「日本共産党の全国大会へ 全党員と市民の注目を党員・有志から求める会」が、三回目の匿名記者会見を5月1日に東京都内で行ったそうです。
そのYouTube動画がアップされています。
会見内容は、出版に関することと、大山奈々子氏の党大会での発言、先日の田村智子委員長がラジオ番組で語ったハラスメントへの訴願対処はウソであることなどでした。
衝撃的だったのは、ある民医連幹部による性加害によるハラスメントの隠蔽が、党組織を含めて組織的に行われたことでした。
会見では実名が出たようですが、動画では×××表記でした。
大山奈々子氏の大会での発言と党の県委員会などへ出した意見書が『日本共産党の改革を求めて』という本に収められてるようです。
この本は、リアル書店への配本が400部程度らしく、「日本の古本屋・カピパラ堂」でも扱っているようです。
「『日本共産党の改革を求めて』を書店に注文したら納期が5月末」という声をいただきました。リアル書店への配本が400部程度らしいので、十分に行き届いていないようです。ヤフー、「日本の古本屋」の当店出品でしたらすぐ発送できます。是非ご利用ください。大阪の清風堂書店さんにも在庫ございます。 pic.twitter.com/pGxWup0Uo7
— かぴぱら堂💙💛🍉🍉 (@kapiparadou) May 6, 2024
ところで、動画のなかで会見した人が言っていましたが、共産党はSNSでの発言やこういう出版について厳しく取りしまる動きのようです。
噂によると何人かの古参幹部の指令で動いているとか。
しかし、これは誰か豪腕の幹部の仕業なのでしょうか?
パトラとソクラにはそう見えません。
ソ連のスターリン時代にスターリンが行った盗聴、査問、審判、追放または処刑というようなシステム化された行為だとは思えません。
ゲーペーウーみたいな組織もない。
スターリンは組織の上に君臨していましたが、発言や行動を見ている限り、田村智子氏、志位和夫氏が同じ存在ではないでしょう。
では、どうしてこういうことが今起きるのか?
松竹伸幸氏の除名処分問題が引き金になったことは事実でしょうが、もっと長い歴史を振り返ることが大事です。
1990年前後にヨーロッパで起きていたことが、30年遅れて今、日本で起きているにすぎません。
1991年にソ連が崩壊しましたが、イタリアではその前から、いや、それと同時に共産党のなかで党内民主主義を求める議論が起きました。
だって、そうでしょう。ヨーロッパの地続きのソ連で起きていること、反体制派の声はもともとイタリア共産党にも流れていました。イタリア共産党がソ連から資金提供を受けていた時期もありました。
ソ連の崩壊とシンクロしてイタリア共産党での分派の許容から新党の結成と分裂というようなことがほんの3年の間に起きました。
それは避けがたいことだったと言えるでしょう。
では、日本ではどうして同じ事にならなかったのか?
それは第二次大戦時にいやもっとまえのロシア革命の時期に遡ります。
日本は官憲の力が強く、革命らしきものがありませんでした。
反ファシズム闘争が組織できなかったことについて、丸山真男の批判と共産党の反批判の論争がありました。
しかし、ヨーロッパと大きく違うのは革命の芽の段階ですべて摘み取られてしまったからです。
それほど日本の官憲の力は大きかっただけです。
しかし、その後の歴史に影響します。
ヨーロッパのいくつかの共産党が戦後すぐに政権に参加しましたが、日本ではそういう経験もありませんでした。
イタリアでは共産党が約3割の支持率だったときもあるのです。
1950年代に日本の共産党が中国などの影響を受けて武装闘争の方針を採りますが、その後、宮本顕治氏への権力集中のための中央集権的組織原則が徹底されました。
党中央への権力集中は今も続いています。
コミンテルンの組織原則そのままです。
宮本顕治氏は自主独立路線を確立し、それで外国の共産主義運動はほとんど参考にしないことになりました。
それでソ連・東欧の教訓すらまともに分析しませんでした。
イタリア共産党と違って、ソ連が崩壊してもしなくても同じだったのです。
崩壊の原因が党内民主主義にも由来することとすら認めませんでした。
論争に参加した田口富久治氏などまともな研究者はほとんど離党または除名となりました。
排除の組織原則がそうさせたのです。
つまり、宮本顕治考案の日本流「民主集中制」という魔物が組織を支配しているのです。
特定の幹部の仕業ではありません。
見えない組織原則が今も支配しているのです。
そして、今、大物でもない党員の除名・除籍のオンパレードです。
これはSNSも一役買っているでしょう。
そもそもSNSの発信を止めることなどできないのです。
このブルジョア民主主義社会で自由にフタは出来ないのです。中国のようなプロレタリア独裁社会とは違うのです。
共産党の幹部が取るべき道は、イタリア共産党のように本気で議論するか、無理矢理フタをするか?
二者択一です。
ただし、前者には党が再生してしまうリスクがあります。
つまり党がなくなって、個人が生きる。
自由な頭を持って行動するようになるリスクがあります。
かといって、自由な頭を脳内コンクリートで固めることができるかどうかは知りませんが。
ジャニーズはなくなっても力のあるタレントは活躍しています。
新たな組織もできました。
さて、どうするのか?