父から「叔母ちゃんが死んだそうだ」と電話ありました。

「そうなの。。。」

時計を見ると5時半。

それから、身支度をして、岐阜に向かいました。


車を走らせながら、色々なことが頭をよぎりました。

叔母ちゃんというのは、母の妹で72歳です。去年の12月に突然、おばちゃんから電話がありました。

「どうも、すい臓がんの疑いがあるらしくて、今、病院で検査してるんだけど、寄れないかしら」

病院で叔母ちゃんは、まだ、笑い顔もあり、私にはお友達や、孫や色々心配してくれる人が、入れ替わりにお見舞いにきてくれるんだ」とか、私の母の事や、1時間ほど、病気とは関係ないことを話しして、気を紛らわすようにしていました。

「私が、何悪いことしたんだろう?なんでこんなことになっちゃったんだろう?」と突然、泣き出します。

私は何にも言えず、黙っていました。


検査入院は1ヶ月くらいで終わり、自宅から癌の治療に通って、1度、自宅にお見舞いにいったのは、2月頃。

わずか2ヶ月で、すっかり変貌してしまい、笑うことはなくなってしまいました。

そして、4ヶ月で亡くなってしまったのでした。


叔母ちゃんは、いつも髪の毛はふさふさで、綺麗にセットしていました。

年より若く見えて、私の母がすっかり痩せて老け込んだのに比べて、うらやましい叔母ちゃんでしたが、髪の毛はすくなくなってしまい、所どころ、染めたところが残って、白髪でした。


私は、叔母ちゃんがこんなに早く逝ってしまうなんて思ってもいなかったのですが、死を迎える前に準備しておくといいから、「エンディングノート」を持っていこうか、迷いましたが、やはり渡せませんでした。

そして、私が納棺師で、おばちゃんのお顔は綺麗にお化粧してあげるから、とか、言えませんでした。

いつか、叔母ちゃんの娘(私にとって従兄弟)に私が納棺してあげるから、と言おうとも思っていました。


そして、今日、私は車の中で、こうやって早く叔母ちゃんの所にいくのは、私が叔母ちゃんのお化粧をしてあげたいから、、」そう心に言い聞かせながら向かいました。


父は私が納棺師ということを知っていて私に一番に電話をしたのか、わかりませんが、とにかく何も考えず、紺のスーツを着て向かいました。


叔母ちゃんは、仏壇の前にお布団に安置されて、その傍にはおじちゃんがいました。

「遠いところから、わざわざ、すまんね」とおじちゃんはいいます。


少し、叔母ちゃんの顔を見ると「よし!」と心に決めて

キッチンにいる叔母ちゃんの娘に声をかけました。

「わたしね、納棺師なんだけど、叔母ちゃんのお化粧はやらせてもらえないかしら」

「ほんと、勉強して免許取ったの?」

「いいえ、免許はいらないから」

「私もうっすらとしたんだわね、それと、明日、湯灌を頼んであるんだわね」

「あー湯灌頼んだのね」と私。

「ずっと、お風呂に入ってなかったから、最期にお風呂入れてあげようと思って、頼んだのよ」

「じゃあ、毛染めをやってあげたいと思ったけど、湯灌で髪の毛を洗っちゃったら、取れちゃうわね」

「うん、お母さん、ごっそりと髪の毛抜けちゃうから、あまり触れないのよ」

あ~~わたしの出る幕なかったかな。。。


「でも、お母さん、髪の毛が染めれないのを気にしていたから、やってもらっていい?」

「そう?いいの?」

「湯灌でとれてしまうけど、それまでの間でも、お母さん喜ぶと思うわ」

「じゃあ、車にスプレー式の毛染めを持ってきているから、やらせてもらうわね」

そういって、車のところまで行き、いつもの納棺の道具を持って叔母ちゃんのお布団のところで、

「おじちゃん、私。。」というと

「今、聞いたから、やったってください」

そういってもらえました。


私の横には一番下の弟(叔父ちゃん)そして、向かいには叔母ちゃんの連れ合い。

ちょっと席をはずしてともいえず、2人に気を使いながら、廊下に道具を置いて作業を始めました。

最初、カールを巻いて、スプレーをしてドライヤーで熱を与えて、即効カールを作り、カーラーをはずして、ヘアースタイルをまず作り、そのあと、地肌に近いところは、マスカラタイプの毛染めで色をつけ、そのあと、スプレーで全体を色を付けていきます。

注意することはスプレーが勢いよく出すぎると、顔や着物、枕を汚してしまうので、周りは先に汚れないようにカバーしておき、顔にはシートをあてながら噴射していきます。

櫛で髪の毛を浮かしながらスプレーをしないと表面だけが色がつくので、それもコツがあるのです。


なんとか毛染めが出来上がり、娘のMさんを呼び、見てもらいました。


私は荷物をまとめて、またキッチンに顔をだして、

「Mちゃん、帰ります。」

「ありがとう」

「ごめんなさい、余計なことしました。でも、叔母ちゃんに、私なりのお別れができて嬉しかった」

叔父ちゃんも玄関まで来てくれ「あっこちゃん、ありがとう」

「おじちゃん、余計なことしてすみません。ありがとう、もう、ここでいいからね」と外まで見送ることはいいからね、と言いました。

「車の運転は気をつけてよ」

そんな言葉をかけてもらい外に出ました。


やれることはやった、、そんな気持ちでした。


私がやれることはここまで。これ以上は、このお家の方たちで決めるのだから、、、


実家により、母は私を「よしこ」と言います。

父は朝から、「よしこは死んだんだよ」と説明しても理解ができません。


父に「今、叔母ちゃんのかみの毛、毛染めしてきたよ」とは言えませんでした。

でも、これで父にも妹にも私が納棺師ってことがわかっちゃうだろうな~~

でも、大丈夫、、堂々といえるお仕事って信じているから。