朝から、何か胸騒ぎがして、お昼の1時を過ぎたら、もう我慢ができず
私の勤める施設に電話しました。
「もしもし、あの、、夜勤の岡崎ですけど、Mさん、大丈夫?ですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「あの、、、私、朝からMさんのことばかり考えているので、
あの、、、私の考え方間違っていたんです、きっと、Mさんは楽しく看取って欲しいのかも・・
あの、、、私、2時からそちらに行って歌を歌いたいのです。
Bユニットで歌えば、きっとMさんに聞いてもらえるはず、
突然、こんな事迷惑かもしれないのですが、私の出来ることこれしかないのです。
いましかなくて、、、」
そんなことを突然、ガガーって言い出すから、きっと電話を受けたリーダーもビックリでしょうが
「いいですよ、やってください」
それから、急いで、ビーシに書いた歌を適当にみつくろって、キーボードや、ースピーカーや
マイク、おっと、どんパン節と炭坑節やるから太鼓もって、、
と、車の中に詰め込み、ビューンとはしって施設に到着。
事務所にいる施設長に「実は、、、、」といまからゲリラボランティアをやらせてもらうこと
了解していただき、2階に上がって、準備が出来たら丁度2時でした。
歌の前にMさんのお部屋に行き、
「Mさん、歌うたいに来ましたよ、聞いていてね」
そういうと、うんうんとうなずいてくれました。
Mさんはお風呂に行くことになり、途中、お風呂から帰っていらっしゃったので、
おかえりなさーいと声かけました。
Mさんは、土色の顔をしていました。
私は、亡くなられた方の顔色をたくさんみているので、なんとなくわかりました。
終わって、「よかった、、、なんかスッキリしたなー」
なんて達成感で満足でした。
そして夜勤で、7時40分に施設に到着すると、病院の先生が施設長と話していました。
やっぱり、、、、
10分ほど前
Mさんは帰らぬ人となってしまったのです。
私は最初、 Mさんが好きではありませんでした。
夜、オムツを変えるとき、唸るようにして抵抗します。
細い腕でも、力が強いのです。無理やりやって、骨でも折っては大変、、なかなか
苦労しました。
オムツを替えてもらっているのに、なんでこの人はこんなことするの?
そして、何か疑うような目で見られるのも嫌でした。
Mさんが、いよいよ看取りの段階になって、もう抵抗も出来なくなったのか、じーっと
オムツをかえてもらうようになって、
目を合わせると、ウンウンというようにうなずくのです。
意味わからず、私も同じようにうなずいてました。
人は死を悟ったときに神様になるって書いてありました。
1度も話しもしたことがない、、それでも8ヶ月、夜勤でMさんのオムツを替えていた、
それだけなのに、だんだんMさんのことが、可愛く思えるようになったのです。
最期に口紅をつけてやって、、と同僚から言われ、
「口が落ち込んでしまって唇がないから、ちょっと綿いれていい?」
とカット綿を持って来てもらい、それを少しフワフワにして、ピンセットで入れ、唇が少し出てきました。
これから葬儀社できちんとやるわけだから、口が閉じる範囲の含み綿にして、タオルを固く巻いたものを顎のしたにおいて、口があかないようにして、うすーく口紅をぬり、頬紅を薄っすらとつけました。
そして、たった一人の身内、多分息子さんにみてもらいますと、
「綺麗になったなー」と写真を撮って見えました。
施設長が「彼女がお化粧してくれたんです、彼女は専門でこういうことしているひとだから」
そう言ってくれました。
「ありがとう」
息子さんはそう言って頭を下げてくれました。
私こそ、Mさんの臨終に立ち会えて、お化粧までさせていただいて、私が生きている意味が
感じられたというか、、、、
夜勤が今日でなかったらこんなことにはならなかったし、、
恥ずかしい話、昨日まで、私はMさんが私の夜勤中になくなって欲しくない、そう思っていました。
それが、「看取り師」の死生観を読んで、「私は間違っていた」ときずかせていただいたのです。
私の出来ることはなにか?と考えて、それをやらせていただける、それって素晴らしいことじゃないかなって、、
