとき勝利したかに見えて、そのすぐあとに同じ信条を掲げるさまざまな異型どうしで一種の分裂が起きる。たとえば地中海沿岸や近東でキリスト教が席巻したのち、苛烈なイデオロギー論争と分裂を経て(最も顕著だったのは正統派とアリウス派との対立)、ついに最初の大きな亀裂が生じた結果、西方教会と東方教会とに分裂した。イスラム教の運命も同様で、目もくらむような征服を成し遂げたのち、まもなくスンニ派とシーア派に分裂した。そして最後に、20世紀における資本主義のライバルである共産主義も、一枚岩を保てずに、ソヴィエト主導のバージョンと中国のバージョンとに分裂した。この点では資本主義の世界的勝利も例外ではない。現在、この世界には資本主義の二つのモデルが存在する。両者は、政治はもとより経済、また規模ははるかに小さいが社会の領域においても異なっている。そして私の見立てでは、リベラル資本主義と政治的資本主義の競争においては、たとえ何が起こったとしても、どちらかのシステムが世界全体を支配することはまずなさそうだ。

 

『資本主義だけ残った』p.5~6

 

 

 

つまり、これまでヨーロッパやアメリカで200年くらいかけて発展してきた社会制度を「リベラルな能力主義的資本主義」と呼び、もうひとつは、中国など国家が主導する「政治的資本主義ないし権威主義的資本主義」だ。政治的資本主義は、アジアのシンガポール、ヴェトナム、ビルマ、そしてヨーロッパやアフリカの一部も同様にとらえている。

 

 

2.リベラル能力資本主義としての日本

 

では、ミラノビッチの言うリベラル能力主義的資本主義(リベラル能力資本主義)とは何なのだろうか?

 

 リベラル能力資本主義は、その特徴を19世紀の古典的資本主義、ならびに社会民主主義的資本主義と比較することで最もよく理解できるだろう。後者は第二次世界大戦以降、1980年代の初めまで、西ヨーロッパと北アメリカに存在したシステムだ。ただしここでとりあげるのは、この二つのシステムの[理想典型]としての特徴であり、国家間や時間の経過とともに変わる詳細な点は無視することにする。以降のセクションでは、まずリベラル能力資本主義のみに注目するが、その典型とみなせるひとつの国、すなわちアメリカ欧米の経済がこれまで経験した、過去の三つのタイプの資本主義の違いをまとめたものだ。話を簡潔にするために、古典的資本主義の代表として1914年以前のイギリスを、社会民主主義的資本主義の代表として第二次世界大戦以降1980年代の初めまでの西ヨーロッパとアメリカを、リベラル能力資本主義の代表として21世紀のアメリカをとりあげた。「リベラル」と「能力主義」とを区別する二つの重要な特徴、すなわち相続税と公教育の普及が、ここ30年で衰退してきたことで、アメリカが以前よりさらに「能力主義的」ではあるが、さほど「リベラル」ではない資本主義モデルに傾いている可能性にも留意してほしい。

 

『資本主義だけ残った』p.16~17

 

ミラノビッチは、リベラル能力資本主義の特徴を19世紀の古典的資本主義と社会民主主義的資本主義と比較して、次の6つに特徴づけている。

 

1.純生産における資本所得の割合の上昇

2.資本所有の高い集中

3.資本が豊富な人は金持ちである

4.資本所得金持ちは労働所得金持ちでもある

5.金持ち(あるいは金持ちになりうる者)どうしが結婚する(同類婚)

6.親子間における所得の高い相関(優位性の継承)

 

『資本主義だけ残った』p.17
 

 

特にこの社会の金持ちは、資本所有で金持ちであること、労働所得でも金持ちであることが特徴なのだ。

どうしてかというと、古典的な資本主義では資本家(ブルジョアジー)が金持ちであっただけだが、リベラル能力資本主義では、資本も持っているが労働所得も高いというのが特徴なのだ。

外資系の金融関係で働く幹部やスペシャリストを思い浮かべればわかるだろう。

 

リベラル能力資本主義に属する国で、資本所得の経済格差(ジニ係数で表す)と労働所得の経済格差(ジニ係数で表す)と下の図のようになる。

 

 

リベラル能力資本主義のグループのなかで、日本は労働所得の格差より、資本所得の格差が大きな国家であることがわかる。

 

 

