(その9)幸福なプロレタリア独裁国家
新疆ウイグル自治区にはAIの監視カメラがあちこちに取り付けられ、「AI監獄」と化しているという報道があります。
これは中国政府がウイグル民族を抑圧しているという側面が確かにあるのですが、中国政府側からすれば、ウイグル自治区にはイスラム教徒が多く住んでおり、これまでもイスラム過激派によるテロが何度かありました。だからそれを未然に防止しているということです。
ウイグル自治区に限らず、中国には監視カメラが世界で一番取り付けられています。設置されているカメラは2000万台以上と言われているのです。人口比にしてもランキング上位の国がいくつもあります。
しかし、ウイグル族などを含め、中国の人々はそれに対して従順に見えます。
『幸福な監視国家・中国』(NHK新書)によると、中国の人々はテロ対策や犯罪防止のために積極的に情報を提供することに抵抗はないようです。お互いをネットの情報などで監視する状況を「デジタル・パプティコン」と著者たちは呼んでいますが、テロを防止するという目的のためにはカメラで日常を映されるのは許容するのです。
これは日本でもそういう自治体があったりします。個人の人権より公共の福祉を優先するという首長もいますが、中国ではその程度がさらに進んでいるということでしょう。
また、中国国民は、社会信用のシステム構築に積極的です。
金融の与信供与の信用度を上げるアプリがあります。携帯電話や公共料金の支払い履歴などに基づいて信用を評価する「芝麻信用」というサービスです。ネットショッピング、モバイル決済、ネットの人間関係、保有資産、学歴などクレジットヒストリー以外のデータをもとにAIがスコアを算出します。これはクレジットカードを持てない低所得者層に融資をする場合などに役立っています。
「懲戒」分野の信用システムも進んでいます。
脱税や規則違反などの道徳的信用をスコア化してブラックリストにしているものもあります。この失信被執行人リストは、通称「老頼(ラオライ)」と呼ばれています。裁判判決をちゃんと履行しない人をリスト化し、船舶の利用や私立学校への通学、一つ星以上のホテルやナイトクラブの利用に制限をかけています。
これは中国共産党や省庁、自治体が合同で発表しているリストです。
自治体による信用スコアの公表もあります。
これにより、入学、雇用、生活保護、社会保障、共産党入党、軍隊への応募などで優遇したり、資格を剥奪したりしています。
これは一時世論の批判を浴びましたが、自治体での導入は進んでいます。
監視されることとの引き換えに様々な社会的優遇を受ける。
中国の人たちはそれを受け入れています。
かつて鄧小平は「穏定圧倒一切」(安定がすべて. を圧倒する)というスローガンを掲げました。
また、鄧小平は「先富」(豊かになれる条件を持った地域、人々から豊かになればいい)という方針を好んで主張しました。経済特区に指定された深圳などはまさしくそれを体現した都市でした。
そういう政策のもとで、民主化に反対し、グーグルや百度などの検索サイトやSNSで政府批判の言葉を検閲して排除することは当たり前になっています。
中国の法制度が民法の契約法で事細かに権利関係が定められるのは、巨大な市場や契約を国家のなかに抱え込んでいるからです。
その一方で、憲法では公共の福祉を理由に人権に切り込んでいます。
それはブルジョア階級のいない社会を実現するためです。
そのためにプロレタリアート独裁を行い、国家も政党も民主集中制で運営するのです。
そうやって、中国は徐々に豊かな国になってきました。
世界銀行ランキングでは、10位までに4つは中国の銀行です。
GDPも急速に伸び、一人当たりのGDPも伸びています。
中国は社会主義の国だと思っている人が多いのですが、実際には株式市場も上海、深圳という巨大な市場があり、取引高も世界有数になっています。
上海株式市場では主に大きな国有企業が、深圳株式市場ではベンチャーやIT系の企業が上場しています。
ただ、アリババなどのグローバル企業は海外で上場して資金調達をするケースが多いようです。それはまだ中国の株式市場では政府による規制が多く、上場するのに手間が掛かるという事情があります。
一方で、格差は広がっています。
ジニ係数という社会における所得の不平等さを測る指標は拡大しました。
ジニ係数とは、コッラド・ジニが考案した係数で、0から1で表され、各人の所得が均一で格差が全くない状態を0、たった一人が全ての所得を独占している状態を1としています。
0.4を超えると騒乱が起きると言われていますが、その水準を超えています。
