じいちゃん☆
大好きだったじいちゃん。
記録の為に書きます。
毎年ひ孫たちにもお年玉の準備をしてくれていた優しいじいちゃん☆
今年の正月は吐き下しで行けなかったけどお母さんに預けていたから正月明けに行こうと思っていた矢先の入院。
じいちゃんいきなりHCUかよ!とびっくりした。
心不全、肺炎のダブルパンチ(T^T)
一回目の峠がここでした。
ちきなそうで毎日お見舞いにいった。
元気な時もあればちきなそうで見ててこっちが辛くなる。本人もっと辛いのに。
しかし先生もびっくりする位の回復で一般病棟へ。
良くなるのは3週間~4週間、悪くなるのは半日と言われながらも少しづつ元気になりしばらく寝たきりだったのでリハビリして〜の在宅復帰に向けての矢先にまた急変してHCUへ。
びっくりしてまた病院へ。
ちきなそう。
もう良くなることはないと先生からいわれた。
現実逃避したい。
でも毎日お見舞いに行くとやっぱり少しづつ元気になりまたしても峠こえたか?の勢い。HCUにうつって一週間弱絶食だったためか「あー。ゼリーみたいなあっさりしたもんくいてーなぁ。」と。
「あっこ買うてきてくれ」
「いや。まだなんにも食べてないやろ?聞いてみてあげる。」と看護師さんに聞くと先生に聞いてくれてOKの返事が。
土曜日だったので売店空いておらずコンビニまで買いに言った。
プッチンプリンbigしかなくて(その他はオシャンティーなプリンばかり)big2つ購入。
じいちゃんにもってくと「われ、これちょっと大きいわ」と言いながらも1口食べると「あー。あっさりした。うまい」と満面の笑み。
全部は食べきれなかったけど8割は食べてくれた。
流動食食べれるようになったからまた少しづつ復活するかなと嬉しくなり「またくるね」と。
「おおきにな。」とじいちゃん。
これが最後の会話となりました。
看護師さんに「また元気になって家帰れるかなぁ?」と聞いて「なるなる!」と、言われ嬉しそうに笑ってたじいちゃん。
日曜日5日の昼前の電話。
「じいちゃん危ないみたい。すぐ病院いって
」
見に行った時は人工呼吸器ついてもう会話不能になっていました。
医師からの説明。
早ければ今日明日。
人工呼吸器つけなかったら30分から数時間でしたと。
受け入れられない。
昨日あんなに嬉しそうに美味しそうにプリン食べてたよ?
みんなで交代でじいちゃんの付き添いに。
わたしは一旦帰宅し風呂など済ませ夕方から夜にかけて付き添いました。
ベッド脇で喋っていると血圧が上昇したり?笑
いとこと笑いながらじいちゃんに話しかけていました。
子供のことも気になりながら大丈夫と言われ旦那に感謝。
しかし11時すんでも依蕗が寝ないと連絡あって旦那も次の日仕事だしと寝かしつけるために11時半過ぎに一旦帰宅。
まだ起きてました(T^T)
私がきたら秒殺で就寝。
保育園の準備などしてからまた病院行こうと思っていた矢先お母さんから電話が。
「じいちゃんだめやった…」
??
何のことか理解不可能。
まだ病院から帰ってきて30分も経ってないよ?
あんなに付き添って急変しそうにもなかったのに。
そして死に目にあえなかった…(>_<)
でもじいちゃんの子供たち3人が揃ってしばらくして苦しまずすっと息をひきとったそうです。
やっぱりじいちゃん子供たちが来るの待ってたのかなぁ。と思うと子供の存在って凄い。
人に言ったら人間も動物みたいに死に目見せたくない人もおるんじゃない?