3.政治的資本主義とマルクス主義の歴史的役割

 

次に政治的資本主義であるが、ミラノビッチは、まずその前に「共産主義」と「社会主義」についてこう定義している。

 

 はじめに用語について明確にしておく必要があるだろう。「共産主義」という用語はいくつかの異なる意味で使われている。マルクス主義以外では、それは概して政党について用いられ、広義では、それが支配する社会について用いられる。その社会とは、一党だけからなる政府、資産の国家所有、中央集権的計画、政治的抑圧を特徴とするものだ。だがマルクス主義の用語では、共産主義とは人類の発展における最高の段階のことであり、前の文で共産主義として説明した社会は、マルクス主義の見方によれば「社会主義」、すなわち資本主義から共産主義に移行する過程の社会と考えられる。たいていの場合、私は前者(マルクス主義者のものでない)の定義を、話を簡潔にするために一貫して採用するが、共産党に支配された経済の実績を論じるときは、より一般的な「社会主義経済」という呼称を用いる。理由は、「共産主義経済」という用語は、たとえば市場が完全に抑圧されたソヴィエト政権初期の戦時共産主義下のような限られた時期に用いるか、あるいは労働が商品化されず、モノが全般的に豊富であり、「人は能力に応じて働き、必要に応じて分配される」との原則に基づいた仮説上の経済に用いるほうが適切だからだ。後者の経済がかつて存在したことはなかったし、また前者は内戦が誘因となったきわめて特殊な実験的試みで、わずか3年しか続かなかったことから、東ヨーロヅパやソヴィエト、中国といった第二次世界大戦後の通常に機能する経済に、この「共産主義」という言葉を用いると誤解を招くだろう。「社会主義経済」のほうが正確なだけでなく、ブレジネフ時代後半のこうした社会を、ソヴィエトが〔現実に存在する社会主義い(つ現存社会主義にと短く呼ばれることも多い)の社会として説明したこと(不合理なことではない)とも一致する。

 

『資本主義だけ残った』p.81~82
 

 

共産主義というのは、ソ連の1917~1920年くらいにあった戦時共産主義かまたはマルクスが言った「人は能力に応じて働き、必要に応じて分配される」との原則に基づいた仮説上の経済として用いるほうがよいと言うのだ。また、後者の経済がかつて存在したことはなかったとも。

 

また、ミラノビッチは、マルクス史観とリベラル史観における共産主義の役割についてこう説明している。

 

 マルクス主義の観点から従来の共産主義の位置づけを行うのは、とりわけ難しい。その理由は、マルクス主義がもともと(そして今いまでも)共産主義を人間社会にとって最高の発展段階とみなしているからだけではない。マルクス主義にとっての問題とは、社会主義という、人間の進化の最高段階にいたる前段階とされていたものが、数力国で勝利したあとに拡散し、さらに広く地盤を築いたのち、いったいなぜ突如、資本主義に公式に変身することで姿を消したのか(ソヴィエトや東ヨーロッパのように)、あるいは事実上、資本主義に向かって進化しているのか(中国やヴェトナムのように)をどう説明するのかということだ。マルクス主義の枠組みでは、このような進化はおよそ考えられないことである。 「現存社会主義」が、理論上持つとされた特徴を必ずしもすべて持っているわけでないことはさほど問題ではない(それもたしかに問題ではあるのだが。その無階級性にマルクス主義的社会主義者は疑念を持っていたからだ)。マルクス主義歴史観が説明する必要のある重要な、そしてどうにも解けそうにない問題とは、社会主義のような優れた社会経済構造が、一体ぜんたいどういうわけで、劣った構造に退化することがありえたのかとい
うことだ、マルクス主義からすれば、それは社会が資本主義と産業革命を経てブルジョワジーと労働者階級を生み、それから突如、以前は自由だった労働が再び土地に縛られ、貴族階級が労働を強制し税金をいっさい払わぬような封建的秩序になぜ退化したのかを説明しろというのと同じだ。ほかの誰にとってもそうだろうが、マルクス主義者にとってこうした展開はまったく理屈に合わないことに思えるだろう。とはいえ、共産主義が[転落]し、資本主義に逆戻りするのもそれに劣らず理屈に合わないことだし、従来のマルクス主義の枠組みでは説明のつかないことだ。
 それはリベラルの枠組みでのほうが、完璧とはいかないまでも、もっとうまく説明できる。1990年代に『歴史の終わり』でフランシス・フクヤマが的確にとらえたリベラルな見方によれば、リベラルな民主主義や自由放任の資本主義は、人類が発明した社会経済学的構造の終着点である。マルクス主義者には、はるかに低い(劣った)制度に不可解にも逆戻りするかに見えるものを、リベラル派は、袋小路に入った劣った制度(共産主義)が人類の進化の終着点にまっすぐ向かう道に戻ってくる、じつに理解できる動きだと考える。終着点とは、もちろんリベラルな資本主義のことだ。

