前々回のブログでスターリン『弁証法的唯物論と史的唯物論』を読んだ。

前回のブログでスターリンの考えは、スターリンのオリジナルな考えではなく、レーニンの「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」に拠っていること、レーニンのそれはエンゲルスの「空想より科学へ」と変わりないことを述べた。

 

マルクスの考えが、マルクスとエンゲルスによって「主義」になり、レーニンによって「全能」になった。

 

どうしてそうなったのかは、われわれが資本主義の経済システムに支配された社会に生きているからだろう。

その経済のしくみをマルクスは『資本論』で解き明かした。

剰余価値説、資本の本源的蓄積の秘密に誰かがたどり着くことはある意味必然だったのだろう。

そこに最初に到達したのがマルクスだったというのは、エンゲルスの言う通りだろう。


人類が北極点を目指せば、誰かが最初に到達する。

人類が生きている経済システムの仕組みの秘密を探れば、誰かが最初に到達する。

それがマルクスだっただけのことだ。


しかし、その経済システムを転覆させるのが良かったのか悪かったのかは別の問題だ。

ケインズやスティグリッツなどは別の解決方法を考えたのだ。

 

マルクスはもともとヘーゲルの哲学研究から、あれこれ観念をめぐらせて論争するのに飽き足らず、実際に問題になっている労働問題や土地問題、民族問題に関心が移った。それは経済の構造から起きているというところに焦点を当てるようになった。

 

経済学説もあるときからすでにその矛盾の解決は、生産手段の所有という視点からみて「階級」に分かれているこの社会の転覆を念頭に置いた。


それがマルクスが考えた解決方法だったのだ。

 

それは『共産主義者宣言』のことだけではない。

『資本論』もその転覆を必然として描いている。

 

その思想、学説は「主義」として体系化され、「科学」という合理性、必然性が与えられた。

レーニンによって、それは「全能」と呼ばれた。

 

スターリンはそれを「教科書」にしただけなのだ。

 

マルクスの矛盾解決の思考は哲学研究のときから同様だ。

1843年に書いた『ユダヤ人問題に寄せて』という論稿がある。

これはブルノー・バウアーの『ユダヤ人問題』を批判したものだ。

 

 

 

 

 ユダヤ人とキリスト教徒の対立をもっとも鋭い形で示しているのは、宗教的な対立である。そもそも対立というものは、どのようにして解決できるだろうか? 対立を不可能にすることによってである。それでは宗教的な対立はどのようにすれば不可能になるだろうか? それは宗教を廃棄することによってである。

 もしもユダヤ人とキリスト教徒が、彼らが対立しあっているその宗教を、人間の精神のさまざまに異なる発展段階の一つにすぎないものとみなすようになれば、つまり宗教を、歴史が発展するために脱皮したさまざまに異なる抜け殼にすぎないとみなすようになれば、さらに人類を、このようにして脱皮して発展してきた蛇のようなものと認識するようになれば、彼らはもはや宗教的に対立することはなくなる。そしてたんに批判的で学問的な、すなわち人間的な関係のうちに立つようになるだろう。そのとき、二つの宗教を統一するものは学問になる。そして学問的な対決であれば、学問そのものによって解決されるものである。

 

「ユダヤ人問題に寄せて」p.14

 

ユダヤ人とキリスト教徒の対立をどのようにして解決できるか?

対立を不可能にすることによってである。

それは宗教を廃棄することによってである。

そうすれば、批判的で学問的な、すなわち人間的な関係のうちに立つようになるだろう。

そのとき、二つの宗教を統一するものは学問になる。

学問的な対決であれば、学問そのものによって解決される。

マルクスはそう考えた。

マルクスの問題解決思考は昔からそうなのだ。

 

マルクスは「宗教はアヘンだ」と書いたことになっているが、その理由こそだ大事だ。

 

『ヘーゲル法哲学批判序説』にはこういう記述がある。

 

 

 ドイツにとっては、宗教の批判は本質的に終わっている。宗教の批判は、あらゆる批判の前提なのである。
 宗教の天国的な祭壇やかまどのための祈りというものが誤謬であることが明らかにされたので、そうした祈りの誤謬は現世的にも存続できなくなったのである。人間は天国が存在するという幻想のもとで、天国のうちに人間を超えた存在を探し求めていたが、そこには自分自身の似姿しかみいだすことがなかった。そこで自分の真の現実性をみつけようとする場合に、そしてみつけなければならない場合に、もはや自分自身の仮象だけを、人間を超えた存在だけをみいだして、満足することはできなくなったのである。

