大山奈々子氏の発言の全文が公開されている。

 

2023年1月 日本共産党29回大会における代議員の討議より

問題は出版より除名処分、共産党「怖い」と思われる

神奈川 大山奈々子 代議員


 大会参加の皆さん、私は、横浜市港北区で県議3期目に送っていただいています。今日は入党呼びかけの日常化ついてお話しします。

 私の選挙区は、県議をとるには党勢が弱いということで、案をめぐらし、見える共産党にしていこうと、各支部が駅頭で定例宣伝を組み、地方選さなかには1カ月には33 時間もの宣伝行動を行い、そのこと自体が、党への信頼に つながっているということを、地域まわりのなかで感じています。駅頭での読者拡大や入党経験も珍しくありません。「しんぶん赤旗」見本紙はもちろん、入党申込書を駅頭でお渡しすることも多々あります。

 訪問活動については、軒並み訪問をしながら、人を見て 「折り入って」お願いをする「べタ折り入って」作載がはやっています。つながりへ依拠する「折り入って」だけでは全然足りないうえに、家と家を飛ばしていくのも効率的ではないと思いました。人口36万人も擁する地域なので、選挙までに政治的アプローチを受ける有権者の数自体がごく限られたものとなります。留守宅であっても、1枚のチラシ、1枚の名刺がポストに入る意味は大きいと考えます。ここの「べタ折り入って」行動では、共産党の支持率の何倍もの支持を取り付けることができます。入党経験も2件あります。いちばん省エネだったのは、オートロック対応のマンションで、1階ロビーに突っ立ったまま、番号を押し、そのなかでインターホンの会話だけで、市田さんをご存じで、ずっと党を支持しているという方とつながり、招き入れてもらって、出会って 30 分で入党を快諾していただきました。その後、支部がしっかりとつながりました。

 なにより、この活動は参加した仲間が、「昔とは違う」 と元気になってくれます。そして、みなさんは行動でアパートを飛ばしがちではないですか?アパートを訪ねると、若者がいて、偏見なく対応してくれるということで、仲問の喜びとなっています。従来、防衛の観点から、入党の働きかけは丁寧で慎重であったことは理解しますが、一方で、党への強い思いのある方を取りこぼしてはいないでしょうか。数年前に入党して活躍されているある支部の方が、「40年前から党に入りたかった」とおっしゃいました。この方の声を開いてから、入党を呼びかけないのは失礼だと思うにいたりました。自民党の県議に話を聞いたのですが、1人で、年間200人の党員拡大のノルマをもっているということです。私たちもそれくらいの気概をもって仲間を増やさなければならないのではないでしょうか。よく対象者名簿をつくるといいますが、対象になる人と対象にならない人はどういう違いがあるのでしょうか。働いてもらえそうな人とそれ以外でしょうか。支部にとっては大変であっても、いまの世の中をなんとかしたいと思っている方はすべてを包摂する、多様性を尊重する党であるためにも、対象者を絞らず、いつもバッグに入党申込書を入れてあることが大事だと意思統一しています。市民は、声かけを待っています。

 次に、松竹氏の除名問題で顕在化した党内民主主義の課題についてです。私は、松竹氏の著作をまだ読めていません。「異論だから除名したのではない」という党の見解がありますので、論の中身はこの際問題にはならないという前提でお話をします。

 先に説明した「ベタ折り入って」訪問の重要な意義は、「赤旗」も「後援会ニュース」も読んでいない方の、いわば「国民マジョリティ」の生の声を聴くことができるということです。昨年、地方選前に松竹氏の著作が発刊され、その後まもなく彼は除名処分となりました。大事な時期になんということをしてくれたのかと、松竹氏に怒る仲間の声がありますが、問題は出版したことよりも除名処分ではないでしょうか。何人もの方から、「やっぱり共産党は怖いわね」「除名なんかやっちゃだめだよ」と言われました。わたくしは党の見解をしっかり紹介するわけですが、党内ルールに反していたためだとしても、「こんなことになるなら、将来共産党が政権を取ったら党内に限らず、国民をこんなふうに統制すると思えてしまう」と。党の未来社会論への疑念につながっているわけです。「志位さんに言っておいてね」と言われていましたので、この場所に立たせていただいています。