 

『資本主義だけ残った』p.82~83
 

要するにミラノビッチの定義によると、中国は共産主義を目指す社会主義の政治経済システムではないのだ。

政治的資本主義、権威型資本主義と呼ぶべき政治経済システムなのだ。

 

(ブランコ・ミラノビッチ)

 

マルクス主義の枠組みでは、1990年頃に起きた共産主義が資本主義に逆戻りすることは説明できない。

しかし、フランシス・フクヤマのようなリベラルな見方によれば、リベラルな民主主義や自由放任の資本主義は、人類が発明した社会経済学的構造の終着点であるので、マルクス主義者には不可解にも逆戻りするかに見えるものを、リベラル派にとっては、袋小路に入った劣った制度(共産主義)が人類の進化の終着点に向かってくるというじつに理解できる動きだと考えるのだ。

終着点とは、もちろんリベラルな資本主義のことなのだ。

 

ミラノビッチは、マルクスとエンゲルスが考えた史的唯物論を「西側発展経路〔WPD、the Western Path of Development〕」

と呼んでいる。つまり、原始的な共産主義から奴隷制、封建制、資本主義にいたる道のことだ。

 

そして、マルクス主義が歴史における自らの主義を説明するのに失敗した理由は、社会経済の形成が継承されることに関して、標準的なマルクス主義の枠組み「西側発展経路〔WPD、the Western Path of Development〕」と、貧しい国や植民地化された国の経済発展の進化とを、マルクス主義が意味のある形で区別していなかったからだとミラノビッチは言っている。

 

古典的なマルクス主義は、WPDがどういった場合に適用できるかを真剣に問うことはなかったのだ。

貧しい国や植民地化された国は、先進国の発展に時間差を伴って追随するだけであり、植民地化や帝国主義の実践によって、自国の社会を資本主義化すると古典的マルクス主義では考えられていた。

これは、アジアにおけるイギリスの植民地主義の役割に対するマルクスの明確な見解であった。しかし、植民地主義は、このような世界的な任務を果たすにはあまりにも弱く、香港、シンガポール、南アフリカの一部など、経済が自己完結型の小規模領域でのみ資本主義を導入することに成功した。

インドではそうならなかったのは、インドが大きすぎたからだろう。


植民地化された国々において、社会的・民族的解放の両方を実現させたのが、共産主義の世界史的な役割であり、先進国では民族的解放の必要性がなかった。

両方の革命を成功させることができたのは、共産主義政党か左翼政党だけだった。

民族革命は、政治的な独立とイコールとなっていた。社会革命は、経済成長を抑制する封建的な制度(法外な高利を取る地主の力、土地に縛られた労働力、男女差別、貧困層への教育機会の欠如、宗教の道徳的堕落など)の廃止を意味していた。こうして、共産主義は〔WPDによる西洋式の資本主義ではなく〕「固有の資本主義」を発展させる道を開いた。

共産主義は機能的には、植民地化された第三世界の社会では、西洋で国内ブルジョアジーが担ったものと同じ役割を果たした。「固有の資本主義」は、封建的な制度が一掃されて初めて確立されるからである。

共産主義を簡潔に定義すれば次のようになる。

共産主義とは、後進国や植民地化された社会に封建制を廃止させ、経済的・政治的独立を取り戻させ、「固有の資本主義」を構築させた社会システムである。

 

 第三世界諸国の実際の位置づけと、西側発展経路(WPD)によって想定された位置づけとのおもな違いを理解するには、1920年代のこれらの国の位置づけにおける以下の特徴を理解することが欠かせない。
すなわち、(a)欧米と比べて開発が遅れていること、(b)封建制ないし封建制に似た生産関係、そして(c)外国による支配である。外国による支配は評判が悪かったが、それでもこれらの社会(中国が格好の例だが)に、自国の開発が遅れていることや自国の弱点への気づきをもたらした。あれほど楽々と征服され支配されなかったら、これらの国は自分たちがどれほど遅れをとっていたかわからなかっただろう。したがって(a)と(c)は後進国に限ったもので、どちらも欧米における同等の段階では存在しなかった。これが、第三世界の国々がWPDの道筋をたどって発展できなかった理由である。

 

『資本主義だけ残った』p.93

 

 

4.中国は資本主義か?

