どういうタイトルで書こうか、、ちょっと迷いましたが、昨日の施行に事書きます。
というか、朝から書かずにおれなくて、、
私は 去年 立正佼成会という宗教に入信しました。といっても、その宗教は在家仏教(どういう意味かまだよくわかりませんが)宗教のお勉強をする教会 だそうです。
教え自体は、良いことを言っていると思うし、教会に月に何度か足を運んで、みんなでお経を唱えます。宗教としては法華経。
法華経は、聖徳太子が中国から取り入れた仏教で、「この宗教が一番 万人にわかりやすい と判断して法華経を広めたのだそうです。
それを、立正佼成会という宗教を立ち上げた教祖様がいて、全国に広まり、杉並に大聖堂を作って、、、
私が数ヶ月で知り得たことはこのくらい。
何故、立正佼成会に入ったかという私の動機が問題なのです。
私の事を親身になって思ってくれている80歳の女性が現れ、私は、母のように慕って「お母さん、お母さんと毎日、お家に遊びにいき、いろいろな事を学びました。
私の母は認知症5で、もう私のこともわからないのです。
「もし、お母さんが元気だったら、こんな風に、いろいろな事を話したり、楽しいのだろうか、、」なんて思っていました。
その大好きなお母さんが、私をその宗教に導きました。
仕事が思うように入ってこなくて、営業に行っても相手にされない、、そんな悩みがあった(今もあるけど)時、
「あんた、立正佼成会に入って、そこでみんなのに葬儀を貰えるようにすればいい」
そうお母さんが言いました。
「やってみる」
そう思い、入信しました。お当番が月に2回ほど回ってくると朝六時から3時頃まで教会でご奉仕をします。
教会は半田市にあって、家から1時間ほど車で走ります。
夫の戒名もいただき、5人のお役の方に来て頂き、皆でお経を唱えました。
そのお礼も教会に心付けを払うのみ。
お寺さんとお付き合いしていくお金の余裕がない私にとっては、夫の供養もできて
本当によい宗教と思っていました。
お母さんが、だんだん、きつくなって、遊びにいくたびに「お題目を唱えないから、
いつまでたっても神様がお前を引き上げてくれないんだ。
だからいつまでたっても貧乏だ、お前には器がないから、営業にどれだけ行っても無駄だ、もっと立正佼成会を真面目に信心しろ
そんなことばかり言うようになりました。
そして、わかったことは「立正佼成会は在家仏教だから、信者さんだからといって
も、皆さん、亡くなった時はお寺さんの葬儀をします」ということでした。
しかも、今のご時世、皆さん、葬儀社が決まっていて、互助会に掛け金しているからそこの納棺師にやってもらう、と言うことで、私がどれだけ立正佼成会にのめり込んだとて、お仕事が頂けるわけがないと言うことでした。
支部長に電話で、私が何故、立正佼成会に入ろうと思ったか、そして、今はその動機で入っても意味がないこと、私の導きの親は、私が仕事が欲しいということを逆手にとって、私の目の前に、人参ぶら下げて「仕事欲しいなら人参食え」というばかりに入信させ、入ったら入ったで、毎日お題目唱えろ、お前は器がない、などと言われるから、もう辞めます
そう言って、そのお母さんとも会わず、立正佼成会の教会にも行かずに半年経ちました。
昨日、葬儀社から仕事が入って住所をナビに入れて在家に行きますと女性が
「岡崎さーん、うちここよー良かった、岡崎が来てくれた」
そう手を振って大きな声で言います
あれ?立正佼成会の人だ、、ヤバ、、もう関係ないし、会いたくないのに、、
でも、その女性は「良かった、良かった」と涙を浮かべて私を待っててくれた感じでした。
沢山ある葬儀社から法輪を選び、私が其処に行くことになった、それはどう考えても、目に見えない、神様を感じました。
故人様は、グレーシートの上で寝かされていて、頭から出血、顔のうっ血もあり、、
それでも、私じゃなければ出来ない、私が指名されたんだから、そう思って必死に以前のお顔を作り上げました。
娘さん、奥さん(立正佼成会の人)も、良かった、元気な時のお父さんの顔だー」と
喜んでくれました。
こんな不思議なことがあっても、また教会に足を運ぶという気持ちにはなれませんが
此処に私の気持ちと、お釈迦様が、こんな私にでも、見捨てずにいてくれた。という感謝の気持ち書いておきたかった。
ありがとうございます。