北欧の政治はどうなっているのでしょうか?

 

北欧5カ国の政治地図は今では似ています。

そのなかでも女性の活躍が目立っているのがフィンランドでしょう。

2019年には34歳の女性が首相になって話題を集めました。

 

若い女性が当たり前のように党首や首相になるフィンランド

 

世界最年少で首相に就任し、注目されていたフィンランドのサンナ・マリン首相が率いる与党が昨年の選挙で敗れました。

 

サンナ・マリン氏は2019年に世界最年少34歳で首相に就任し、フィンランドだけでなく世界からも注目を集める女性リーダーとなりました。2022年にはフィンランドのNATO加盟申請という重大な決断も行いました。

 

このときフィンランドでは連立5与党のうち3党の党首が30代女性でした。

マリン氏が所属する第1党・社会民主党の党首は男性のリンネ前首相(57)でしたが、スウェーデン人民党のヘンリクソン法相(55)、緑の党のオヒサロ内相(34)、中央党のクルムニ副首相兼財務相(32)、左翼同盟のアンデション教育相(32)らは女性でマリン氏を支える閣僚として政権に参画しました。

新内閣の閣僚19人のうち女性が12人に上りました。

 

クルムニ氏が今月13日、毎日新聞の取材に応じ「同僚の党首が女性というのは素晴らしいし、面白い偶然だ」と説明し、「我々の性別や年齢が(内閣の取り組みに)影響を与えることはない。自分たちに課せられた職務に取り組んでいくだけ」と強調した。

 

最年少党首の一人のクルムニ氏は2015年、27歳で比例代表制の議会(1院制)に初当選した。今春初入閣し、9月に中央党党首に就任し、32歳で副首相の座を手にするなど、とんとん拍子で国政の階段を駆け上がる。だが、本人は淡々と「大学の組合で政治活動に参加したのがきっかけ。その後も次々と選挙に立候補してきた。フィンランドでは全く珍しくない」と話す。

 

 

 

フィンランドで女性が政治の要職に就くのは、このときの内閣だけでなく、2000年にハロネン社会民主党党首が初の女性大統領に就任し、任期中にヤーテーンマキ氏(2003年)、キビニエミ氏(2010~11年)という2人の女性首相が誕生していました。

 

しかし、そのマリン首相率いる中道左派の社会民主党は、2023年の選挙で中道右派の国民連合党(党首=ペッテリ・オルポ氏)に敗れ、第3党に転落しました。

得票率は国民連合党が20.8%(48議席)、右派でポピュリスト政党のフィン人党が20.1%(46議席)、社会民主党が19.9%(43議席)となり、マリン首相は辞任しました。

黒のレザージャケットが定番服で「ロックスター首相」と呼ばれ、パーティーで踊り騒ぐ動画がリークされ批判にさらされたこともあったマリン首相でした。

しかし、2023年の選挙戦の争点は「経済」だったのです。

マリン政権は多額の公共支出が批判にさらされ、緊縮財政を訴えた国民連合党に敗れました。

 

 今回当選した議員の46%が女性だ。公共放送YLEによると、得票数トップ3が女性で、最も多かったのがフィン人党党首のリイッカ・プッラ氏。2位にサンナ・マリン氏が続いた。

 ジェンダーギャップ指数世界2位を誇るフィンランドで、政治的リーダーを女性が務めるのはもはや日常の風景なのだ。

 今後注目されるのは、国民連合党がどこと連立を組むか、という点だ。マリン内閣は社会民主党、中央党、緑の党、左派連合、スウェーデン人民党の5党の連立政権で党首は全員女性だった。社会民主党が政権を取る前は、中央党、フィン人党、国民連合党による3党連立で政権を担っていた。

 相手が社会民主党になれば右左の連立になるが、最優先課題となる経済政策で対立している。フィン人党との右派連立の可能性も高いが、EU懐疑派で移民規制を訴え、さらに気候変動についても異なった意見を有するフィン人党とどう折り合いをつけるのか、連立協議は難航すると見られている。

 

 
 
フィンランドは社会民主党が常に強いわけではなく、財政の公共支出比率が大きくなると、最近ではポピュリスト政党のフィン人党などが支持を集めます。
フィンランドはどこか特に強い政党が支配する政治ではなく、いくつかの政党の組み合わせで政府ができることが多くなっています。

 

 

首相を退いた今もマリン氏は積極的に発言しています。

 

マリン氏は、ロシアや中国が独自の権力論理に従っており、これに対処するには現実を直視し、食糧生産やエネルギーなどの戦略的な分野での自律性を確保する必要があると訴えました。

