(袴田里見氏)

松竹伸幸氏の除名処分は再審査請求も日本共産党から却下されました。

 

松竹伸幸氏は1月22日に記者会見し、除名撤回を求めて共産党を3月上旬に提訴すると発表しました。

その時の記者会見では、二人の弁護士が同席していたが、記者からの質疑でこういうコメントを話していました。

 

・除名処分について、過去に撤回を求めた袴田里見訴訟では1988年の最高裁判決で部分社会の法理を用いて、党内部の問題には立ち入れないとなったが、今回の除名処分の手続きでは争える余地がある。 

・袴田裁判のときに判例の前提となった昭和35年裁判は令和2年に判例変更されているので、今回の判決でどうなるかはわからない。

 

判例変更の可能性については、また詳しく見ていくことにして、今回はこのときに話題になった袴田里見氏の裁判について振り返り、今回それを超えられるのかを予測します。

 


1.袴田里見、家屋退去裁判とは何か?


袴田里見氏の裁判では何を争ったのでしょうか?


袴田氏は1977年に日本共産党の幹部から干されたため、その借家を追い出されるはずだったのです。除名される2か月前まで、党副委員長でした。副委員長と言えば、委員長になる前の田村智子氏の地位です。いかに袴田氏が日本共産党で大物だったのかがわかるでしょう。

松竹伸幸氏には悪いですが、比べものにならないくらいの人だっただと思います。

 

でも、袴田氏は除名処分を受けてからも、その借家に10年以上居座っていました。
袴田氏がその家にしつこく居座ったために、日本共産党から袴田氏家屋の明渡で訴えられたのです。

裁判は1988年に始まりました。

 

 


日本共産党は、袴田氏に1983年8月1日からの家賃月額15万円の滞納分を払えと裁判所へ訴えました。
袴田氏はそのとき、84歳になっていました。

そんな老人を追い出すか?


日本共産党は袴田氏に、書面で建物の明渡しを請求しました。日本共産党は、6か月の猶予をやるから、賃料分の1か月15万円で3年分払えと袴田氏に迫りました。けれど、袴田氏はこれに応じませんでした。
除名処分こそ不当だという理由です。

裁判で、袴田氏が除名処分になった理由を日本共産党はいくつか上げていました。
最大の理由は、「被告が『週刊新潮』に党を攻撃する文章を発表した」ということでした。
二番目は、袴田氏が1976年12月7日に衆議院議員総選挙後の常任幹部会々議で宮本顕治氏や幹部を批判したことでした。それが、党中央に反対する自分の同調者を作ろうとする悪質な分派活動に通ずるとされたのです。
三番目は、袴田氏が党にかくれてソ連共産党中央委員会に個人的使者を送ったとされました。これが党の国際関係を傷つける重大な規律違反であるとされたのです。
四番目は、袴田氏が、党の議長スパイ説をでっちあげて党の団結と規律に正面から挑戦し、党への破壊行為を行なったとされたことです。党議長とは、野坂参三氏です。戦争中は中国に亡命していました。

これらの理由はどれも袴田氏としては納得できるものではありませんでした。
まず最初の『週刊新潮』への投稿についてですが、これは隠しようもない事実です。しかし、袴田氏はそれまでに会議で党の批判をしたということで党員としての権利を制限されていました。党内部で発言する機会を奪われてしまっていたのです。それでやむなく、自分の主張を社会に発表する方法として週刊誌を選んだのでした。

そのほかの除名の理由は付け足し、または誤解に基づくものでした。

二番目の党への批判。それは1976年12月7日、衆議院議員総選挙後の常任幹部会の会議で宮本顕治氏ら幹部会員に批判を加えたことです。袴田氏は、宮本顕治氏が機関紙拡張一本ヤリなので、党員は疲れ切って足が重くなっていることを指摘しました。足が重くなると大衆運動に力が入らなくなると。
「日本共産党が依拠しなくてはならない大衆勢力のなかで、われわれへの信頼が減っている、という事実がある。今の宮本顕治体制に党内民主主義はありません。僕よりも宮本顕治のほうこそ党規約を尊重していない。踏みにじっている」
そう袴田氏は会議で述べました。
このことを袴田氏は妻や自分の知り合いの党員にも話していましたが、それも宮本顕治氏の耳に届いて、「分派活動をしている」ことになりました。

しかし、袴田氏の場合、党が敗北した直後に開かれた会議で、選挙活動に対する反省、批判を述べただけです。これは、「党員は党の政策について討論し、組織や個人に対して批判することができる」(当時の党規約3条)ことに基づいています。袴田氏が会議で党の選挙活動等に対し批判的発言をしたとしても、これについて責任を問われるべき理由はありません。さらに妻との愚痴話が分派活動になる政党ってどんなものなのでしょうか?

