タイトルがえらい長くなっちゃった。


私のお友達、というか、お母さんでもあり、お友達でもあり、の大切なKさんの話です。


その人は年齢が76歳。母と同じ年です。

私が湯灌の会社に勤めていたとき、もう4年も前になるのですが、結構みんなからいじめられていて、Kさんが、そっと「気にするな」と励ましてくれました。


辞めたあとも、「お茶でも飲まない?」と喫茶店のモーニングをご馳走してくれたりして、私の話を聞いてくれました。


私はKさんに「もしもノート」をプレゼントしました。

Kさんは、「婿さんに、私の最期は頼みますって、あのノートを渡したんだよ。そしたらね、婿さん、快く、わかったよ、お母さん、といってくれた」と嬉しそうに話してくれました。

婿さんにも、私の生命保険が行くようにしてあるし、、、と本当にKさんの息子のように慕っていました。

娘さんは、私と同じ年で52歳。

Kさんは、自分の娘と同じ年の私を、本当に娘のように「頑張ってるなら好いけど、、」と少し連絡しないと心配してくれます。


ある時、「婿さんが、膵臓癌の疑いで検査入院してね、もう、みんながオロオロしちゃって、まだ癌と宣告されたわけでもないのに、婿さん、落ち込んじゃってね。お姑さんも、他人に息子が膵臓癌って言っちゃって、その人が心配して私に、大丈夫?って聞いたんで、びっくりしたんだよ。まだ決まったわけでもないのに、、」と話してくれました。 

疑いがあって検査入院っていうことは、だいたい間違いなくってことかも、、、、

なんて思いましたが、黙っていました。


それから1ヶ月も経たない、ある日、私はKさんに、野天のお野菜のおすそ分けを届けようと電話をしましたら、涙声で、

「今ね、婿さんが亡くなってね、ホールにきてるんだよ、またゆっくりお話しましょう」といって切れました。

えらいこっちゃ。


私はKさんの娘さんとは会ったこともないので、お通夜にも行きませんでした。

それから1ヶ月くらいは、連絡をしませんでした。

Kさんにとって、頼りにしていた息子同然の婿さんが亡くなって、きっと落ち込んでいるに違いない。

わたしが、なんと言って慰めたって、どうにもならないから、連絡を待つことにしましょう。


そろそろ、どうしているか電話してみようかな~と思っていたら、Kさんから「元気にやってるかい?」と電話がありました。

早速、喫茶店に一緒に行き、婿さんの死を乗り越えたKさんのお話を聞きました。

「婿さんと2週間一緒に住んだ時、いろんなことしてくれたんだよね~あっちおっち壊れているところ直してくれたり、、、今思うと、婿さんは、私に好い思い出を残してくれる為に2週間、うちにきてくれたんかと思うよ」

そういいました。

娘夫婦が新しい家を建てるため、その間、Kさんの家に住んでいたことがあったのです。

Kさんは10年も前に旦那さんを亡くして、それから1戸建ての家に一人暮らしです。


ずっと定年まで看護婦さんを勤めていたので、年金もたくさん入って、自分のお家で、悠々じてきな生活で私の理想的な年の取り方をしていらっしゃると思います。

お友達も多く、いつも家にじっとしていない、誰かと喫茶店でお話をしていたり、誰かと映画をみたり、ショッピングを楽しんだり、旅行も時々でかけて、ほんと、羨ましいです。


どうぞ、これからもお友達でいて、私の人生のお手本でいてくださいね。