本当の自分とは何だ?

こんな青臭い問いの答えを
未だに探している。

人は全く何にも左右されることなく
立つことなど不可能で、
その時代のその国の
その親のその時の
自分を取り囲む全て環境ひとつひとつが
自分と思っていたものを作り上げていて、
極めて限定された不自由な生き物なのである。

そして、どうにかして周辺から
逃れようと必死にもがき、
自分自身を切り出そうと深く抉るなら
血みどろになった自分の両手に気がつき震える。
ひとつひとつの価値観を
これは自分が欲する己れなのか、
環境が与えた思い込みなのか、
丁寧に向き合い吟味するのだ。
しかし、
もはや血となり肉となった教えは
そうそう簡単に割り切れるものではなく、
果てしない作業に途方に暮れ、
ようやく悟るのである。
むしろ、己れのおかれた境遇の
その上に次なる自分を積み上げることが
健全な精神の営みと言うべきだろう。