 

昔も今も除名理由ってこじつけなんですよね。

それでも「結社の自由」だから許されると思っているフシがあります。


しかし、袴田氏は、宮本顕治氏を批判した会議ではかなり興奮していました。
その激情の余り、持病の心臓発作を起こして、会議の途中で退席し、病院に運ばれました。
治療に当たった医師らにその会議の様子を話しました。
そのときに「宮本顕治氏は党の独裁者であり、横暴である」とも言ったのです。この病院は党員が医療者として多く働いていました。袴田氏の話したことはすぐに、党指導者を非難する内容の発言をしたと党本部に伝わりました。それで、その病院でのことも、「党外部における発言には党の規約に違反する疑いがある」となったのです。

除名の三番目の理由である袴田氏がソ連共産党中央委員会極東部長に使者を送ったというのはたんなる誤解でした。

最後の野坂スパイ説は本当でした。
袴田氏は野坂議長のスパイ説を長年の疑惑として抱いていたことを指摘しました。党がこの事実を調査せずに放置しておくのはおかしいと主張し、その疑惑に関する資料も党に提出していました。
野坂氏は101歳まで生きましたが、このスパイ説が本当だったのは、野坂氏本人が1992年に認めました。

しかし、袴田氏はこのとき除名処分となったのです。
 
(左から、宮本顕治委員長、野坂参三議長、袴田里見副委員長、不破哲三書記局長)

 

袴田里見氏は宮本顕治氏とともに戦後の日本共産党を背負っていた人です。

戦時中も非合法の党活動を続けていました。

宮本顕治氏がスパイ容疑の党員を査問中にその党員が死亡した事件にも関与していたり、幹部だけあっていろいろ知りすぎたところもあったのでしょう。

 

 

 

 

そのあたりの発言や出版が世間をずいぶんと騒がせたようです。

 

 

 

こういう手記なんかも出版するもので、「転落者」とか「新転向者」とか、松竹伸幸氏と比較にならないくらいの罵倒を共産党から浴びせられていました。

 

 

おそらく出版された本、発行されたパンフレットは松竹パンフの何倍、何十倍だったのではないでしょうか?

 

 

2.袴田裁判の判決内容はどんなものだったのか?

 

地裁、高裁、最高裁と裁判は進みましたが、地裁の判決から最高裁までほぼ趣旨は変わっていません。
最高裁の特定の部分ばかり日本共産党は引用しますが、大事なのはそこではありません。

 

 

高裁の判決文の概要はこういう内容でした。

 

1.政党の結社の自由についての裁判所の見解

 

政党は「高度な公共性を持つ団体」であるので、憲法21条で「結社の自由」が高度に与えられている。だから政党の除名処分も内部的自立権として裁判所もこれを十分保障しなければならない。

 

2. 除名処分の裁判についての裁判所の見解

 

しかし、除名処分の理由の有無の認定が著しく恣意にわたりまたその処分の選択が不法な動機に基づきあるいは制裁の目的を著しく逸脱する等の制裁権の濫用があるか否かについてのみ司法審査の対象となり得るものと解するのが相当である。

 

3.袴田裁判でどうして除名処分は有効とされたのか

 

袴田氏は、処分調査審議中、党員としての権利制限されたのに、その際、党中央委員会に対し異議の申立や解除請求をせず、その後開催された党大会への出席要求をすることもなくこれを放置して、党の右措置に従っており、また、除名処分をされた際にも、党規約第69条第2項に救済方法が定められているのに、再審査を求めるとか、党の上級機関に救済を求めるなどの手続は全くとっておらず、当該措置や処分の適否をいずれも争うことはなかった。

 

それによって、共産党による除名処分には、袴田氏が主張するような手続上の瑕疵は全くなく、袴田氏に再三出頭弁明の機会を与えたのに、袴田氏は、その出頭要請を拒否するなどして殆んどこれに応ぜず、党規約上の権利を放棄した。したがって、除名処分は、党の内部機関がその権限に基づいて党規約に従ってしたものであって、その手続には何らの違法もなかったといわねばならない。


つまり、日本では「結社の自由」が認められています。それは高度な自治における自由だと言えます。制裁を課す規約を作っても当然でしょう。
でも、大事なのは次のところです。