 

中国の民間企業の成長が目立っている。

 

 

今、中国での生産手段の所有はこうなっている。

 

民間企業はただ数が多いだけではなく、多くが大規模企業である。公式のデータによれば、総付加価値によるランキングの上位1%に入る民間企業の割合は、1998年に40%だったが、2007年には65%に拡大した。
 中国の所有権のパターンは、しばしば中央国家、省政府、郷政府、民間および外国の所有権がさまざまな比率でかかわるため複雑なものになっているが、生産者側で計算した総GDPに占める中央国家の役割が20%を超えることはまずないし、国営企業ならびに共同所有の企業に雇用された労働力は、農村部と都市部を合わせた雇用の9%だ(中国労働統計年鑑2017年)。これらのパーセンテージは1980年代初頭のフランスと似通っている。次の3‐で見ていくが、政治的資本主義の特徴のひとつは、まさに国が重要な役割を果たしていることで、それはその正式な資本所有で代理される役割をはるかに超えるものだが、ここでの私の目的は、中国経済の資本主義的性質にまつわる疑いを晴らすことにある。その疑いとは実証的な根拠に基づくものではなく(なぜならデータでは明らかにそうした疑いの誤りが証明されているからだ)、むしろ支配政党が「共産主義」と呼ばれていることだけで経済システムの性質を決めるのに十分であるといった、まことしやかな根拠に基づくものだ。
 さらに所有部門別の固定投資の分配からも、民間投資の割合に明確な拡大傾向があることが見てとれる。民間投資はすでに固定投資の半分以上を占めているが、かたや政府の投資は30%前後である(残りは共同所有部門や外国の民間投資)。

 

『資本主義だけ残った』p.104~105

 

 

 

上の図は、中国における国営企業のシェアの低下を示している。

2015年には20%程度、つまり生産手段の私的所有が80%くらいになっているのだ。

 

 

 

民間企業と国営企業をの比率の推移を示したのが上の図だ。

 

ミラノビッチは、政治的資本主義に二つの特徴をこう述べている。

 

 今日、政治的資本主義を実践する諸国家、とくに中国、ヴェトナム、マレーシア、シンガポールは、きわめて効率的でテクノクラート的なやり手の官僚にこのシステムを任せることで、このモデルを修正してきた。
これはこのシステムの第一に重要な特徴である。すなわち官僚(明らかにこのシステムの主たる受益者)が、高い経済成長を実現し、この目標を達成できるような政策を実行することを主たる義務とすることだ。そしてその支配を納得させるには成長が求められる。官僚が成功するにはテクノクラートであることと、その構成員が成果主義をもとに選ばれることが必要だが、理由は何より法の支配が欠如しているからだ。法の縛りのないことが、このシステムの第二の重要な特徴である。

 

『資本主義だけ残った』p.107

 

つまり、中国、ヴェトナムという社会主義を標榜する国も、マレーシア、シンガポールというような自由主義を標榜する国も政治システムとしては類似と捉えているのだ。

 

 