私の勤める施設に電話しました。
「もしもし、あの、、夜勤の岡崎ですけど、Mさん、大丈夫?ですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「あの、、、私、朝からMさんのことばかり考えているので、
あの、、、私の考え方間違っていたんです、きっと、Mさんは楽しく看取って欲しいのかも・・
あの、、、私、2時からそちらに行って歌を歌いたいのです。
Bユニットで歌えば、きっとMさんに聞いてもらえるはず、
突然、こんな事迷惑かもしれないのですが、私の出来ることこれしかないのです。
いましかなくて、、、」
そんなことを突然、ガガーって言い出すから、きっと電話を受けたリーダーもビックリでしょうが
「いいですよ、やってください」
それから、急いで、ビーシに書いた歌を適当にみつくろって、キーボードや、ースピーカーや
マイク、おっと、どんパン節と炭坑節やるから太鼓もって、、
と、車の中に詰め込み、ビューンとはしって施設に到着。
事務所にいる施設長に「実は、、、、」といまからゲリラボランティアをやらせてもらうこと
了解していただき、2階に上がって、準備が出来たら丁度2時でした。
歌の前にMさんのお部屋に行き、
「Mさん、歌うたいに来ましたよ、聞いていてね」
そういうと、うんうんとうなずいてくれました。
Mさんはお風呂に行くことになり、途中、お風呂から帰っていらっしゃったので、
おかえりなさーいと声かけました。
Mさんは、土色の顔をしていました。
私は、亡くなられた方の顔色をたくさんみているので、なんとなくわかりました。
終わって、「よかった、、、なんかスッキリしたなー」
なんて達成感で満足でした。
そして夜勤で、7時40分に施設に到着すると、病院の先生が施設長と話していました。
やっぱり、、、、
10分ほど前
Mさんは帰らぬ人となってしまったのです。
私は最初、 Mさんが好きではありませんでした。
夜、オムツを変えるとき、唸るようにして抵抗します。
細い腕でも、力が強いのです。無理やりやって、骨でも折っては大変、、なかなか
苦労しました。
オムツを替えてもらっているのに、なんでこの人はこんなことするの?
そして、何か疑うような目で見られるのも嫌でした。
Mさんが、いよいよ看取りの段階になって、もう抵抗も出来なくなったのか、じーっと
オムツをかえてもらうようになって、
目を合わせると、ウンウンというようにうなずくのです。
意味わからず、私も同じようにうなずいてました。
人は死を悟ったときに神様になるって書いてありました。
1度も話しもしたことがない、、それでも8ヶ月、夜勤でMさんのオムツを替えていた、
それだけなのに、だんだんMさんのことが、可愛く思えるようになったのです。
最期に口紅をつけてやって、、と同僚から言われ、
「口が落ち込んでしまって唇がないから、ちょっと綿いれていい?」
とカット綿を持って来てもらい、それを少しフワフワにして、ピンセットで入れ、唇が少し出てきました。
これから葬儀社できちんとやるわけだから、口が閉じる範囲の含み綿にして、タオルを固く巻いたものを顎のしたにおいて、口があかないようにして、うすーく口紅をぬり、頬紅を薄っすらとつけました。
そして、たった一人の身内、多分息子さんにみてもらいますと、
「綺麗になったなー」と写真を撮って見えました。
施設長が「彼女がお化粧してくれたんです、彼女は専門でこういうことしているひとだから」
そう言ってくれました。
「ありがとう」
息子さんはそう言って頭を下げてくれました。
私こそ、Mさんの臨終に立ち会えて、お化粧までさせていただいて、私が生きている意味が
感じられたというか、、、、
夜勤が今日でなかったらこんなことにはならなかったし、、
恥ずかしい話、昨日まで、私はMさんが私の夜勤中になくなって欲しくない、そう思っていました。
それが、「看取り師」の死生観を読んで、「私は間違っていた」ときずかせていただいたのです。
私の出来ることはなにか?と考えて、それをやらせていただける、それって素晴らしいことじゃないかなって、、