この格差の拡大は、トマ・ピケティが分析したように資本主義の成長段階に特有のもので、やがてすべてが豊になり格差が縮小していくのか、このままか、さらに広がっていくのかよくわかりません。
中華人民共和国は、国家を発展させるために経済特区などを含む巨大な市場を抱えています。それは経済成長や一人当たりGDPの向上など国民を豊かにしてきました。
一方でブルジョア階級による支配を排除するため、プロレタリア独裁の国家を維持すべく、共産党による一党支配を続けています。
天安門事件など民主化を要求する運動を徹底的に弾圧し、排除します。
そのため、情報管理を徹底し、ネット上から政府批判の言動を取り除きます。
いまやその姿は「デジタル・パプティコン」から「ハイパー・パプティコン」とも呼ばれています。
こういう国家運営は必ずしも支持されていないわけではなく、天安門事件を共産党が弾圧しなかったら、今の中国の繁栄はなかったと思う人々も多くなっています。
王丹(ワン・タン)のように天安門事件後、アメリカに亡命し、今も台湾で中国の民主化運動を続ける人もいれば、今の中国を支持する人もいます。
今でも天安門事件を主導した王丹などは、共産党支配に変わる何か未来の設計図があるわけでもなく、また民主化のための統一した団体を組織しているわけでもありません。
考え方が多様すぎて、まとまらないというのが実情のようです。
そういう状況の中で中国の国民は天安門事件を共産党が抑えなかったら、中国の国家はロシアのようにバラバラになっていたかもしれないと不安に思っています。
しかし、大方の中国人が今の統治を積極的に受け入れた結果が、マイケル・サンデルの番組で中国の大学生が「中国は民主主義国家だ」と主張するようになっています。
中国では、幸福と引き換えに、複数政党制や直接選挙や表現の自由を手放しているのです。
社会信用システムのスコアを上げることに国民は熱心に取り組んでいます。
犯罪防止のために積極的に監視カメラの設置に強力します。
中国では、幸福なプロレタリア独裁国家を共産党の指導のもとに実現しようとしています。
それはマルクスやレーニンが目指した国家が死滅する共産主義社会へ向かっているのでしょうか?
いや、ますます国家は大きく強靱になっています。
これは何を意味するのでしょうか?
生産手段の私的所有が生産力の向上を阻害し、人間の能力の発達を阻害している。そうマルクスやエンゲルスは考えました。
そのためにプロレタリアートによる生産手段の所有が必要だと、プロレタリアート独裁の考え方を示しました。プロレタリア・ディクタツゥーラ、人民民主主義独裁、どれも同じです。
レーニンの時代、第一次大戦の戦争を内乱への時代には暴力的に革命を行うことが主でしたが、革命の手法はともかく、革命後、プロレタリア独裁は共産党が国家を運営することによってしか成り立ちません。
その最先端の実験が中国で行われているのです。
マルクスやエンゲルスはどこで間違ったのでしょうか?
レーニンも考えた国家が死滅する共産主義社会はどうして実現しないのでしょうか?
それは、まず、中国の人々が経済的に豊かになるためには精神的自由を犠牲にしてもよいというところに行き着いたことの矛盾です。
人間にとって一番大事なものは精神の自由だと思い、ヘーゲル研究をしていたマルクスやエンゲルス。それが、資本主義の仕組みを分析することによって、「搾取の自由」を無くせば、すべてが人間解放の始まりになると考えました。経済の改革を優先することが結論になったのです。
階級によって国家が生まれたのだから、今のブルジョアとプロレタリアという階級がなくなれば、国家が消滅すると考えました。
レーニンはブルジョア社会で生まれた民主制さえ死滅すると考えました。だから、民主制を経験しなくても共産主義社会は実現できると思いました。
果たして、複数政党制、直接選挙、思想表現の自由は民主主義にとって、人類にとって重要ではないのでしょうか?
ハンサムなアジテーターだったウアル・カイシンは、亡命後、今は見る影もなくなっています。
しかし、言葉はカッコよく、勇ましい。
「何が民主であるかのかは知らなかったが、何が民主に非ざるものかは知っていた」
香港でも民主化をめぐって、2020年にデモの盛り上がりがあり、中国政府が弾圧しました。
プロレタリア独裁国家のなかに巨大な市場を抱え込む。
そのなかでは「搾取の自由」が許される。その経済的自由は精神的自由を育む。
ハイパー・パプティコンのシステムで共産党国家はそれを雑草抜きのように排除する。
それは最近、日本共産党が行ったいくつかの除名処分とも似ています。
除名処分という雑草抜き作業です。
中国の実験、共産党の実験は今も続いています。