だから孫には見せたくなかったんじゃないかな?と言われ涙がでました。
それからお母さんも心配だったので実家に行きました。
何故か母より父が大号泣で私の涙も完全止まりました笑
父の大号泣始めてみた笑
父も小さい時に自分の父を亡くしてたみいだからじいちゃんだけが義理とはいえ父親やったからなぁ。と思ったり。
それからじいちゃんちへ行ってじいちゃん見てきた。
まだあったかい。
そして笑顔で寝ているようでした。
家に帰って少し寝て(寝た気もしなかった)仕事へ。
モップがけしながら1人涙止まらない。
辛かった。
夜はロウソク当番あたりじいちゃんと一緒な部屋で少し就寝。
それからまた仕事に行き納棺、お通夜に葬式。
火葬場は泣いたなぁ。
まわりの空気からか乃暢も大号泣。
少し理解できる年になったかな。
じいちゃん筋肉質で燃えにくかったそうで時間かかったみたいです笑
ずっと御陣乗太鼓を叩いてきたじいちゃん。
東京オリンピックでも太鼓を披露したと聞いて誇らしくなりました!
年のせいもありわたしの結婚式では祝い太鼓叩けなかったけど叩いて欲しかったなぁ。
いとこんちにいってもいつもの定位置にじいちゃんがいないと寂しいなぁ。
ばあちゃんは施設でもうじいちゃんのことわからないし葬式にも出席せず。
じいちゃんは全く認知症じゃなくしっかりしてたからばあちゃんのことも心配だっただろうなぁ。
プッチンプリンお供えにいってこよう!
じいちゃん亡くなってもう一週間。
早いなぁ。
86歳の人生お疲れ様でした。
じいちゃん大好きだー☺︎︎
記録の為に書きます。
毎年ひ孫たちにもお年玉の準備をしてくれていた優しいじいちゃん☆
今年の正月は吐き下しで行けなかったけどお母さんに預けていたから正月明けに行こうと思っていた矢先の入院。
じいちゃんいきなりHCUかよ!とびっくりした。
心不全、肺炎のダブルパンチ(T^T)
一回目の峠がここでした。
ちきなそうで毎日お見舞いにいった。
元気な時もあればちきなそうで見ててこっちが辛くなる。本人もっと辛いのに。
しかし先生もびっくりする位の回復で一般病棟へ。
良くなるのは3週間~4週間、悪くなるのは半日と言われながらも少しづつ元気になりしばらく寝たきりだったのでリハビリして〜の在宅復帰に向けての矢先にまた急変してHCUへ。
びっくりしてまた病院へ。
ちきなそう。
もう良くなることはないと先生からいわれた。
現実逃避したい。
でも毎日お見舞いに行くとやっぱり少しづつ元気になりまたしても峠こえたか?の勢い。HCUにうつって一週間弱絶食だったためか「あー。ゼリーみたいなあっさりしたもんくいてーなぁ。」と。
「あっこ買うてきてくれ」
「いや。まだなんにも食べてないやろ?聞いてみてあげる。」と看護師さんに聞くと先生に聞いてくれてOKの返事が。
土曜日だったので売店空いておらずコンビニまで買いに言った。
プッチンプリンbigしかなくて(その他はオシャンティーなプリンばかり)big2つ購入。
じいちゃんにもってくと「われ、これちょっと大きいわ」と言いながらも1口食べると「あー。あっさりした。うまい」と満面の笑み。
全部は食べきれなかったけど8割は食べてくれた。
流動食食べれるようになったからまた少しづつ復活するかなと嬉しくなり「またくるね」と。
「おおきにな。」とじいちゃん。
これが最後の会話となりました。
看護師さんに「また元気になって家帰れるかなぁ?」と聞いて「なるなる!」と、言われ嬉しそうに笑ってたじいちゃん。
日曜日5日の昼前の電話。
「じいちゃん危ないみたい。すぐ病院いって
」
見に行った時は人工呼吸器ついてもう会話不能になっていました。
医師からの説明。
早ければ今日明日。
人工呼吸器つけなかったら30分から数時間でしたと。
受け入れられない。
昨日あんなに嬉しそうに美味しそうにプリン食べてたよ?
