成田悠輔氏の広告起用取りやめ

 

キリンビールが、缶チューハイ「氷結無糖」で起用していた経済学者・成田悠輔氏のウェブ広告を削除した。

SNS上で過去に成田氏が語っていたことに注目が集まり、不買運動もあったとか。

キリンは「様々なご意見を頂戴したため総合的に判断し、取り下げることにした」と説明した。

 

「#ブームというより時代です」

 

キャッチコピーがそのままこの事態を表すことになった。

 

今回話題になった経緯はこういうことらしい。

 

 今年になって注目されて問題視されている成田氏の発言は、実は1年以上前の2021年12月17日インターネットテレビ局ABEMA Primeで、日本の高齢化問題についての討議の際に出たものです。「唯一の解決策ははっきりしている。高齢者の集団自決、集団切腹みたいなのしかないんじゃないか。別に物理的な切腹ではなくて、社会的な切腹でもいい」と発言。ウィキペディアに最近加わった情報としては、これより3年前のグロービスが主催したパネル討議(2019年2月9日)でも同じような発言をしていますが、3年前も1年前もこれほど話題になりませんでした。さらに昨年の2022年1月17日公開された経済メディアNewsPicksでは、批判ではなく公式な「問題提起」として番組内で議論されました。批判に転ずるのは、世界中に広まった今年2月13日NYタイムズ一面での掲載。「これ以上ないほど過激」と報道されてから。

 

 

 

火付け役はNYタイムズの記事

 

火付け役はNYタイムズのこの記事。

 

 

“I feel like the only solution is pretty clear,” he said during one online news program in late 2021. “In the end, isn’t it mass suicide and mass ‘seppuku’ of the elderly?” Seppuku is an act of ritual disembowelment that was a code among dishonored samurai in the 19th century.

2021年末のあるネットニュース番組で、次のように言った。「唯一の解決策ははっきりしているように思う」、「結局、高齢者の集団自殺、集団「切腹」ではないでしょうか?」  切腹とは、19世紀に不名誉とされた武士の間で掟であった割腹のことである。

 

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Dr. Narita, 37, said that his statements had been “taken out of context,” and that he was mainly addressing a growing effort to push the most senior people out of leadership positions in business and politics — to make room for younger generations. Nevertheless, with his comments on euthanasia and social security, he has pushed the hottest button in Japan.

成田氏(37)は、自分の発言は「文脈から切り離された」ものであり、主にビジネスや政治において、最も高齢の人々を指導的地位から追い出して、若い世代のためにポストを確保しようとする努力が高まっていることを指摘したのだと述べた。しかし、安楽死と社会保障に関する彼の発言は、日本で最も激しい反応を呼ぶ問題に触れてしまった。

 

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The phrases “mass suicide” and “mass seppuku,” he wrote, were “an abstract metaphor.”

「集団自殺」、「集団切腹」という表現は、「抽象的な比喩 」であると書いている。

 

 

 

 

成田氏の言葉が切り取られている。成田氏の言う「抽象的な比喩」では通じない文脈で語られてしまっている。

 

しかし、これはキリンの広告そのものではない。

広告に起用されたタレントの過去の発言に関するものだ。

商品イメージをその企業がどう捉えるかの問題ともいえる。

 

 

成田悠輔がちょっと尖った有識者であることが問題なのか?

 

タレントの発言が問題にされても、必ずしも起用を取りやめにするケースばかりではない。

 

アンミカの「日本の恥」発言も一時問題になったことがある。

 

昨年末(2023年12月)に日清食品「どん兵衛」のCMにタレントのアンミカさんが起用された際に巻き起こった批判が思い出される。この時は、アンミカさんが杉田水脈議員の言動に対する抗議として発した「日本は世界の恥」という発言が「反日的」とされたことや、北朝鮮から日本に密入国してきたとする真偽不明の話が拡散され、「不買運動」がトレンド入りするに至った。

 

 

しかし、日清はアンミカの起用を続けた。

 

その違いをマーケティングコンサルタントの西山守氏はこう言っている。

 

キリンが取り下げの判断に至った要因としては、下記のことが考えられる。

1. 芸能人ではなく、有識者の言動であったこと
2. キリンが社会的責任を非常に重要視する企業であること
3. 高齢者批判が以前ほど受容されなくなっている可能性があること

 

芸能人ではなく、有識者というところがひっかかったのはありうる。

理論に裏打ちされた主張の強さのようなものを感じるからだ。

 

しかし、同じ有識者でこういうのもあった。

 

2020年、ネット通販大手Amazonが有料会員向けサービス「Amazonプライム」のCMに国際政治学者の三浦瑠麗氏を起用した際に起きた批判である。この時は、三浦氏がメディア上で徴兵制導入を主張していたこと、大阪に北朝鮮の工作員が潜伏していると発言したことなどが批判を集め、Twitter(現X)上では「#Amazonプライム解約運動」のハッシュタグが拡散した。

 

このことについて、西山守氏はこう言っている。

 

2つの事例では、下記の点が共通している。

1. 有識者の広告起用において、当人の過去の社会的な発言が洗い出されて批判されたこと
2. SNS上でCMに起用した企業への““不買運動”が起きたこと
3. 取り下げに関して賛否両論の声が見られること
ただし、AmazonプライムのほうはCMの取り下げを行っておらず、企業側の対応は異なっている。

今回のキリンの案件についても、広告の取り下げを行うべきか否かという明確な判断はしづらかったように思える。成田氏の発言を前後の文脈も踏まえて解釈して不適切であったと断定できるのか? 広告の継続、あるいは取り下げによって商品の売り上げやブランドイメージにどの程度の影響を与えるのか?(SNS上で「不買運動」が拡散しても、実際に売り上げが減少するほどの影響を受けることはほとんどない)といった点を考えると、どちらの選択もありえたように思える。

