こんなお題しか浮かばないんだけど、
昨日の故人様のこと。

目があいて口があいて

最初に、故人様の妹さんから
「目をキュッとつむらせてね、それから頬が痩せちゃったから
プクッとっせて、髪の毛もふわっとさせてね、
顔色も悪いから、肌色に塗ってね、よろしくね」

こんなふうに言われました。

片目、ギロっとあいてしまっているので、薄ーく真綿をまぶたに
差し込みながら、上まぶたをしたに下ろして行く作業が、いっぺんに
瞼を下げれないので、少し時間かかりました。
閉じてから、喪主(息子さん)に見てもらいましたが、閉じたことへの
感動?より「瞼のボコボコってなってるのは何?」
とおっしゃいました。
皮膚が薄いので、接着が瞼の裏側についてそうなったのか

「多少、ボコボコ感はあるとは思いますが、この上からファンデーション塗りますし
そんなにじーっとー見る方はいらっしゃらないと思いますが。」

なんだか、細かい喪主さん、と思いましたが、、、

次はお口。
入れ歯がずれていたので、まず綿で固定し、頬にすこしづつ含み綿いれ、お口の形が出来た時点で
また、喪主さんを呼んで確認してもらう
「お口元、これでよければ、接着でとじさせていただきまずが,よろしいですか?」
と確認とって接着しましたが、唇がどうしても接着でとまらず、めくれてきてしまう。

私の思う唇より、分厚い唇になってしまう。
何度か接着を剥がしてはやり直すがやはり、唇が分厚くなってしまいます。

顔の中の1つでも違えば、全く別人になってしまうのに、上手く出来ない。

だけど、もういい加減にしてかないと、、、、

たまーに上手く出来ない時があります。
顔の筋肉がない故人様の場合、綿をしっかり入れてお肉を作っても
どうしても接着をしても唇が剥がれてめくれ上がった唇になるような
気がします。

10人中1人くらいいるかな、、、

「作ったお顔」になってしまうのです。

やはり、お家の方も、目が閉じた、口が閉じたは当たり前で、生前の顔との
違いを感じて、良かった良かったとおっしゃっていただけません。

足元から見ると、綿が入り過ぎのお顔ですが、そこまで入れなければ、お口を閉じて
接着が出来ない
というのは、接着は歯をとめるのではなく、唇を止めるにではなく、
歯、唇、そこに詰めてある綿に接着を流し込み止めることなので、綿がスコスコでは
とまらないのです。

という言い訳をもっとすれば良かったか、
骸骨顔の故人様を此処まで修復した努力が、なんだか後味悪く

「横からのお参りになりますから、横から見ていただきますと自然な安らかな
お顔になっていらっしゃいますので」

そう苦し紛れにいいましたが、、、、

今だに、「あの時はどう説明したら良かったか、、決して私が力がないとは思わない

でも、もっと色々な方法を喪主様に選択してもらってもよかった、、

入れ歯を外して含み綿をしたら、こんなお顔になるけれど、どっちが良いか?とか。。


帰り際、駐車場で葬儀社のkさんによびとめられました。

kさんは、昔ながらの人で(もう他社で定年まで働き、それから此処に来た人でもう70さい)

「時間かかったなーどうした?」

「目の接着で時間かかり、一度失敗してやり直し、口の接着で時間かかり、どうしても
唇が上手くくっつかなくて剥がしてはやり直したんで時間かかってしまいました」

「なに?うちの人がやり直せって言ったのか?」

「いえ、私が納得いかなかったので」

「口なんかあくもんだが、あいとっちゃいかんのか?」

葬儀社の人は、私の施行に1時間見てくれているのですが、
どうかすると時間が超過してしまうことがあり、
在家にお邪魔する時は、有る程度のところで、納得していただき時間に終わらせるように
しますが、ホールで施行だったし、
何とか自分の最高の仕事をしたかったし、時間がかかりました。
「1時間40分もかけたぜ」

でもkさんは、此処に来た当時も私に、時間のかかったことを怒っていいましたが、
最高の仕事を決められた時間内にするにプロなんだから仕方ない、言われても。