さて、松竹伸幸氏は名誉毀損の不法行為からその原因となった除名処分の撤回へと裁判を進めることを記者会見で言っていました。
その第一関門の「名誉毀損」が成立するのか?
するとしたら、どういうことなのか?
これは今、松竹さん側の弁護士が一つ一つを精査しているのだと思います。
裁判を邪魔するつもりはないし、読者を混乱させるつもりもありませんが、パトラとソクラ的なただの野次馬の戯言ですので、ここに書いたことはすべて弁護士も読者も無視していただいて結構です。
まあ、法律の専門家の弁護士が参考にするわけないとは思うけど(^0^)
1.「名誉毀損」とは何か?
今回は刑事裁判として「名誉毀損」した相手を告訴するということではありません。
あくまで、民事裁判として損害賠償請求するということです。
損害にはおそらく実損のものと精神的損害=慰謝料的なものが計算されるのだと思います。
実損としては、記者会見でも松竹さんが言っていたように編集者として原稿を書いてもらえなくなった人がいるとかということなんかもあると思います。
それより今回の場合は、精神的損害のほうが大きいように思います。
名誉毀損とは、刑事でも民事でも「相手の社会的評価を下げる」ことになる事実を適示したり、論評することを指します。
民法においては、以下を満たす場合、名誉毀損に当たります。
・故意または過失による事実または意見論評の流布
・これによる被害者の社会的評価の低下
民法では、刑法と異なり、事実だけでなく、意見や論評であっても、それらを流布(不特定または多数の人に広める行為)することにより人の社会的評価を低下させた場合には、名誉毀損に該当します。
「意見論評」とは、証拠等による証明になじまない物事の価値、善悪、優劣についての批評や論議などをいいます。(最高裁判決平成16年7月15日)
従って、「A社がB社を私物化している」「〇〇は極悪人」など、主観的な評価を示すだけの場合であっても、民法では、不法行為に該当する可能性があります。
「社会的評価が低下」するか否かは、一般人の感覚を基準に判断されます(最高裁判決昭和31年7月20日、最高裁判決平成28年1月21日)。
・名誉毀損が不法行為とならない場合
民法も刑法と同じく、報道や表現の自由との調整のため、名誉毀損に当たる行為であっても不法行為とならない場合があります。
この点、民法における名誉毀損の態様には、「事実の摘示」と「意見論評」がありますが、それぞれについて不法行為とならない場合の基準が異なります。
事実の摘示については、以下の基準を満たす場合には、不法行為となりません。
① 事実の公共性
② 目的の公益性
③ 摘示された事実が重要な部分において真実であること(真実性)または摘示された事実の重要な部分を真実と信ずることについて相当の理由があること(誤信相当性)
上記のとおり、事実が真実でなくとも、相当な理由に基づき、摘示した事実の重要な部分を真実であると信じたことが証明できた場合にも、不法行為となりません。
意見評論については、以下の基準を満たす場合には、不法行為となりません。
① 公共性
② 目的の公益性
③ 意見ないし論評の前提となる事実が重要な部分において真実であること(前提事実の真実性)または意見ないし論評の前提となる事実が重要な部分について真実であると誤信して、そう信じたことについて確実な資料、根拠に照らして相当の理由があること(前提事実の誤信相当性)
④ 人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでないこと
なお、上記の基準を満たしていれば、意見論評自体は、社会的に妥当であったり、一般の支持を受ける内容であったりする必要はありません。
では、これまでの除名処分の経緯のなかで、どのことが松竹伸幸氏の名誉を毀損したことになるのでしょうか?
2024年01月15日に松竹氏がブログにアップした年表から見てみましょう。
2.射程①社会的地位
まず気になるのが、「かく乱者」というレッテル貼りです。
2023年2月8日には「しんぶん赤旗」で「党攻撃とかく乱の宣言 ――松竹伸幸氏の言動について」として、書記局次長の土井洋彦がこう書きました。
「私がいいたいのは、(離党について)いや早まるなと、ぜひ党にとどまって来年1月の党大会に代議員として出て、そのとき除名には反対だという意思を表示してほしい。同時にそこで党首公選も一緒に議決したらいい。私としてはこれから1年近くあるわけですから、全国の党員に呼びかけていきたい。そのためにこの1年を全力でたたかいぬきたい」
これは、まさに党内に松竹氏に同調する分派をつくるという攻撃とかく乱の宣言にほかなりません。松竹氏は、日本共産党に対する「善意の改革者」を装っていますが、その正体が何であるかを自ら告白したものといえましょう。
離党したいと相談しにきたある党員に、ぜひ党にとどまれというのも「かく乱」に思えちゃうんですね。
自党で除名処分にしておきながらですよ。
そして、2023年2月19日の「しんぶん赤旗」ではこう書いています。
日本共産党の綱領と規約に反する党攻撃と分派活動により2月5日に除名処分になった松竹伸幸氏は、“善意の改革者”を装っていますが、党の破壊者・かく乱者であることをみずからの言動で明らかにしています。
・・・
そもそも、除名された松竹氏が、党外からマスメディアを利用して、日本共産党員にみずからへの同調と党大会での処分撤回に賛同することをよびかけることは、憲法の保障する「結社の自由」へのあからさまな介入であり、その狙いは日米安保容認・自衛隊合憲の党への変質を迫ることにあります。
このような人に、“善意”のかけらもないことはあまりにも明白です。(H)
「〝善意〟のかけらもないことはあまりにも明白です。(H)」
あれれ?