 

 

 

 

成田氏が日本の高齢化問題と、老人が社会の中心で力を持ち、世代が交代が進まないことを批判しているのは疑いようがない。

拾ってみるとこんな発言がある。

 

「やっぱり人間って引き際が重要だと思うんですよ。別に物理的な切腹だけでなくてもよくて、社会的な切腹でもよくて、過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤーで多すぎるというのが、この国の明らかな問題」

 

「消えるべき人に『消えてほしい』と言い続けられるような状況を、もっと作らないといけないのではないか」

 

「誰しも『周りに必要とされてない感』をガンガン出されると辛いものだと思うので、少し世代交代につながるのではないか」

 

「そういう問題、今の日本社会は見て見ぬふりをし続けていて、それに簡単に言及できるのは麻生太郎さんみたいな、ちょっと宇宙人系の人だけ...という感じになっていると思う。そういうものを、もっと直接的に議論できるような状況、雰囲気を作ろう、というのが言いたい」

 

 

 

しかし、いくら抽象的な比喩と言おうと、「高齢者の集団自決」「集団切腹」だけが切り取られて、その言葉の流通が始まる。

 

 

勢いを増すポリティカル・コレクトネス

 

 

これはGAPが広告に使った写真だ。

この広告をGAPは取りやめにするハメになったとか。

 

どうしてなのか?

 

答えは黒人の子供の立ち位置である。白人の子供の腕の下にいるこの子だけが表情が暗く、いかにも白人の子に押さえつけられているように見える、という指摘がソーシャルメディア上で話題になったのだ。Gapは抗弁せず、「不愉快な思いをさせたのは申し訳ない」と差し止めを決定。これに対し、「たまたま、そういう位置だっただけで、差別的な意図はないはず」「大げさに考えすぎ」と多くの反対意見が寄せられ、ネット上で論戦が繰り広げられた。

 

 

この記事には、アメリカの事態がいくつか紹介されている。

 

クリスマスを公式に祝うことはほかの宗教に対する差別であるという考えから、クリスマスソングを歌わない、クリスマスツリーではなくホリデーツリーと言う、などの配慮をする学校も増えているらしい。

企業の宣伝や報道などでも、「Merry Christmas」という言葉は使わず、「Happy Holidays」などと表現することが多くなったとか。
ボストンの美術館で、モネの絵画展が開催されたとき、白人女性が扇子を持ち、赤い着物を着てポーズをとる有名な「ラジャポネーズ」の前で、本物の着物を客に着せて、楽しんでもらおうというイベントが開かれた。これに対し、アジア系米国人が「アジア人に対する性的フェチを助長する差別的行為」と抗議し、イベントは会期途中で中止されることになったというちょっと信じられないことも起きている。

 

コミュニケーション戦略研究家の岡本純子氏は「米国で完全に「アウト」なのは「差別」でくくられるものだ。一方で、日本では、「格差」「ねたみ」「やっかみ」を根っこにした「不満」や「怒り」、結婚や子育てなどに関する価値観の相違等から起こる対立などが目立つ印象がある」としてこういう図にまとめめている。

 

 

【炎上しやすいトピック比較】

 

 

行きすぎたポリティカル・コレクトネスが生み出す結末

 

アメリカ大統領選挙が近づいている。

2016年にトランプ大統領を生んだ一因は、「ポリコレ(PC)なんてクソくらえ」とトランプが代弁した本音がウケたからだと言われている。


トランプはあっさりと公言するのである。「この国にはPCなバカが多すぎる!」あるいは、「アメリカが抱える大きな問題は、ポリティカル・コレクトネスだと思う」。――これを見て、溜飲が下がる思いをした国民は少なくなかっただろう。

今まで、政治家にしても、エリートにしても、PCを攻撃することは、できるだけ避けてきた。「タブー視」してきたと言った方がいい。心の中では、PCのルールに必ずしもすべて同意するわけではないとしても、異議を唱えることは得策ではないと考えていたのである。ところが、トランプは、それをあっさり超えてしまったわけである。

トランプは白人たちの無意識的な欲望を、いわば代弁していると言えるだろう。今まで、PC的に抑圧され、検閲されて表に出すことができなかった鬱憤うっぷんや怒りといったホンネの部分を、トランプはすっきりと表現してくれたわけである。こうして、トランプはPCを攻撃しつつ、国民の無意識を掬い上げていったのである。

 

 

主張に使われた事を文脈から切り離して理解する、言葉の使われた方にセンシティブになりすぎて言葉狩りを行う。

 

それはある種の人々の無意識に泥のような怒りとして蓄積する。

 

 

 

この本は、さきの記事を書いている岡本裕一郎氏の著書だ。

 

トランプ以後、ポリティカル・コレクトネス(政治的に正しく、差別的ではないこと)に対する反感があからさまに語られる思想的背景を解説している。

 

ポリティカル・コレクトネスはいわばタテマエの思想で、それを「リベラル・デモクラシー」派と呼ぶこともできる。

この本では、長くアメリカの主流であったリベラル・デモクラシーの思想を1970年代にさかのぼって追究している。

リベラリズムのロールズ、共同体主義のサンデル、ネオ・プラグマティズムのローティ、民主主義に反対する「新官房学」、「ポスト資本主義」の一種といえる「加速主義」など。

 

ポリティカル・コレクトネスが行きすぎると社会が停滞する。

それに対するニック・ランドなどの新反動主義の台頭も起きている。

 

それらが爆発すると社会を二分する分断が起きる。

それがスター願望、英雄待望と結びつくとどうなるのか?

 

もうアメリカではそれらが止められないのかもしれない。

 

成田悠輔氏の今回の放逐に一抹の不安を感じる。