今、取り上げられている、いじめ、自殺について、もし、今いじめられて悩んでいる人へ、

昔からいじめはあったのです。

実は、私も高校生の時いじめにあっていました。

1年から3年までいじめにあって、3年生の時、いじめている本人が、何故か笑顔で私に話しかけてきました。

今、思い出してみても、どういういじめにあっていたか、思い出せませんから、今、テレビで取り上げられているほど、ひどいものではなかったのでしょう。

私の通った女子高は公立でしたが、その当時は長いスカート、お化粧は当たり前の女子と、私のように、ダサい普通の女子とわかれていました。

入学してすぐは、顔見知りは誰もいなく、席から離れることなく、お弁当を食べ、

食べた後も誰とも話すことなく、いました。

そのうち、仲良し同士が一緒にお弁当を食べるようになりましたが、私はいつまでたっても一人で食べていました。

だからといって、私は誰かと食べようかとか、なんとかしようと思わなかったのですが、、、、それが孤立のはじまりでした。



2年前の半年間、介護の勉強に朝9時から4時まで毎日通った時、高校時代の、孤立の恐怖を思い出しました。

その時の私は、「もう孤立してはいけない」。そう思い「ねーねー一緒に食べよう」と声をかけると、「そうしましょ」みたいな感じで、半年ずっと隣、前の席で机をくっつけてみんなと食べてました。

その食事中に、友達の前の職場のこと、家のこと、彼氏のこと、色々なことが聞けて、ますます、その人がよくわかります。

勉強の場所で人と触れ合いながら情報をもらいながら、コミュニケーションを取って、、これも勉強のうちなんだと思います。

「私は勉強にきてるのだから、友達なんて別に必要ない」という人もいるのでしょうが人とコミュニケーションを取ることも勉強のうちなんですよね。

卒業したら、別に付き合う必要はなくても、半年間、一緒に勉強をする友は必要なんだと思います。

私が心がけたのは、、人より多く、「はいはい!」と手をあげ、、「ちょっと一言言わせてくださーい」とまあ、積極的な自分に半年間で自分を変えました。

みんなの笑いを取って、話したことない人も「あっこちゃん」と呼んでくれました。

先生にも、「私、音楽を子供に教えているので、先生の今、歌っていらっしゃった、二宮金次郎 を楽譜にしてみましたが、これをみんなに渡して、ちゃんと覚えてもらったら良いかと思うのですが」

とか、もう、人が私をどう思おうと、私がやりたいと思ったことはやってみる」というパワーで押し進みました。

一緒に勉強している人達は年齢も色々で、50代というのは、少ない方ですが、

だからこそ、私には人より経験も多いし、色々な仕事やら技術もあるわけだから、それをアピールしてみよう。

高校生活が寂しく、つまらないものだったのを取り返すように楽しい半年の学生生活をすごしました。

「私の前職は湯灌、納棺のお仕事でした。その時の経験から、申し上げたいと思いますが、故人様の頭元は、通ってはいけない、とか、体の上を物を渡したりたりもいけない、とか、教えられてきました。ですから、

ベッドの頭元も通ってはいけないのじゃあないでしょうか?」

と、自分のことをどう思われようと、さらけ出していました。


高校生の時に話を戻しますと、

私は、孤立した状態から抜けることが出来なくなり、話しかけても皆が避けているのがわかりました。

わざと聞こえるように悪口も言われるようになり、「何故、こんなことになっちゃうんだろう?」と思っても何とも出来ないし、誰にも相談が出来ないのです。

1日一人ぼっちで、誰とも話さない日が続きます。

それが3年間続いて、3年のあるとき、誰からか、「入学当時、ご飯を食べた後、後ろの席の人がまだお弁当を食べている時、彼方が自分の髪の毛をといたのよ、それがいじめの原因だよ」と教えてくれたのです。

「あーそんなことを私がしたんだね、それはやられた人は嫌だわ、それを知らずに3年間、私は寂しい思いをしたんだね」と思ったのです。


いじめはこんな些細な事なんだけど、やられた人には、とても嫌なことで、それは「ちょっと、止めて」の一言で終わる事でもあり、3年間みんなでしかとすることにもなっっちゃったり。


人に不快な思いをさせたら、「ごめんなさい」と言える人間性と、人を思いやり、人の気持ちをくめる、そういう教育が必要かな、、

と書いてはみましたが、じゃあ、お前はできてるんか?と聞かれると自信もっていえないし、どうしたもんかね~~

いじめられるのも、1つの経験として、それをバネにして、大きな人間になれればいいので、我慢の限界がきたら、法的に何とかしてもらう、そういう手もあるんですよね。

またまた私の経験ですが、前の職場で、社長の一方的な考えで私の時給を一気に200円下げられ、私は会社を退社して、上申書なるものを、安定所にもって行き、200円下げられたのは、給料の20パーセントカットになるため、これは会社の不当性を認めなれ、失業保険はその月から出ることになり、それで、先に書いた勉強を受けてヘルパーの資格を取ったわけでありまして。。

だから、いいたいことは、おかしい事はおかしいと法的に訴えればいいことで、何もそれを我慢して耐えて、自分を追い詰めることはないんじゃないかと思うのです。

3年のいじめは今となっては何でもないことになっているし、生きていれば、恋愛や、結婚や、出産や、、、幸せなことがいっぱいあって、生きていてよかったと絶対思えるからね。


こんな私の体験を書いても、それでも「自分は生きてても価値が無い」なんて思っている人、励ましてあげるからおいで。。。