元日本共産党県議会議員候補の東郷ゆう子氏と日本共産党の中央委員会で東郷ゆう子氏の除籍処分の無効を争う裁判が進行している。

もう一つの灘民商からの不当解雇の無効取消裁判も併行して行われている。

しかし、こちらの日本共産党中央委員会を相手にした裁判は、東郷氏の「除籍」と松竹氏の「除名」処分の違いはあるものの、争点は似てくると思われる。松竹氏は来年の党大会が終わると、おそらく日本共産党を相手に訴訟することになると思う。

もちろん党大会で除名が取り消されると一番いいとは思うが。

 

その意味で、東郷氏の除籍取消裁判は注目に値する。

共産党からの準備書面で争点が明らかになってきている。

 

○東郷氏の除籍取消裁判の現況

争点 東郷ゆう子側「訴の変更申立書」(2023年9月5日) 日本共産党側「準備書面(1)」(2023年11月10日)
争訟性の有無 除籍という政党から排除される処分は、単なる「内部的な問題」ではなく般市民法秩序と直接の関係」を生じさせる行為である。そのため、「適正な手続」にのっとってなされたか否かによって決すべきであり、審理もその点に限られる。 一般市民の法秩序と直接の関係要しない内部問題である
除籍処分は無効 除籍処分等は、①党規約11条の「党員の資格を明白に失った」とはいへず、除籍処分の構成要件を充たさないものであり、②処分内容が明白な事実誤認に基づくものである上、著しく不合理であるから当然に無効である。 協議に応じず、党内の権利制限措置に対して訴訟を行い、損害賠償を求めていることは党の規約に基づく調査を拒否するもので、党資格を失っていると言える
本人と党との協議がなかった 党規約11条に基づく本人との協議がなされていないため、重大な手続的瑕疵がある 地区委員会が求めた協議に応じなかった
除籍処分は無効 部分社会の内部自律権に関する判例が存在し、特に、政党が党員に対してなした処分についての判例(最三小昭和63年12月20日判決)がある。しかし、最大判令和2年11月25日(裁判所時報1757号3頁)によって、最大判昭和35年10月19日を変更し、地方議会での出席停止の懲罰の適否は常に司法審査の対象となるとして、部分社会論を排斥されている。これは、争訟性の有無を論ずる前提となる論拠としての部分社会論が論理的に崩壊したことを示している。この部分社会論は、日本国憲法及びその他の法令上に全く根拠を持たないものであつて、「議会の内部規律の問題」であるとか、「一般市民法秩序と直接の関係」があるか否かといふ漠然とした抽象的な概念を用いて司法消極主義によつて判断の回避がなされること自体が、違憲違法なものなのである。 令和2年の最高裁判決は地方議会の根拠を「住民自治の原則」にもとめたものであって、「結社の自由」の問題とは別である。

 

富山大学の学生の退学処分をめぐって、昭和35年に争われた裁判は憲法学者の間では「部分社会の法理」に基づいているという理解になっている。司法や行政は、自治権を持った組織に対して抑制的であるべきこという考え方だ。

政党などの結社に国家が関与することは、戦前・戦中の反省から止めるべきだという考え方になるのはわかる。
しかし、それは結社の自由が、国家からの自由なのであって、内部規律や綱領のようなものがあれば、後は何をやってもよいというものではない。
昭和63年に判決があった袴田里見の住居立退き裁判も部分社会の法理の考え方がベースにある。
憲法学者の間では、この考えは将来に「判例変更は不可避」(高田篤『判例百選』2013年)との意見も従来からあった。
灘民商からの不当解雇裁判については、東郷ゆう子氏が勝つ可能性が高いと思うが、日本共産党からの除籍取消裁判の裁判は少し分が悪いのかもしれない。
今後の裁判の行方を注視したい。