報奨金っていうのかな~~?奨励金?まあ、とにかく市から100ちゃいおめでとう!の金いっぷうが、奉行所からじきじきに来ていただけるらしいですよ。スタッフノートに書いてありましたが、「小奇麗にしてあげてください」って。。で、私は押入れをひっくり返して、昔、痩せてた頃に来ていたお洋服で、それらしいものはないかと見て見ましたが、細い頃の服はすべて処分していましたが、ありました、ありました、レース仕立ての薄紫のエプロン。とっても品がよく、かわいらしく、ゴージャス。しかも、まだ1度も使っていない。昔、私のおばあちゃんがなくなった時、みんながおばあちゃんの箪笥の引き出しをひっくり返して、何か金目のものはないか、と捜していたのを子供心に「あさましいな~」と思って覚えていますが、それにしても、おばあちゃんは、お洋服を1度も手を通していないまま、沢山持っていました。しかも、着ているのはいつも同じ服。もったいない、もったいない、と言って新しい服をおろさなかったのですが、私もそんな血が入っているのか、使わないまま持っているものも、結構あったりして、でも、いつか、そのものをプレゼントしてすごく喜ばれたりするから、、、、ってわけで、今日の夜勤の報告のとき、「あの~~もしよかったらですが、、、私のもっているエプロンをKさんに、プレゼントという形で、明日、つけていただけたらと思ってもってきたのですが、、、」と渡してきました。本当なら、朝、Kさんのメイク、ヘアーのセットまでしてあげたいのだけど、、、、 昨日、夜勤に入ったとき、Kさんは、ぐったりと弱って、もう自分でトイレにもいけず、ベットでオムツを代えてもらっている状態でした。ご飯も食べれないし、出血は相変わらずひどくて、もう今日にでも、、、、私の夜勤の時に看取りなんかな。。。そう思い、暇ができたら、Kさんのベッドの下の板の間にごろんと横になって、Kさんのいびきを聞きながら、うつらうつらしていました。いびきをかいて寝ていられるのは、苦しくないって証拠、と安心していられます。もし、何か変化があったら、すぐにわかるから、、夜、施設長が、何でも口に入れば、いいので食べさせてあげてください、とメールがありましたので、キッチンを物色して、さつまいもを見つけ、さつまいも金時を作ってみました。夜中2時頃、Kさんが目をさまして「おしっこしたい」とおっしゃったので、部屋の中にある、ポータブルトイレに介助しました。終わってから、Kさんに「少し食べてみてくださいね」とその金時を口に持っていきますと、食べていただけました。10回ほど、口に運び、お茶も飲んでいただき、「あーこれで元気になってくれるかも」と思いました。すぐに施設長にメールで報告。その後、Kさんは部屋をキョロキョロと見渡し、トレードマークの前掛けを見つけて、きりっと腰に巻きました。「やったぞ、本来のKさんに戻った!」嬉しかったです。朝、みんながKさんの様子を心配して出勤してきましたが、「あら!元気になってる!」と言ってくれます。「そうなの!夜中にご飯が食べれるようになり、それから、前掛けも見つけてしちゃって、、、」と笑ってみんなに伝えました。朝も、夜中に作った、サツマイモの金時を出すと、食べていただけました。ちょっと元気になると、みんな普通扱いするのがちょっとな~~ですが、朝はみんなとご飯を食べるように、起こしに行くし、トイレも誰かが入っているからと、遠いトイレまで歩かせて連れていくし、、部屋にポータブルがあるから、そこでしていただけばいいじゃない?と思っても、先輩のやることだから、、、しかも、施設長と話している年配のヘルパー(ベテラン)は、血液の中に感染するものがあるといけないから、きちっと病院で検査してもらわないと、、、と言っています。施設長は、検査検査と引っ張りまわすことより、自然に任せて、本人も治療を望んでいないのだから、このまま、、、と言いますが、、ベテランヘルパーさんは、血液から、みんなに変な病気が感染しては、、、と言っています。「99歳の高齢の方なんだから、そんな強い感染のあるものは排菌しないと思うし、、」という感じで話しています。まあ、聞いても知らん顔してほっておきました。どちらに相槌も打てないから、、、 まあ、とにかくKさんの体の中で、どこか、もしかしたらあちらこちらで、「もう終わりにしようかな」とほたるの光を奏でているのかもしれません。それでもKさんには痛みも多少はあるにしても緩やかな痛みで、少しづつ幕引きが始まっているのだろうけど、みんなが心配して、優しく近くに寄り添ってあげることで、Kさんは元気なふりをしてくれているのかも。。私が、見回りから戻って、そっとKさんの部屋に入り、ゴロンと板の間に横になると、寝ていたはずの Kさんが「ありがと、ありがと」と言いました。それまで、スースーという寝息だったのが、私が横になると「グーグー」と大きないびきになっていきます。私も、昔、私のおばあちゃんが、片道2時間ほどを、乳母車を引いて歩いて来て、私に「あこちゃん、さよなら」と部屋に来て挨拶してくれたのに、私は振り向いただけで、ピアノを引き続けていたのが最期だった思いがありました。その後、おばあちゃんは一人お風呂に入りそこで冷たくなり、朝まで誰も気がつかなかった亡くなり方をしました。そのおばあちゃんとダブり、今の私の優しさが、あの頃にあったら、もっと違うお別れの仕方があったかも、、、そんなことを考えてました。