 宗教を否定する批判において基本となる考え方は、宗敦が人間を作るのではなく、人間が宗教を作るのであるということにある。たしかに宗教はまだみずからを自己のものとして獲得していない人間や、ひとたびはそれを獲得してもそれを失ってしまった人間が、みずからについて抱く意識であり、感情である。
 しかしこの人間というものは、世界の外にうずくまっている抽象的な存在ではない。人間とは、人間の世界のことであり、国家のこと、社会的なありかたのことである。この国家が、社会的なありかたが、顛倒した世界であるために、顛倒した世界意識である宗教を生みだすのである。
 宗教はこの世界の一般理論であり、この世界についての百科事典的な概要であり、その通俗的な論理学であり、その霊的な要点であり、その熱狂であり、その道徳的な是認であり、その厳かな補完物であり、世界の慰めと正当化のための一般的な根拠である。人間存在が真の現実性をそなえていないために、人間存在が空想のうちで現実化されたものが宗教なのである。このため宗教との闘いは間接的には、宗教という精神的な香りを放っているあの世界との闘いでもある。
 宗教という悲惨は、現実の悲惨を表現するものであると同時に、現実の悲惨に抗議するものでもある。宗教は圧迫された生き物の溜め息であり、無情な世界における心情であり、精神なき状態の精神なのである。宗教は民衆の阿片なのだ。

 

『ヘーゲル法哲学批判序説』p.162~162

 

人間は自らの苦しみから解放されるために天国を夢想する。

天国を実現できる国家を想像する。

人間存在が空想のうちで現実化されたものが宗教なのである。

 

だからマルクスはこう考えた。

 

宗教は圧迫された生き物の溜め息であり、無情な世界における心情であり、精神なき状態の精神なのである。

宗教は民衆の阿片なのだ。

 

しかし、それから30数年の思索を経て、マルクスは経済システムを分析し、やがて来る天国を夢想し、階級を転覆させた国家を考えた。

科学的社会主義。

その考えはレーニンによって「全能」と呼ばれた。

 

 

 

2011年9月6日に不破哲三社会科学研究所所長が党本部で行った第7回「古典教室」のエンゲルス『空想から科学へ』講義が「しんぶん赤旗」に載っている。

 

 

 エンゲルスの説明の順序は〈弁証法―唯物論―史的唯物論―経済学〉とたいへん独特なもので、「この流れはマルクス、エンゲルスの思想的発展の歴史とほぼ一致しているんです」とのべ、2人の思想の発展を略年表に沿ってあとづけました。

 エンゲルスが青春時代にキリスト教との思想的格闘のなかからヘーゲル哲学に到達し、21歳のとき、政府の指示でベルリン大学にのりこんできた反動的な大哲学者の見解を批判する論文を書いて論破したエピソードは、受講者を驚かせました。

 エンゲルスは、イギリスの経済と労働者の状況をつぶさに調べたうえで直観的に唯物論的な社会観に到達し、マルクスは、ヘーゲルの社会論(「法哲学」)の徹底的な批判的研究を通じて理論的に到達しました。意気投合した2人は、それ以来、終生尊敬し、切磋琢磨(せっさたくま)し、科学的社会主義の理論を仕上げていったと解説しました。

 

 

 

エンゲルス、レーニン、スターリンと引き継がれた内容だ。

 

今でもレーニンによって「全能」と呼ばれたその学説を、日本共産党の元委員長が党員に講義をしているのだ。

 

 ものの見方の大きな二つの流れである弁証法的な見方と形而上学(けいじじょうがく)的な見方を対比して説明するのは「ヘーゲルに源流を持ち、エンゲルスが発展させたもので、マルクスにはないもの」と指摘し、古代ギリシャ以来の哲学の歴史を概観しました。

 古代ギリシャの哲学者は「万物は流動しており、不断に生成し消滅している」とのべたヘラクレイトスをはじめ、世界を連関と運動の中で見る弁証法的な見方を身につけていましたが、その後、ものごとをバラバラにして固定的にみる形而上学的な考え方が優勢になります。その背景には、自然を研究する初期の段階では、事物をまずバラバラにして、動かないように固定して見ることが必要だったという事情がありました。

 「形而上学的な見方は、常識的に見えるが、突っ込んで考えるとそうはいかなくなる」とのべた不破さん。「生と死」をどこで判定するか、脳死判定の難しさや、われわれの体が絶えず死んだ物質を生命活動に利用し、いらなくなったものを死んだ物質として捨てていることなどを例にあげました。

 「形而上学的」を「石頭的な考え方」と言いかえた不破さんは、中世から近世にかけて科学が大進歩をとげていくと、「固くなった頭をほぐして、世界をありのままに受け入れる見方、弁証法的な見方を意識的に身につける必要が生まれてきた」とのべました。

