今思うと、ピコーンと思いついたことそのまま一文でつるりと口から滑らすのが素でいられるときの常でした。

 

それを「はいはい、またなんか言ってるよ」と流してくれた、高校時代の今でも名前を憶えている3人は、器のでかい人です。

 

今現在もその3人は、ものすごっく自分の信念のもと、がんばってらっしゃる。

 

たまにその三人の友達がついてきていても、その三人がそれぞれの友を導いてくれるだろって軽く、ピコーンつるりは止まりませんので、うん、惑わせていたと思います。

 

いやはや、全く持って、迷惑千万なお口を持ってしまいましたこと。

 

公共の場ではきっちりと分厚い猫を何匹も総動員して、普通の人を演じてきましたが、「自分の素をだしても、平気なひとー」認定された人にはたまったもんじゃないですね(笑)

 

基本、自分の外面につられてくる人は、すこしでも理想と違えば離れていくので、来る者拒まず、去る者追わずです。

 

ですが、素を知っても、友として扱ってくれることが嬉しかったのでしょう、そのままその三人は長い時を友人として共にいてくれました。

 

ですが、結婚という、謂わば家族を作り始めてからは、さすがに距離を置きました。

 

私は、よくも悪くも影響を与えてしまうので、普通に家族と共に生きるには、私はよいものではありません。

 

よい決断だと思います。

 

同じように今、私はできるだけご近所さんと距離を取り、その家の悪影響にならないように気を付けてます。

 

気を付けていても、距離が近いので、かなり難しいです。

 

私の方も、動物と同じく、幼子に気をやってしまい、ハラハラドキドキですから、本当は窓開けて風通しよくしたいところですが、そうすると、他家の幼子の恐怖心を泣き声から感じ取ってしまい、自分にもよくない。

 

どれだけ本気で幼子が恐怖を抱いていようが、他家では幼子の体のみを見ているので、心までは汲むところまで届かないのでしょう。

 

というか、それが人間社会なのだと思います。

 

私は5歳前に絞めるとこはキッチリ絞めながらも、比較的自由に育ち、こちらが何か言わなくても、心の中でぐるぐると悩んでいるのが見ていてわかるほどだと、母が一言物申すので、なんとかなってたところ、世田谷の家ではもう、「え、わからない、知らない、にんげんて・・・。じゃあ、わたしはなんなんだろう」

 

という疑問から書物を読み漁り、自分てなんなんだってことを知り、人間てものを勉強しました。

 

常に周囲を警戒し、見て、物まねよろしく、同じことをしてみても、それでも、人間の大人からは怒鳴られます。

 

試行錯誤して、ようやく「地味で目立たず、口を開かない」という方法にたどり着きました。

 

上手に周囲に紛れて、角で地味に大人しくしているのが最善でした。

 

それでも、私には書物に没頭することで現実逃避し、5歳から共に育ち、先におにいちゃんになってくれてあれこれ教えてくれて、悲しいときは小屋に連れてってくれて、その腹に顔をうずめて、声を殺してなける場所になってくれた柴犬がいたので。

 

柴犬がたくさんの生きることをおしえてくれました。

 

喰われないよう、気配の消し方、周囲の気配の探りかた、食べていいもの、悪いもの、それらは、人間社会でも通用するものでした。

 

「地味で目立たず周囲に溶け込み、口数少なく」

 

これは柴犬おにいちゃんが教えてくれたものです。

 

今でも、使えます。

 

もちろん、書物から学び、父方の祖母にあたる人物が酷いことを母にしていたのも全て見ています。

 

ですので、母の足手まといにならないよう、本当に気を付けて、出来る限り世田谷の家には放課後校庭解放までぎりぎりまでいて、あとはおじぃちゃんと夕方四時から時代劇見て大人しくしてました。

 

おばあちゃん世代ですから、衛生観念もへったくれもありません。

米はなんとか食べられるが、おばあちゃんが作るおかず、少量しか食べられなかったのはもともと小食で食べることよりも好奇心が勝っていた団地時代で胃がちっちゃいのもありましたが、あれ、本能だと思います。

 

王侯貴族が幼いうちから少量の毒を食し耐性をつけるが如し。

 

おかげさまで、今ではほとんど食べ物でお腹壊しません。

 

むしろ、だんなとむすめがおなかこわさないよう、賞味期限、消費期限、気を付けてます。

 

昔はそんなのなかったから、匂いと色で判断してましたから、私は平気なんですけどねー。

 

そんな私は今でも、パッと思いついたことを口に出してしまうので、要注意です。