みんなで交代でじいちゃんの付き添いに。
わたしは一旦帰宅し風呂など済ませ夕方から夜にかけて付き添いました。
ベッド脇で喋っていると血圧が上昇したり?笑
いとこと笑いながらじいちゃんに話しかけていました。
子供のことも気になりながら大丈夫と言われ旦那に感謝。
しかし11時すんでも依蕗が寝ないと連絡あって旦那も次の日仕事だしと寝かしつけるために11時半過ぎに一旦帰宅。
まだ起きてました(T^T)
私がきたら秒殺で就寝。
保育園の準備などしてからまた病院行こうと思っていた矢先お母さんから電話が。
「じいちゃんだめやった…」
??
何のことか理解不可能。
まだ病院から帰ってきて30分も経ってないよ?
あんなに付き添って急変しそうにもなかったのに。
そして死に目にあえなかった…(>_<)
でもじいちゃんの子供たち3人が揃ってしばらくして苦しまずすっと息をひきとったそうです。
やっぱりじいちゃん子供たちが来るの待ってたのかなぁ。と思うと子供の存在って凄い。
人に言ったら人間も動物みたいに死に目見せたくない人もおるんじゃない?
だから孫には見せたくなかったんじゃないかな?と言われ涙がでました。
それからお母さんも心配だったので実家に行きました。
何故か母より父が大号泣で私の涙も完全止まりました笑
父の大号泣始めてみた笑
父も小さい時に自分の父を亡くしてたみいだからじいちゃんだけが義理とはいえ父親やったからなぁ。と思ったり。
それからじいちゃんちへ行ってじいちゃん見てきた。
まだあったかい。
そして笑顔で寝ているようでした。
家に帰って少し寝て(寝た気もしなかった)仕事へ。
モップがけしながら1人涙止まらない。
辛かった。
夜はロウソク当番あたりじいちゃんと一緒な部屋で少し就寝。
それからまた仕事に行き納棺、お通夜に葬式。
火葬場は泣いたなぁ。
まわりの空気からか乃暢も大号泣。
少し理解できる年になったかな。
じいちゃん筋肉質で燃えにくかったそうで時間かかったみたいです笑
ずっと御陣乗太鼓を叩いてきたじいちゃん。
東京オリンピックでも太鼓を披露したと聞いて誇らしくなりました!
年のせいもありわたしの結婚式では祝い太鼓叩けなかったけど叩いて欲しかったなぁ。
いとこんちにいってもいつもの定位置にじいちゃんがいないと寂しいなぁ。
ばあちゃんは施設でもうじいちゃんのことわからないし葬式にも出席せず。
じいちゃんは全く認知症じゃなくしっかりしてたからばあちゃんのことも心配だっただろうなぁ。
プッチンプリンお供えにいってこよう!
じいちゃん亡くなってもう一週間。
早いなぁ。
86歳の人生お疲れ様でした。
じいちゃん大好きだー☺︎︎
2016/08/17
昨日(今日か?)夢を見ました。
どういうシチュエーションかはっきり覚えていないけど、谷さんから電話がかかってきて待ち合わせの約束をして本を2冊渡されました。
どんな本だったか名前が全く思い出せないけど夢の中で「なんつー、難しい本や」と思った記憶があるので絶対思い出すことはないなぁ…(ˊo̴̶̷̤ ̫ o̴̶̷̤ˋ)
本を渡され笑顔で「ありがとう」と言われてさよならをしました。
目が覚めた時わたし泣いてた…( ・_・̥̥̥ )
よく覚えてない中学校の頃付き合ってた日々が少しよみがえってきた。
昨日16日は葬儀も埋葬もされた日。
なのにわざわざわたしなんかに会いに夢にでてきてお礼まで言ってくれた。
「ありがとう」
夢を思い出すと涙が溜まる。
最後まで本当に良い人だなぁ。
谷さんからのメッセージ凄く嬉しかった。
いつか会える日がきたらわたしからもありがとうと言いたいな。
その日が来るまで1日1日を大切に生きようと強く思います。