
光の道の左側 アップで見てみてください。
私の友達に対馬の初日の出の写メ送りましたら
「左側にはっきりと女性の姿がみえる」とメールが来ました。
私は目を凝らしてみていると、、、、

ノートにスケッチして、友達に送ると
「位置的には同じなんだけど、もっと小太りの叔母さんで髪の毛は長いよ」

試しに、この画像を送って、「この肖像画の女性に似てない?」
メール送るとすぐに「そう!よく似てるわ」
返事が来ました。
対馬に行く前から気になって、神功皇后のことは下調べしてました。
この女性は実在したらしいです。
私が「古代」はまった最初の人物。ヤマトタケルの子供である仲哀天皇奥さんだったんですが
亡くなったあと、天皇の称号をもらったみたいです。九州対馬か壱岐から朝鮮に出兵して
自らも戦いに挑む、、とか、、その時、妊娠していましたが、お腹に石を巻いてお腹を冷たくして
出産を遅らせたとかいうエピソードがあるようで。
何故、下調べしたかというと、和多津美神社にある磯良のお墓らしい、君の悪い?石が気になって
磯良と神功皇后のことを調べらてみようとそたのです。
対馬には多くの神々が鎮座していますが、特に重要視されてきたのが、海神の娘・豊玉(とよたま)姫と、神功(じんぐう)皇后です。豊玉姫は「古事記」の海幸山幸伝承に登場する女神で、初代天皇である神武天皇の祖母にあたります。航海守護・安産・豊漁などの庶民にも身近な神徳があり、島民に親しまれてきました。
一方、神功皇后は懐妊したまま三韓(朝鮮)征伐を行ったとされる勇ましい女神で、子の応神天皇とともに「八幡神」として全国の八幡神社に祭られています。神功皇后は九州北部に縁の深い女神であり、対馬にもたくさんの伝承地があります。
豊玉姫は外国への航海(交流)の守護神、神功皇后は外国から国土を守る女神であり、これはそのまま対馬の二面性(交流と国防の最前線)を表しています。
これはそのままコピーしていますが、やはり、対馬を守っているのは、豊玉姫様と神功皇后みたいです、