 1970年代の終わりから1990年代の半ばにかけて中国の卓越した指導者だった鄧小平は、現在の政治的資本主義、すなわち民間部門の活力と官僚による能率的支配と一党政治体制を結びつけた取り組み-イデオロギーを超えた-の創始者と考えてよい。中国の首相であり、短期間だが共産党総書記を務めた(だが1989年の天安門事件後に失脚した)趙紫陽は、その回想録で鄧小平の政治的見解を次のように語っている。「[彼は]多党制、三権分立、欧米諸国の議会制にとりわけ反対し、それらを頑なに拒絶した。政治改革について語るさいには必ずと言っていいほど、欧米の政治体制は断じて採用できないと明言するのだった」。鄧小平の考える経済改革とは、「事実から学ぶこと」、そして民間部門に広い裁量を認めることを土台としていたが、かといってその裁量は、民間部門がその選好を国家や共産党に強制できるほど広範かつ力のあるものではなかった。政治改革は制度の効率性の向上を目的としていたと趙紫陽は書いている。それはたんなる「行政改革」にすぎなかったのだ。
 経済の面では、鄧小平の見方は、保守派の「長老」である陳雲(中国の第一次五ヵ年計画の創設者)のものと大差なかった。陳雲は民間部門のあるべき役割を説明するのに「カゴの鳥」というメタファーを用いた。
民間部門をあまり厳しく支配すると、カゴに閉じ込められた鳥のように窒息死してしまうし、かといってまったく自由にさせれば、飛んで逃げてしまうだろう。そこで最も優れた手法とは、鳥を広々としたカゴに入れておくことだ。このメタファーは中国の改革についての保守派の解釈にかかわるものだが、鄧小平の考えでは民間部門を入れておくカゴのサイズだけが違っていたといえるだろう。とはいえ鄧小平が制限したかったのは民間部門のサイズではなく、その政治的役割だった。すなわち、その選好を国家政策に強制する力を制限したかったのだ。夏明の適切な要約によれば、鄧小平は「国家社会主義から資本主義へのスムーズな移行を計画した建築主任」だったが、それでも彼は「自分が危険だとみなした発想を粉砕するのに躊躇せず……[1986年には]「ブルジョワの解放」傾向を阻止し、「1989年には」学生デモを暴力で鎮圧しか」。
この二重のレガシーこそ、鄧小平の中国のみならず、もっと広く政治的資本主義のモデルの特徴だった。

 

『資本主義だけ残った』p.108~109
 

 

鄧小平にとって、資本主義を「カゴの鳥」と捉えているというのだ。

天安門事件は、そのカゴから出ようとした危険性があったので力づくで弾圧したのだ。

 

 

しかし、この政治経済システムの特徴のひとつに汚職などの腐敗がある。

 

上の表で腐敗ランキングを見ると、中国がまだましなのである。

アフリカのアンゴラの次が、アジアの社会主義国であるヴェトナムとラオスになっている。

 

そしてミラノビッチは中国がこの政治経済システムとして成功するかどうか、これをモデルとして輸出できるかどうかについてこう書いている。

 

 政治的資本主義か成功するための決定的要因


 政治的資本主義が成功したモデルになるか否かは、次のことにかかっている。(1)政治を経済と切り離すことができるか。とはいえ国家が重要な経済的役割を果たしているため、これは本質的に難しい。さらに(2)狭いビジネス上の利害だけでなく国益に洽った決断を行える腐敗のわりと少ない中央集権の「支柱」を維持できるか。(2)のほうが、過去に革命を経験し、革命による葛藤の産物であることも多い中央集権を擁する政権では実現しやすい。とはいえ時が経つにつれて、許容できる程度に腐敗を抑えることがますます難しくなり、このシステムの他の利点を帳消しにするか、場合によっては逆転しかねない。このシステムの矛盾のどちらも、腐敗ならびに腐敗から生まれた不平等に関係することを思い出してほしい。
 政治的資本主義が輸出される可能性は限られるが、それは(1)と(2)、つまり政治を経済と切り離し、腐敗のわりと少ない政権を維持できそうな国がほとんど見当たらないからだ。言い換えると、このシステムを輸出したりコピーしたりはできても、たいていの場合、経済的な成功は望めないかもしれない。このことは結局のところ、このシステムのグローバルな魅力を蝕むことになるだろう。

 

『資本主義だけ残った』p.150
 

 

 

5.これからの二つの資本主義

 

資本での経済格差と労働での経済格差を超えるものとして「福祉国家」がある。

福祉国家は「国内の資本と労働の衝突を超越する手段の一つである市民権という発想に基づいている。

北欧のようにウェルビーイングを求めるリベラル能力資本主義国家は理想と言えるが、問題もある。

 