 

しかしながら、他方、政党といえども前述のように憲法上その存在を予定された団体であるから、政党の組織や運営が憲法の所期する民主主義の原理に則ったものでなければならないことは、憲法上の当然の要請であり、したがつて、政党の内部的自律権による制裁処分についても、公正な手続によるべきが当然であるとともに、その構成員の権利利益についても政党の目的、性質に反しない限り十分配慮されるべきことは当然である。

 

これらの見地に立って考えると、政党の内部的自律権による制裁処分については、それが個人の権利、利益の侵害をもたらす場合において、当該処分の手続自体が著しく不公正であったり、当該処分が政党内部の手続規定に違背してされた等手続的な問題については裁判所がこれを司法審査の対象としてその適否を判断することができるが、当該処分を課すべき理由があるかどうか又は当該処分を選択したことが相当であるかどうかの実体的な問題については、原則としてこれを政党の内部的判断にゆだねるべきであり、その適否を司法審査の対象とすることができないのであって、ただ、当該処分の理由の有無の認定が著しく恣意にわたりまたその処分の選択が不法な動機に基づきあるいは制裁の目的を著しく逸脱する等の制裁権の濫用があるか否かについてのみ司法審査の対象となり得るものと解するのが相当である。

 

 

 


政党には民主主義の原理が重要であり、除名処分も公正な手続きかどうか、党員の権利利益に配慮すべきです。裁判所は司法としてそこを審査します。
こういうふうに言っているのです。
憲法が好きな共産党の皆さんにとって、判例や基本書などはあまり意味がないようですが。
憲法は、あくまで条文だって言う人もいます。

 

 

3.『憲法判例百選』での袴田裁判の解説

 

 

この裁判は『憲法判例百選Ⅱ(第7版)』(有斐閣)にもこんな内容で載っています。

最高裁は、袴田里見の立退き事件の判決において、2つのテーゼを提示しました。

 

①   政党による党員に対する処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題である場合には、裁判所の審判権は及ばない。

 

②   処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合には裁判権の審判権が及ぶが,処分の当否の審判は,手続の適正さに限定される。


①  のテーゼは,「部分社会の法理」と呼ばれる従来の判例理論の系譜に繋がるものということができます。
「部分社会の法理」を示した代表的な判例として、村議会議員の出席停止懲罰の無効確認等を求める訴えと、富山大学における単位授与認定等に係る義務確認を求める訴えを上げています。いずれも部分社会として自治権を認め、司法審査の対象外とされました。

しかし、本件は、前述の②のテーゼが当てはまる事案です。
共産党による除名処分は袴田氏の一般市民としての権利利益を侵害するものであって、最高裁判決の基準によれば、本件は、司法審査の対象となる事案だとされています。
 

もっとも、裁判所が、政党内部の処分の当否を判断すべきでないのであれば、そうした事項を前提問題とする訴えを却下するという考え方もありうるところです。
 

それまで、最高裁は、宗教団体の内部紛争については、訴訟物が具体的な法的権利義務である場合であっても、板まんだら事件などで、訴えを却下するという考え方をとっていました。(最三小判昭和56・4・7民集35巻3号443頁一本書Ⅱ-190事件)。
しかし、最高裁は、袴田里見の立退き事件では、訴えを却下するのではなく、政党による除名処分を是としてその請求を認容する途を選びました。

除名処分の理由の有無の認定が著しく恣意にわたりまたその処分の選択が不法な動機に基づきあるいは制裁の目的を著しく逸脱する等の制裁権の濫用があるか否かについてのみ司法審査の対象となり得るものと解するのが相当である、と実体審査をする考えを示しました。

しかし、実体審査を行った判決結果はこうでした。


袴田氏は、処分調査審議中、党員としての権利を制限されたのに、その際、党中央委員会に対し異議の申立や解除請求をせず、その後開催された党大会への出席要求をすることもなくこれを放置して、党の右措置に従っており、また、除名処分をされた際にも、党規約第69条第2項に救済方法が定められているのに、再審査を求めるとか、党の上級機関に救済を求めるなどの手続は全くとっておらず、当該措置や処分の適否をいずれも争うことはなかったのです。

 

 

 


つまり、袴田氏が今回の松竹伸幸氏のように規約に忠実に対応していたらどうなっていたのでしょうか?
これは一政党の内部規律の問題だけでなく、「政党」という存在を日本の民主主義のなかでどう位置づけるかの問題でもあると思います。