 弁証法的な見方の特徴として、ものごとを連関のなかでとらえる、変化と運動のなかでとらえる、対立物を発展の生きた推進力ととらえ、固定した境界線を認めない――をあげ、カント(1724―1804年)の星雲状の回転する物質から太陽系が発生したとする学説やダーウィン(1809―82年)の進化論など、自然科学の発展のなかで、弁証法的な見方が復活してきたことを語りました。

 弁証法的な見方はヘーゲル(1770―1831年)の哲学体系で一つの頂点に達しましたが、ヘーゲルには二つの弱点がありました。

 ヘーゲルは、世界の発展を「絶対理念」が体現し、発展するものとして説明する観念論者でした。また、自然から歴史、人間の精神まで、すべての分野にまたがる大体系を完成しようとしたために、一方で変化と発展を大いに強調しながら、他方では「この体系をもって歴史が完結してしまう」と主張する矛盾に陥りました。

 不破さんは、「ヘーゲルの矛盾から抜け出すためには唯物論にすすむ必要があり、弁証法的な考え方は、唯物論の立場にたってこそ、その真価を発揮できる」と力説しました。

 エンゲルスが論じている「弁証法的な見方」と「形而上学的な見方」との違いと特徴がよく分かるように、表(上の表)に整理して説明しました。とくに弁証法の「変化と運動」の特徴として、「発展、進歩の契機を重視する」ことの意味を強調しました。

 東大での講演で学生から「自然にも発展があるのですか」と質問を受け、物質の世界にも前向きの発展があると答えたことがあると紹介し、「まして人間社会では、いろんな逆流があっても進歩するというのが私たちの見解です」とのべました。

 

 

不破氏は、弁証法的な見方と形而上学的な見方として、丁寧に表にまでまとめている。

 

弁証法的唯物論はすべてこういうふうに考える。

 

不破氏は「弁証法の諸法則」という項目をまとめてそれでその実例を紹介した。

 

 

これにすべてを当てはめるのだ。

 

「量的変化と質的変化」では、「私たちが毎日やっていること」とのべ、党活動は日常的な積み重ねがないと質的な変化が起きない、「果報は寝て待て」とはならないとし、国政選挙を例に引きました。中選挙区制の時代の選挙では、得票の量的変化が議席獲得という質的変化になる飛躍を実感しやすかったが、比例代表選挙ではそれが分かりにくくなっており、それが実感できるやり方、工夫を課題にあげました。

 「否定の否定」では、前に否定されたものが、より高度な内容で復活することがあると説明。戦前の党が大弾圧のもとで侵略戦争反対、民主政治の旗を掲げたことが戦後の党の発展に大きな力になったとのべ、「最も否定的な経験のなかにも前進と飛躍のバネがあり、その局面を乗り越えたときに党の質的な発展がある」と力をこめました。

 60年代から70年代のソ連と中国の両党からの干渉との闘争を通じ、自主独立の強固な路線を築いたこと、「社公合意」後の「オール与党」体制のもとで革新の旗を掲げ続けたこと、原発問題でも一貫して建設に反対してきたことを示して、「わが党の歴史は、『否定の否定』の歴史の体現だ」「まさに弁証法ここにあり」と喝破しました。

 「対立物の統一と闘争」では、さまざまな形態があるが、生きた関連と相互作用が大事だと説明。対立する二つの緊張した関係が、発展的な運動形態を生み出した一例として、日本共産党の組織原則の「民主集中制」があると解説しました。

 「民主主義」と「集中」は常識では対立するが、党規約で、民主的な議論を尽くす、決定したことはみんなで実践するなどを決め、この二つの側面を統一し、政党として生きた力を発揮できるようになっており、ここにも弁証法があると強調しました。

 

なんか大喜利のお題とその答えみだいだ。

頭の中に不破流の弁証法のフレームワークを作って、それに当てはめるのだ。

観念に現実をはめ込む方法だ。

 

前々回に書いたが、スターリンの弁証法的唯物論にとって、世の中は「俺か、俺以外か」なのだ。

 

つまり、世界は「弁証法」でできており、そのほかはすべて「形而上学」として切り捨てられる。

また、世界はすべて物質でできている「唯物論」なので、それ以外の哲学は「観念論」として否定される。

 

それが今も革命党の哲学なのだ。

 

それを国定哲学にするか、しないかの問題ではない。

そんなものを国定哲学にしたらどうなるのかは、ソ連の崩壊を見ればすぐわかる。

 

そういう閉じた世界の「主義」を信じて、それが社会変革を主導していることが正しいと今も思っていることが問題なのだ。

 

でも、それに気づかない人々もけっこういるのだ。