 福祉国家と市民権の密接なつながりが政治に及ぼす影響のひとつは、一部の左派政党(フランスの「服従しないフランス」やデンマーク、オーストリア、オランダ、スウエ上アンの社会民主党)がグローバリゼーションに反対の立場をとることだ。これらの政党は資本の流出にも(たとえどこかよそでもっと多くの仕事が生まれるとしても、貧困国へのアウトソーシングと投資か富裕国での仕事を壊滅させることにっながるため)、また移民にも反対している。福祉国家の創設に重要な役割を果たしたこうした左派政党は、ナショナリストならびに反インターナショナルであるという一見逆説的な立場をとり、インターナショナルな社会主義の長さにわたる伝統を破っている。この態度の変化は、過去150年に起きた経済状況の変化から生じたものだ。それは国の違いを問わず貧乏な人の経済状況を均等にする運動から距離を置き、金持ち世界において複合的かつ包括的な福祉国家を建設するというものだ。したがって左派政党の政策転換は偶然などではなく、長期的な傾向への反応なのだ。左派ないし社会民主党は、産業および公的部門の労働者にかなり明確な支持層を持ち、こうした大びとは資本と労働双方の自由な移動にその仕事を脅かされている。インターナショナリズムの伝統を捨てたおかげで、これらの政党はますます右派政党と政治的に近い似通ったものになり、しばしば(フランスのように)右派政党と政治の場や投票者を共有している。

 

『資本主義だけ残った』p.183
 

 

ミラノビッチは、今後の世界について大きく二つの方向を見ている。

 

ひとつはリベラル能力資本主義が、さらに「民衆資本主義」、「平等主義的資本主義」と呼べるような政治経済システムに変化することだ。

そのためには以下の方策を示している。

 

 1 中間層を対象に、とくに金融資産と住宅資産のアクセスに税制上の優遇措置を設け、それに応じて富裕層に増税し、さらに相続税率を再び引き上げる。目的は、富裕層の手にわたる富の集中を減らすことにある。


 2 公教育の予算を顕著に増やし、その質を改善する。公教育の費用は中間層だけでなく所得分布の下位30%に入る人びとも利用できる程度まで下げなければならない。目的は、世代間の優位性の継承を減らし、機会の平等化をより現実のものにすることにある。


 3 市民と非市民との二者間の強固な分断をおそらく終わらせる「軽い市民権」を導入する。目的は、ナショナリストの反発を招くことなく移民を許可することにある。


 4 政治運動への資金提供を厳しく制限し、出所は公的資金のみに限定する。目的は、富裕層が政治プロ七スを牛耳り、永続する上位層を形成する力を弱めることにある。

 

しかし、それはユートピア的かもしれない。

一方で、ディストピア的な未来もミラノビッチは描いている。

 

 あるいはリベラル資本主義と政治的資本主義がひとつに収束するのだろうか。リベラル資本主義のまったく異なる進展とは、金権政治、そして最終的には政治的資本主義に向かう動きになるだろう。この筋書きもありえなくはない。まして今日のリベラル資本主義で金権政治の特徴がさらに強まれば、こうした進展はますます起こりうるものになるだろう。それは、リベラル資本主義のもとで形成されつつある新たなエリート層の利害とかなり一致したものになるはずだ。おそらくエリート層は、今よりはるかに社会から独立した立場に就くことができる。実際、第2章で示したように、エリート層が温存されるためには、彼らが政治的領域を支配すること、つまり私が「富と権力を結びつける」と呼ぶものが必要だ。リベラル資本主義のもとで経済的な力と政治的な力が結びつけば、リベラル資本主義がますます金権主義的なものになり、政治的資本主義に似通ったものになってくる。後者の資本主義においては、政治的な支配こそが経済的な利益を獲得する道である。もともとはリベラルなものだった金権的な資本主義では、経済力は政治を牛耳るために使われる。この二つのシステムの終着点は同じものになる。エリート層がひとつに結束し、居座りつづけるのだ。
 エリート層は政治的資本主義のテクノクラートなツールを使うことで、自分たちが社会をもっと効率的に動かせると信じているかもしれない。政治的資本主義への移行に拍車がかかるとしたら、それは若者たちが、多かれ少なかれ同じ政策を続ける主流政党にますます嫌気がさして、民主主義的なプロ七スが意味のある変化につながるとの希望を失ったときだ。政治的資本主義の目的は、人びとの頭のなかから政治を消し去ることにある。そしてそれがますます容易になるのは、国内の政治に人びとが幻滅し、無関心がいよいよ広かったときなのだ。
 リベラル資本主義が政治的資本主義に進むとしたら、第3章で説明した特徴のすべて、もしくはほとんどを披露するだろう。国民を満足させておける比較的高い成長率をもたらすために、経済をすこぶる能率的に管理することが求められるだろうし、こうした対策を実行するために有能な官僚が必要になるだろう。そしておそらくはこのシステムに土着の腐敗が増えることになり、そのことが、長い目で見れば必ずや政権の存続にとっての脅威になるはずだ。

