6月2日の科学館行きを最後に、もう外出も無理になりました。
3日に行くと、「体温が冷たくなっちゃった」と言います。
声も弱々しく、たん絡みの咳をしています。
吸入器もいれ、酸素も鼻から入れています。
SPOが74から上がりません。
呼吸に効くモルヒネも投与され、眠るお薬も常時いれるようになりました。
先生が「月曜日までモルヒネの点滴は用意したけど、あとは、、、、」
「先生、用意しなくてもいいってことですか?」
「まあ、、、、」

早速、夫の身内に連絡しました。
もう、話せるのもこれが最後かも、、、

看護師さんから「もう少し眠りの深い点滴を始めたいと思うのですが、ご本人もきっとその方が楽なんだと思います」

とうとう、その時期がきたんだな、、、、

「ちょっと待ってください、、すぐには返事が出来ないんで、、、」

「いいですいいです、よく考えてお返事いただければ」


それが昨日の夜のこと。夜、病院に向かう車の中で

「そうだ!やり残してたことがあった」

それは、純白のウエディングドレスを着ることでした。

思い起こせば22年前、私は「今度こそ幸せになる」と再婚に期待をして1つの家庭を壊して
(もう壊れていましたが))再婚したものの、またもや私の描いた理想からかけ離れた結婚でした。

それでも、夫は初婚なので、結婚式をあげたいというので、グアム島で二人だけで結婚式を
行いました。子供を産んだばかりで、出産費用も捻出しなければいけないのに、何が新婚旅行だ、結婚式だ、と思いながらも、格安の39600のツアーでプロペラ機みたいなので、グアム島まで行き、結婚式を教会であげましたが、ドレスはその当時、パーティコンパニオンをしていた時に着ていたドレスを手洗いで、煙草のヤニを落としてそれをきました。

1つの家庭を壊して、息子を犠牲にして、その結果、慰謝料も払う必要がない、と突っぱねられ

私が8ヶ月のお腹を抱えてパートで八事の火葬場で働き、慰謝料を払い、、、、

それやこれやで、2回目の家庭も続けられなくなり、、、、

そして、16年間、歯を食いしばって働いてきて、、、


それを全部許すのは、これしかない。

そう思いました。

純白のウエディングドレスをきてみたかった。

それが今日のイベントの意味でした。


看護師さんはみんなでお手伝いしてくださり、担当の看護師さんは夜勤明けで、私がお昼に

納棺の仕事が終わり次第、病院に駆けつけましたら、ブーケまで作って待っていてくれました。

私の変なこだわりに、みんなを巻き込んで、ごめんなさい。



手作りのブーケです






7月1日

今日、夜勤の仕事にきて、緩和病棟新聞が掲示してありました。

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なんだか、他人事みたいで、「よくやったなー」って感じです。

此処に書いてあるコメント、ちょっと読みにくいから書きます


「やり残したことはありませんか?
前日に夜に思いついたんです。
と笑顔で話される奥さま。
「もう一度結婚式がしたい」
そんな思いに、なかまもかけつけてくださり、
2度目の結婚式がおこなわれました。
担当スタッフが作った、アジサイのブーケを受け取り、奥さまもホロリと涙。
キャンドルサービスに近いのキス。温かで優しい時間が流れました。
素敵な結婚式をありがとうございました。


って書いてありました。


まだ、たまに病院のソファーに座っているんだって。夫は。