人間って一人じゃあ、生きれないよね。
私は誰かの支えになれているだろうか?って考えて私を必要としている人に精一杯、私のエネルギーを注入?してあげたらって思うよ。

私は「大きな赤ちゃん」に希望を与えることができるだろうか、、、、

このブログを読んでくれている大きな赤ちゃんに「こんな人生もあるよ、とか、こんな考え方もあるよね」とか。

そんな思いで、ブログを書いているんだけど、これは自分の為でもあるんだよ。
今ね、夜勤続きで、必死に仕事しているんだけど、結構辛いこともあるよ。でもね、「楽しいよ~」ってブログにかくことで、自分が救われるっていうか、私もこんなにがんばってるんだから、赤ちゃんたちもがんばってよ!って意味もあったり、、、

今日、みんなに聞いてほしいことは、最終の幕引きが近づいた夫婦の在り方を色々見たことをそのまま書いてみるね。
最近、亡くなったオッ君は80歳代かな、オムチュ換えるのも抵抗して、なかなか換えれないし、ほら、前に口腔ケアをしているって書いたのはその人のことね。
奥様は、向かいのお部屋を借りてお世話をかいがいしくしていたのね。
私は、最初奥様に「私の気持ちわかる?」って言われたことあってね。
「もうだめなんだんだろうか?」と覚悟を決めなければいけない、そんな思いを誰かにぶつけたかったのでしょうね。
とうとう亡くなって、色々な(葬儀、火葬など)済ませて、昨日、お部屋に戻ってこられてたんです。
夜9時からの巡視に回っていると、明かりがお部屋についていたので、「あれ?」と思って鍵をあけてドアを開けると、奥様が、部屋の中の色々を出して思い出に慕っておられたんだと思います。
私は「すみません、亡くなられたのも後から聞いたので、お別れにもいけませんでした」と声をかけますと、にっこり笑って「いいのよ、ありがとう、いろいろお世話になりましたね」
「49日までは預かってくれるっていうから、預けてきたんですよ、私はそんなに長居は申し訳ないし、夫婦の会話を聞きながら後家の身は寂しいという感じもして、早くここに戻ってきました。
ここはあの人の思い出もあるし、ほんと、優しい人でしたから、、、」と静かに話されるのです。
私は奥様の肩を擦りながら、うん、うんと話を聞いてました。
「いつだったか、私が痰をとるよ~って言ったら、「怖いから、おかあちゃん呼んで来て~」って言って、奥様が手を握っていてくれたから、ちゃんと痰が取れて、3人でよかったね~~って手を握ったことありましたよね~」
短い間だったけど、私は一つの命をちゃんと自分の目と手で感じる事が出来たし、それは「オッ君」が私に教えてくれたことなのではないかと思います。

もう1組の夫婦の話。
この二人は1つのお部屋に一緒に寝ているんだけど、奥様は透析を週3回受けていて、いつもご主人が車椅子を押しています。
奥様はもう、自分で起き上がることも、立つことも出来ないのです。
朝、奥様の服の着替えにお部屋に向かうのですが、ふと見ると、ご主人が、奥様のベッドで、奥様に寄り添って寝ていらっしゃいました。
奥様は私の方を見て、照れくさそうに笑ってらっしゃいました。
私は「もう少しあとから来ますね」と部屋を出て行きました。
30分ほどしてもう一度お部屋にいくと、ご主人は起きていらっしゃいました。
「Rさん、おはようございます。一度お部屋にきたんですけど、お邪魔しては、と思い出ていったんですよ」と笑っていうと、「僕達、もう90近いんだよ、気を使うなんてそんなこと、、、」とご主人がいいました。
でも、奥様は動けなくても、ご主人がくっついていたい、と思わせるような人なんですよね、
今までは、寝たきりになってしまったら、病院に任せてしまって、自分はお見舞いに行く程度。
それも、他の人には見せれない、と奥様の状態や、入院先も教えていない、という感じかなと思っていましたが、本当に愛しているから、自分の人生をご主人や奥様に合わせて自分はその人と歩いていくと決めた二人の人生を感じたから、みんなにもそういう人生もあるって知ってほしくて書きました。
見栄や体裁で生きていくより、自分が愛した人がどうなろうとも、自分がこの人と一緒に最期を遂げたいと思うまっすぐな気持ちが大切なんかな、そう思わない?