この文章は去年の10月に書いたブログである。
もう一度掲載しようと思った。
松竹伸幸氏の除名処分の再審査が大会で拒否された。
「あんな奴ら」と呼ぶ県委員長がいた。党中央に忠誠を誓い、党への批判者の存在を利用し、「敵」呼ばわりして、機関紙拡大、党員拡大に逆に利用するという党官僚だ。
党内民主主義を求める党員に対して、「あんな奴ら」「党の攪乱者」と呼び、何の関係もない党勢の拡大を目指そうという非論理的な訴えをする。
党員は論理的に考えることが出来ない。
有権者に「除名は怖い」と言われた県議会議員に対して、新たな指導者は、「問題は除名ではなく、自由な発言(=出版)なのだ」と徹底的に批判を加える。
最大の問題は、そう言い放つ新たな指導者に、党大会の参加者が盛大な拍手を送る光景だ。
なんの疑問も持たない党員があふれている。
あらためてスターリン主義とはなんなのかを問いたい。
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この写真にこういうキャプションがある。
モスクワのスヴェルドロフ広場で、レーニンが軍に向かって演説をおこなう。ポーランド軍がキエフを占領したという話を否定し、士気を高める。 (1920/05/05)
しかし、この写真は修正されたものだ。
ソ連時代は写真の加工技術も進んでいた。
本当の写真はこちらで、中央演台にいるのがレーニン首相。その右の階段にいるのが、カーメネフ副首相(奥)とトロツキー軍事大臣(手前)。
トロツキーは、レーニンとともに1917年のロシア革命に関わり、1924年にレーニンが死去した後、1927年にジメヴィエフ、カーメネフとともにスターリンによって党から除名される。
1929年にトロツキーはソ連から追放される。
1930年に『永続革命論』、1936年に『裏切られた革命』が出版される。
1936年、第一次モスクワ裁判(被告は、ジノヴィエフ、カーメネフなど)
1937年、第二次モスクワ裁判(被告は、ラデック、ピャタコフ、ソコーリニコフなど)
1938年、第三次モスクワ裁判(被告は、ブハーリン、ルイコフ、ヤーゴダ、ラコフスキーなど)
1940年、トロツキー、亡命先のメキシコでスターリンの放った暗殺者によって殺害される。
『裏切られた革命』は、1936年トロツキーが56歳の時、亡命先のノルウェーにいる際に、フランス語版として出版されている。その年の11月にはノルウェー政府からも追放される。暗殺されたのはその4年後。
スターリン主義という脈絡で、スターリンの個人的な性格がしばしば問題にされる。
しかし、トロツキーはこの時点でそういう問題よりも党官僚がスターリンを利用している側面についても書いている。
大衆にとって無名の存在であったスターリンが完璧な戦略をいだいて舞台裏から突如として出てきたなどと考えたら素朴であろう。否、スターリンが自分の道を探しあてるまえに官僚がスターリン自身を探しあてたのである。
スターリンは古参ボリシェヴィキとしての威信、強靭な性格、狭い視野、みすからの権勢の唯一の源泉としての党機関との密接な結びつきなど、すべての必要な保証を官僚にあたえた。スターリンを見舞った成功ははじめのうちはかれ自身にとっても意外なものであった。それは、旧来の原理や大衆による統制から解放されたいと念じていた、そしてみすからの内部問題についての有望な仲裁裁判官を必要としていた新しい支配層の一致した反応であった。
大衆と革命の出来事の前では二流の人物でしかなかったスターリンが、テルミドール官僚の争う余地なき指導者として、その層の第一人者として登場した。
『裏切られた革命』p.124-125
トロツキーの分析では、官僚主義支配を望む官僚がスターリンを探し当て、スターリンが官僚たちに支配する権利を与えたというのだ。
「古参ボリシェヴィキとしての威信、強靭な性格、狭い視野、みすからの権勢の唯一の源泉としての党機関との密接な結びつきなど、すべての必要な保証を官僚にあたえた。」
また、こうも書いている。
歴史のニつの章の交代にさいしては、もちろん個人というものの契機が影響力をもたずにいなかった。こうしてレーニンの病と死は疑いなく結末を早めた。レーニンがもっと長生きしたなら、官僚権力の圧迫は少なくとも初期のうちはもっとゆっくり進んだことであっただろう。
しかし、一九二六年にすでに左翼反対派の仲間たちのあいだでクループスカヤはこう語っていた。「イリイチが生きていたとしたら、きっともう獄中にいたことでしょう」。その頃はレーニンその人の危惧や不安な予見が彼女の記僚の中で生きており、彼女も歴史の逆風や逆流に対抗するレーニン個人の全能というものについて少しも幻想をもとうとしなかったのである。
官僚は左翼反対派を打ち破っただけでない。官僚はボリシェヴィキ党を打ち破った。官僚は、国家機関が「社会の従僕から社会を支配する主人」に転化することを重大な危険と見ていたレーニンの政綱を打ち破った。官僚はこれらの敵のすべてー反対派や党やレーニンーを思想や論拠によってではなく、みずからの社会的バーベルによって打ち破った。官僚の鉛の尻のほうが革命の頭より重かったのである。これがソヴェト・テルミドールという謎にたいする答である。
『裏切られた革命』p.126
スターリン主義の問題について、しばしば、レーニンが生きていたら...と語られたりする。
しかし、レーニンが生きていたとしても、スターリンはレーニンさえも葬り去る力をもっていたと、トロツキーは捉えている。