「ロシアが独自の権力の論理に従っており、私たちの経済成長の論理よりも尊重しているという事実を受け入れる必要があります」

「ロシアや中国は、民主主義諸国と同じ一連のルールに従って行動していません。投資して資金を投じる場合は、リスクが伴うことも想定しておく必要があり、リスクが何なのか、中国に投資する場合に何が起こるかを知る必要があります」

 

 

 

ソ連崩壊によりフィンランド共産党は消滅

 

フィンランド共産党は、ソ連に亡命した幹部たちが数名で1918年にモスクワで結党しました。

フィンランド国内で共産党は1944年まで非合法とされており、1944年に共産党傘下の組織としてフィンランド人民民主同盟(SKP)が結成されました。

 

1979年には、SKDLの支持率が24%にまで伸びました。

与党となったこともありましたが、共産系の首相や大統領は誕生していません。


1985年から翌年にかけては、スターリン主義者(タイストイスト)など数千名もの党員を除名しました。除名者はフィンランド共産党 (統一派)(SKPy)を結成しました。


ソ連の崩壊に伴い、党内でもイデオロギー的対立が深まり、内部抗争が激化。1990年には、大多数の党員やSKDLの関係者が左翼同盟を結成しました。このため、1992年に財政破綻を来たし、SKPは解散となりました。

 

なお、SKPyはSKP解散後も存続し、1997年に「フィンランド共産党」と改名するものの、議会において嘗てSKPが擁していた議席を取り戻せていない。2007年の選挙における得票率は0.7%でした。

 

ウエルビーイングの国では共産党の存在は不要なのでしょう。

 

 

極右政党の台頭

 

2019年4月のフィンランド議会選で反イスラムの極右ポピュリズム政党フィン人党が1議席差で第2党につけました。前回の議会選でもフィン人党は第2党に入っていました。

 

 

欧州連合(EU)懐疑派ポピュリスト政党だったフィン人党は2015年、連立政権に参加。2年後に強硬派が主導権を握ったため政権から追放され、分裂しました。改選前の議席は17議席。今回「われわれのフィンランドを取り戻せ」をスローガンに、2倍以上の39議席に戻しました。

社会保障・医療改革と地球温暖化が争点になった選挙戦で「フィンランドに害をもたらす移民の強制退去を」と訴え、主張を国境や移民管理の強化に絞りました。目の部分を除いて全身を覆うイスラム女性の民族衣装ブルカやニカーブ、少女のスカーフ着用の禁止を求めました。

党分裂の引き金になり、極右ナショナリスト路線に舵を切ったユッシ・ハッラアホ党首(47)は天文学と射撃が趣味。「フィンランドは温暖化対策でヒステリー状態に陥っている」と揶揄し、フィンランドが受け入れる難民をほとんどゼロにすることを約束しました。

 

 
今、全世界で移民排除やナショナリズムを高揚させる右翼的主張のポピュリスト政党の存在が目立っています。
経済格差や経済のグローバル化が信仰するなかで、フィンランドも同様の問題に直面しているのです。
 
 
女子高生も移民も議員になれるフィンランド
 
フィンランドには、国政と地方のほぼ全ての選挙で、政党の候補者を男女同数にするよう義務づけたフランスのパリテ法のような法律はありません。
しかし、女性の立候補者数を徐々に増やしてきました。
国会議員の女性比率も40%を超えています。
日本の約2倍です。
 
 
フィンランドの地方議会では女子高校生が当選しています。
移民系の女性も議員になっています。
 
高校生が当選したのは、フィンランド南西部、人口4374人の小さな自治体で、日本では町村議会に相当するかもしれない。こうした小さな行政区も人口65万人の首都ヘルシンキも、自治体として同等の扱いをされている。
ヘルシンキの当選者は男性が43.5%、女性は56.5%と女性の方が多かった。得票数トップ10の内訳は男性4人、女性6人。女性6人のうち5人は30代、1人が40代、2人は移民系だ。

移民系の女性のうち1人はアフガニスタン生まれの36歳。8歳の時に、家族とともに国から逃れて来た。2015年に、難民のバックグラウンドを持つ初めての国会議員として社民党から当選。2017年にヘルシンキ市副市長に選出されて、国会議員を辞任。4人いる副市長のうちの1人で、文化と余暇を担当している。

もう1人は35歳。父はアフリカのマリ共和国出身だ。「緑の党」からヘルシンキ市議会議員に当選した。高校時代から政治活動を始め、「緑の党」の若者組織の議長を経て、現在は副党首である。

難しい政治状況のなかでも、歴史的に女性が活躍し、社会的公平をビジョンとしてきたフィンランドでは、女性や移民の政治参加によって時代を切り開こうとしています。