思いつくままに、お題を考えてみました。

在家で待ち構えていた、78歳の喪主の方は、車から荷物を降ろしていると

「運びます、どれ?」

と、いきなりサービス満点。

「何か用意するもにはありますか?」

気は使いすぎるほど、使って、、、

いざ、私が含み綿をしだすと、上から腕組みをしてじーっと見ている。

「30歳くらいに見える様にならんかねー」


えっ?この人、本気でそんなこと言ってるの?


「まあ、シワを伸ばして見ますねー見えるといいですねー」

軽く交わしながら、お口を整え、喪主さんに「どうでしょうか?

これいじょう綿をいれると、逆に、飴を含んだようになってしまいますから、

これが限度かと思います。」

「さすがだなー!痩せてシワだらけの顔が、本当にふっくらしちゃうんだなー」

「もう全然食べれなくなってから長かったもんなー」

介護ベッドねていらっしゃるところを見ると、自宅で看取ったのだなー

お支度が終わって、霊柩車を待つ間、外にいましたら、もしゅさんも出ていらっしゃって


「ほんと、綺麗にしていただいてありがとうございます。実は、こうやって身内を送るのは

はじめてのことなんです。

始めて見させていただいて、本当に丁寧にやっていただけてうれしかったですよ。

母は、女で一つで僕達を育ててくれました。

父は戦争から引き上げて来てから病気がちで、僕達は空襲で家もなく、知り合いの家の

倉庫にすまわせてもらっていました。

生まれたばかりの弟は栄養失調で8月に死に、10月には父親が死にましたが


僕は長男だから、オヤジをリヤカーに乗せて数キロさきの八事まで引いていったんですが、

ちいさかったからか、坂道がいっぱいあって、えらかったなー

そんな時代だから、亡くなった人にお化粧をするだとか、きれにな着物を着せるだとか、

そんな時代じゃあなかったんだよねー

今はこんな風にやってもらえる時代になったんだねー

母はあんまりにもクシャクシャのおばあちゃんになって、父が、誰だかわからないといけないと

思い、30代に戻してもらえんだろうか、なんて無理なこと言いましたが、あれだけ品の良い

可愛いお婆ちゃんにしてくれたら、もう何にもいうことはない、、ありがとう」

そうおっしゃいました。

ふと玄関をみると綺麗な顔した仏様の絵が飾ってありました。

「あら?これは喪主さんが描かれたのですか?

「うん、僕の道楽」

と簡単に答えたので、それ以上は聞けませんでしたが、きっとこの仏様は
母様の顔だと思いました。

その絵を見た瞬間、今、お化粧をした母様の顔とダブったのです。

戦後の動乱中を幼い子供を2り必死に育てた母様。その母様の最期を看取った息子、そして

お嫁さん、涙で目を真っ赤にしていたお孫さん。

こういう光景を見ると、母様の苦しかった時代を踏ん張って生きてきた姿が「神様」として

喪主さんに映り、あの仏様を書いたのではないでしょうか。