「官僚はこれらの敵のすべてー反対派や党やレーニンーを思想や論拠によってではなく、みずからの社会的バーベルによって打ち破った。官僚の鉛の尻のほうが革命の頭より重かったのである。」
後にマックス・ウェーバーが支配の形態として分析した官僚制機構は、理念的には、精確、迅速、明確、文書への精通、継続性、慎重性、統一性、厳格な服従関係、摩擦の防止、物的人的費用の節約などの点で、他のあらゆる行政形態と比べて純技術的に優れているとする。
マルクスは、官僚制を階級社会ないし資本主義に特有の現象とみなし、社会主義になれば官僚制は容易に人民の自己統治にとってかわられていき、さらに共産主義社会においては国家もしたがって官僚制も死滅するであろうと、楽観的に展望していた。
しかし、ウェーバーは逆に、社会主義になれば、資本主義においてみられるような国家官僚制と私的官僚制とのある程度の相互抑制も廃止されて、国家的官僚制が独裁的に威力を振るうであろうとする悲観的見通しを提示していた(田口富久治氏の指摘)。
つまり、ウェーバーのその見通しを、ソ連の国家体制の推移が実証したということだろう。
トロツキーは1936年の時点でそれを経験として目撃していたのだ。
「官僚制機構」は人間に対する技術として考えた方がよいのかもしれない。
アイヒマンがヒトラーの下で「凡庸な市民」として判断停止してガス室送りを止めなかったように、官僚機構による法的支配は「悪」をも自動化してしまう。
スターリンの支配下で「悪」が自動化したのも同じメカニズムなのだ。
裏切られた革命。
革命を裏切ったのはスターリンなのか?
それとも制御しがたい官僚制機構なのか?
そもそも実現したかったものは実現不可能なユートピアに過ぎなかったのではないのか?
巨大化した国家は官僚制機構でしか統治できない。
国家は福祉を実現するのではあるが、議会や政党という政治装置、警察や軍隊の暴力装置も備えている。
一個人では制御できない国家という機構の前で、おののいたのは権力を手にしてしまった革命家自身だったのではないか。
ソ連の、スターリンの経験はトロツキーの視点によって、いろいろなことを教えてくれる。
革命党もひとつの権力機構である。
22年間もトップに君臨する人物が日本にもいる。
しかし、それはその個人のせいなのか、それを支えている官僚機構のせいなのか?
来年1月の党大会で誰かに代わるとしたときに、代わる人の顔が思い浮かばない。
パワハラで「警告」を受けた書記長か?
そのパワハラをパワハラとも自覚できない副委員長か?
党首公選制を提唱した党員を寄ってたかって「革命の敵」扱いする幹部たちか?
いや、それでは同じことだと思う。
トロツキーの『裏切られた革命』を今、読む意味はあるか?
そう自問して、さて、と思う。
歴史から消し去られた人物。
革命の敵として暗殺された人物。
その人物がどうして、暗殺した人物より気になるのか?
松竹伸幸さんには頑張ってほしいと思う。
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22年間、官僚機構のトップにいた人物はその座を別の人物に譲った。
その人物は女性で、一見権力とは縁遠い存在のように思う人もいる。
しかし、その人物はパワハラに鈍感で、自分がパワハラされたことも他人に言われて、そう見えるのが自覚できる程度だ。
受けるパワハラにも鈍感なら、自ら行うパワハラにも鈍感であることがデビューからわかった。
パワーを握ることを自覚出来ない権力者ほど恐ろしいものはない。
「スターリン主義」というのは、スターリンの個人的性格だけの問題ではない。
「革命」の名で、「科学的社会主義」「マルクス・レーニン主義」の名で、官僚機構を支配し、民主集中制というそれを自動再生産する制度で党員を支配する構造なのだ。
今や日本共産党は党員の一票の重みも捨てている。
「党首公選制」を提唱する人は、それを民主集中制の枠内で実施するという挑戦的な試みを述べている。
しかし、それは民主集中制とは相容れないと指導者は言い放つ。
やってみようとも、いや検討してみようとも思わない。
「党首公選制」を敵視する政党に民主主義の意味はわからないだろう。
党員の一票の重みを考えてもみない思考になっている。
党員の人権は党内で制限されるのが当然だと言う党員がいる。
もっとも基本的な「表現の自由」も失うべきなのだと言う。
そういう掟を破る者は追放されて当然だ、という党中央に従うカルト思考の党員が多く存在する。
この人たちに民主主義は実現できない。
自民党の裏金問題が「悪」だとわかっても、党内で精神的自由を守ることが「善」だとはわからない。
「民主集中制」と呼ばれている、中央集権的官僚制を政党が組織原則にすることは、政治的自由を窒息させることだ。
志位委員長、田村智子新委員長の性格が悪いわけではない。
それは批判者を「敵」に変える福岡県委員長、批判者の主張をねじ曲げる赤旗政治部長、再審査で除名処分を下した地区委員会の再調査もしない副委員長など、思考を停止させる官僚を再生産させるしくみなのだ。
大山奈々子氏が素朴な有権者の声を党大会で紹介して、除名処分を批判した。
彼女が『シン・日本共産党宣言』を読んでいたかどうかはわからない。
ただ、この人の勇気だけが今この党の希望だろう。
その希望のロウソクの炎は消えかかっている。
いや、党員がよってたかって吹き消そうとしている。
それが今の現実だ。