除名した人物が再審査請求をするのに、党内ではできないのでマスメディアやSNS、ブログを使うのは当たり前でしょ。
それに善意も悪意もありますかね?
それに、(H)って誰のことですかね?
この「〝善意〟のかけらもない」とか「かく乱者」ということが社会的評価を下げるかどうかは「一般人を基準として」判断するのだそうです。
昭和31年7月20日の最高裁判例によると、名誉毀損が成立するかどうかは「一般読者の普通の注意と読み方」に照らして判断されるということです。
現在の共産党のことを憂う松竹氏がそれでも共産党に残ってやっていきたいと思っている行動を「〝善意〟のかけらもない」とか「かく乱者」とかいうのは社会的評価を下げているとパトラとソクラは思います。
でも、世間的にはこういう毒にも薬にもならないブログをせっせと書いている変人のパトラとソクラが「一般読者の普通の注意と読み方」なのかと問われれば、はてな?とも思う。
でも過去に似た裁判例もあるようです。
浜辺陽一郎『名誉毀損裁判』(平凡社新書)にはこういう記述があります。
たとえば、ある職業的団体において主流派の人々と意見を異にする人々を、「異端分子」「攪乱の動き」等の表現で批判した文章が問題となったことがあった。これは、見方によっては、その人々が反主流派であることの評価が一般的にあるとすれば、主流派から当然にそうした表現で批判される立場にある以上、その社会的評価が下落することにほかならないはずだ。つまり、この表現は、「反体制的な批判者」であるという意味にすぎず、その指摘自体は、何らの社会的評価の下落も伴わない。
しかし、これらの表現は、「その団体の分断を画策し、会員たるにふさわしくない秩序破壊者であるとの印象を与える」という理由で名誉を毀損するとされた。裁判所は「職域団体に所属して社会的活動に従事し、各人の社会的地位に応じて社会に貢献しているという名誉と感情を持ち、自己の所属する団体の秩序を乱す者であるとの指弾を受けることは、その者にとって不名誉なことであり、社会の不評を招いて、ひいてはその社会活動を封ぜられることになる」と指摘する。つまり、その具体的表現がその人の社会的活動でどんな影響を与えるかを具体的に絞殺する必要があるというのだ(東京地判昭和39年10月16日、判時388号14ページ)。
これは、松竹伸幸氏のことかと思うくらいシチュエーションが似ているとも思えます。
はるか60年前の裁判ですが。
この判決の「職域団体」というのを「日本共産党」に変えれば、今回の裁判の地裁判決でも成立しそうです。
「〝日本共産党〟に所属して社会的活動に従事し、各人の社会的地位に応じて社会に貢献しているという名誉と感情を持ち、自己の所属する団体の秩序を乱す者であるとの指弾を受けることは、その者にとって不名誉なことであり、社会の不評を招いて、ひいてはその社会活動を封ぜられることになる」
東京地裁判決●年●月●日とか。
ただ、名誉毀損は棄却理由があれば成立しません。
今回は意見論評の類ですのでこの条件があります。
① 公共性
② 目的の公益性
③ 意見ないし論評の前提となる事実が重要な部分において真実であること(前提事実の真実性)または意見ないし論評の前提となる事実が重要な部分について真実であると誤信して、そう信じたことについて確実な資料、根拠に照らして相当の理由があること(前提事実の誤信相当性)
④ 人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでないこと
①②はまあ、公党のことですので当てはまるでしょう。
③は誤信ではないですよね。「かく乱」かどうかは主観の問題もあるかもしれませんが。
④は、このレッテル貼りが「人身攻撃」「意見ないし論評としての遺棄を逸脱」だと判断されるんじゃないでしょうか。
「かく乱者」「善意のかけらもない」は明らかに言い過ぎですよね。
なんか楽勝に思えてきました。