 

『資本主義だけ残った』p.258~259

 

つまり、ミラノビッチは、リベラル資本主義のまったく異なる進展とは、金権政治、そして最終的には政治的資本主義に向かう動きになることもあるとみている。

リベラル資本主義のもとで経済的な力と政治的な力が結びつけば、リベラル資本主義がますます金権主義的なものになり、政治的資本主義に似通ったものになってくるのだ。

 

この本の最後の解説で梶谷懐氏はこう書いている。

 

 21世紀になり、資本主義対社会主義というイデオロギー的な対立が姿を消したあと、新たに浮上したのが「リベラル能力資本主義」と「政治的資本主義」の二つの体制間の衝突である。いうまでもなく前者の代表が米国で、後者の代表が中国である。現在、両国は激しく対立しているが、どちらもグローバル化した資本主義の申し子であり、弱者を食い物にして成長してきた点では大した変わりはない、と著者は明確に指摘する。
 高度にグローバル化した資本主義のもとでの格差拡大が最も顕著なのは、「リベラル能力資本主義」に分類される西側先進諸国のほうである。これらの国々では一部の富裕層への資本の集中がますます加速しつつあるほか、彼らが莫大な労働報酬も得るようになっている。また、婚姻事情のような一見経済とは関係のなさそうな問題も、格差の拡大に貢献している。かつてに比べ、より「釣り合いのとれた」、すなわち所得水準が同等な相手と結婚する度合いがますます高まっているからだ。
 では、現在の先進国経済は、なぜこのように不平等を不断に拡大させるものになったのか。ミラノヴィッチによれば、第二次世界大戦後のより社会民主主義的な資本主義体制のもとで所得と不平等の縮小をもたらした「四つの柱」、すなわち交渉力の強い労働組合、教育の大衆化、累進性の高い税負担、政府による大規模な所得移転といったものが、次第に機能しなくなっていったからだ。このような視点は、膨大な統計データをもとに、冷戦終結後の世界各国において資本の分配率が次第に上昇し、それと並行して所得格差が拡大していることを明らかにしたトマ・ピケティの『21世紀の資本』(みすず書房、2014年)などとも共通する。
 この状況を改善するには、従業員持ち株制度などを通じて中間層による富の蓄積を促進すると同時に、政府が積極的な再分配政策を行い、これ以上の資本の集中に歯止めをかけるしかないはずだ。しかし、一方でグローバリゼーションと経済移民の拡大が、そのような富の再分配を通じた資本の集中の改善を妨げている。その結果、先進国が福祉国家の充実を目指そうとすると、深刻な「逆選択」、すなわち相応の負担を担うべき富裕層が、率先してそのシステムから離脱していく、という現象にさらされる。なぜなら、国内における民間会社による代替サービスの提供が、公的な福祉サービスからの富裕層の撤退を招くと同時に、そういった富裕層は福祉国家の高い税負担を嫌って資産や居住地をより負担の少ない外国に移そうとするからだ。
 

 

ミラノビッチの定義では、中国は政治的資本主義の国家である。

それは、資本主義対社会主義というイデオロギー的な対立が姿を消したあと、新たに浮上したのが「リベラル能力資本主義」と「政治的資本主義」の二つの体制間の衝突の結果である。

 

リベラル資本主義の可能性として、福祉国家を目指す道がある。

北欧のようなウェルビーイングを目標とする国家だ。

しかし、そのような政治経済体制を目指そうとすると、深刻な「逆選択」、すなわち相応の負担を担うべき富裕層が、率先してそのシステムから離脱していく、という現象にさらされる。

今の北欧での右翼の政治勢力が影響力を拡大させていることがそれを物語っている。

これはグローバル化が進む中で、移民を受け入れたりすると、国民の経済格差をなくそうとする所得に応じた税の公平負担などから、富裕層が福祉国家の高い税負担を嫌って資産や居住地をより負担の少ない外国に移そうとすることになるからだ。

 

そういうなかで、政治的資本主義のような問題解決が世界を覆うかもしれない。