 「結社の自由」を唱えてみても、党内論理が社会通念と乖離している場合に、寄せられる批判を「攻撃」と呼ぶのではなく、謙虚に見直すことが必要ではないでしょうか。規約に反したことをしていたとしたら、当然、処分もありえるのでしょうが、それが除名なのか。犯罪を犯したわけでもない人に、この処分の決定の速さとその重さについて、疑問をもつ仲問は少なくありません。この党大会にも、その声は多数寄せられているようです。一時期人気を博した「希望の党」が、人心が急速に離れたきっかけは、小池百合子都知事の「排除します」という発言だったことは記憶に新しく、あのとき国民が感じた失意が、いま私たち共産党に向けられていると認識すべきです。除名したことについて、異論を唱えたからではないとくり返しわが党の見解が報じられていますが、そのあとに続く論には、松竹氏の論の中身の問題が熱心に展開されますので、やはり「異論だから排除された」と思わせてしまうんです。この問題について、メディアによる攻撃論がくり返し訴えられますが、攻撃の理由を与えてしまったのは党の判断である以上、その判断に間違いがないというのであれば、いっそうわが党が民主的である証左として、松竹氏による再審査請求を適切に受け止めて、国民の疑念を晴らすべく、透明性をもつて対処することを要望します。

 昨日の報告では、指導部の選出方法や民主集中制について、その見直しを求める論は「『革命論』抜きの組織論だ」と強調されましたが、それならばそういう意見を交換してはいかがでしょうか。除名という形は対話の拒否にほかなりません。排除の論理ではなく、包摂の論理を尊重することは、国際関係だけではなく、政党運営にも求められていると感じています。革命政党が団結を重んじなければならないことは重々承知していますが、だからその厳しさは国民には理解が難しいという孤高の立場ではなく、広く国民に理解される努力をするべきだと考えます。「共産党愛」から発した意見です。党の発展を心から願って発言を終わります。

 

 

さて、問題です。

 

この大山奈々子氏の発言を聞いて、中祖寅一氏(政治部長)は発言の中身を変えて、大山奈々子氏のこの発言への批判をすることにしました。

 

松竹氏の主張は支配層への屈服
意見の対立で排除はしない

〇中央 中祖寅一 評議員



先ほどの大山さんの話をうかがって発言内容を少し切り替えます。

大山さんは「出版より除名が問題だ」と発言されたと思います。問題は党の側で松竹氏ではない”と。しかしなぜ除名が不当かについて具体的理由を示されませんでした。

党は著作の内容を慎重に吟味し党の根本路線への攻撃を認定して除名を決定しています。

松竹氏の著作の内容について一言申し上げると、松竹氏は安保も自衛隊も維持する基本政策を打ち出すことで他の野党との間に共通の土俵ができると強調しています。

共産党が日米同盟堅持の立場に立てということで、これはまさに支配層の求める安保容認、自衛隊合憲の「現実路線」への変更を迫るもので支配層への屈服に他ならない。松竹氏自身が支配愬の党攻撃にのみこまれた結果です。

また、大山さんは「対話の拒否だ」とも言われました。しかし対話の拒否をしたのはどちらでしょうか。党内での自由な議論と対話を放棄して党の外からいきなり出版という形で攻撃を開始したのは松竹氏です。

小池百合子氏が2017年の総選挙で「排除いたします」と述べ失速したのと同じとも言われた。しかし、これは党の対応と反共主義者の共闘破壊の論理とを同列に置くもので批判としての節度をあまりにも欠いています。

申し上げたいのは、共産党が党内での異論を許さないということは絶対にないということです。

党規約は意見が違うことによって組織的な排除を行ってはならないことを根本原則としています。

党は共通の世界観と綱領で団結する人間集団であって意見の対立が生じた場合でも、それは何が社会変革の正しい道筋であるかの探求の過程での対立です。そのとき何が正しいかを決めるのは多数が少数を押さえつけたり、排除したりすることではなく、統一した共通の実践によって党の認識や互いの認識の正しさが検証される。こうした根本哲学に立脚しています。

突然党外から攻撃するやり方で、包摂的な足場を踏み外したのは松竹氏自身だと申し上げて発言を終わります。
 

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-01-18/20240118-010.pdf

 

それはどうしてでしょうか?

 

 

①この発言が松竹伸幸氏の除名処分をした中央委員会を批判しているで、自分が反論すべき責任を感じたから

 

②この発言に道理があり、この大会で松竹伸幸氏を支持する人々を増やすと思ったから

 

③この発言があまりにも正論過ぎたので、封じ込めるには反共主義者と同じだと発言者の人格を貶めるしかないと思ったから

 

④この発言があまりにも素朴すぎて、ついカッとなってしまったから

 

 

さて、正解は何番でしょうか?