本格的な占い、なんでもいいんですけど、「占星術」でも「手相」でも、ホントなんでもいいし、本格的に学んだ人に占ってもらったとしても。

 

私にとっては、占ってもらうことは、自分の気持ちで定まらない気持ちの後押しをしてもらう感覚ですね。

あるいは、自分では思いつかなかった発想をもらい、さらに自分の中でどうするか決める感じです。

 

さらに言えば、占い師が「あ、これは言っちゃだめだ」と判断してあえて言わないこともあるだろうし。

 

なので。

 

「占い通りにしたのに上手くいかない」

 

とかは、そら自己責任であり、占いは万能ではないよ?

 

と、なる。

 

信頼のおける友人に相談事して、それで自分の中で答えを出すのと同じ感覚ですね。

 

でもねー。

 

一個だけ。

 

これはそうだなーと感覚的に信頼してるのが「そういう星のもと」ってことかな。

 

占いを知る前から、社会人になるまで、いや、社会人になっても、理不尽や死んでもおかしくない状態になっても、軽い気持ちで「そーゆー星のもとー♪」と言ってましたから。

 

経験則で、「あー多分、私こういうことで苦しむわぁー。」とかわかりますし。

 

もーなんの占いしても、私は「クリエイティブな職で成功する」って言われますけど、慣れ親しんだ経理職でNHK本局中心にいろんな業界の経理職、一般事務、キーパンチャー、CADオペ、派遣でしてきましたけどね!!!

 

クリエイティブって言われても、ピンとこないんだもん。

 

確かに素養はあるんだろうとはわかってる。

 

作文でも絵画でも、小学生のころは区の大賞になってるから。

 

そんでも、いっくらどんなに色々な占いで「クリエイティブな職で成功する」と言われても、そちらに進む気は全く持って、そう、本当に興味なかったんだ・・・・。

 

これはもう、才能はクリエイティブ方面でも性格的に裏方事務のが性に合ってたんだからしかたない。

 

基本人生で人様と違う育ち方させられて、人様とまったく違う思想をもち、擬態して人間社会に溶け込むけども、もうね。

 

しょうがないと思う。

 

得手不得手は誰だってあるし、私は中学のときにフルートしてるとき、先生がピアノでランダムに音ならしても同じ音を出せるし、先生には「ピアノ習ってた?」と聞かれるくらいだったけど、単に耳がいいだけだよ・・・・。

 

そんな感じで、占いにどんなに向いているのはこっちって言われても、そちらに興味がいかないならやらないものー。

 

それでいいと思ってるもの-。

 

占いは、信頼のおける友人からのアドバイス程度に思って、自分で進む道を選ぶよ。じゃないと納得しないたちだから。

 

占いに絶対の信頼を寄せてその通りに生きるのは、本当に自分が望むものですか?

 

と、問いたい。

 

ちなみに厄年とか辰巳年だから我慢の年とかは「そうか、精進せねば」と心構えにはなるよね。

 

そんで、その苦難の年を這いずりながらも進めばいいと思う。

 

そういう年だって思ってるだけでも理不尽、上手くいかないことに対して、うん、そういう年だから辛抱のときよって思えるので良いと思うの。

 

信じたいもの信じつつも、自分の意思は他人に決めさせないのが私の生き方。

 

強制力あるけどねー!!!

 

くっそ! 負けねぇ!!