昨日、7月10日、日曜日に電子情報通信学会思考と言語研究会をオンライン聴講いたしました。多くの興味深い研究成果が発表されたのですが、今回は、早稲田大学 法学学術院で言語学、特に語用論がご専門の首藤佐智子先生が発表なさった「前提研究の受難と新たな道 ~ メタバース時代に前提の共有と操作を考える ~」という演題を紹介いたします(文献)。

 

昨今、メタバースがバズワードになっていることもあり、メタバースに注目しています。そこで、メタバースに関する演題ということで、この演題を聴講いたしました。

 

そうすると、首藤先生はメタバースについて言語学の語用論からアプローチしているのですが、語用論は私が関心のあるテーマになります。日頃、語用論に関する講演は聴講する機会がほとんどないので、実に興味深いものがありました。

 

この講演では、最初に演題のタイトルにある「前提」について説明なさいました。

 

哲学者、論理学者のバートランド・ラッセルが例示した文になるのですが、下記の2つの文について検討いたします。

 

1a          フランス王は禿である

1b          フランス王が存在する

 

「フランス王は禿である」という文(1a)の前提は、「フランス王が存在する」という文(1b)になります。論理学では、文(1b)が偽のときには、文(1a)も偽となります。

 

一方、「フランス王は存在する」という前提を満たしているときには、下記の文(1a)、文(1b)の真偽を判断することができます。

 

1a          フランス王は禿である

2a          フランス王は禿でない

 

次に、Stalnaker(1974)が提唱した語用論的前提について説明なさいましたが、その定義、説明は省略いたします。

 

例示を示すのが分かりやすいので、下記の2つの文を分析いたします。

 

3a          花子は歌うのをやめた。

3b          花子はそれまでは歌っていた

 

「花子は歌うのをやめた」という文(3a)の前提は、「花子はそれまでは歌っていた」という文(3b)になります。

 

更に、言語哲学が専門であるイギリス人Paul Grice(1975)が提唱した前提と慣習的推意Presupposition and conventional implicatureについて言及しています。

 

このあたりから語用論における興味深いトピックになるというか、講演の本論になります。

 

首藤先生の素晴らしいご講演の内容を紹介してもよいのですが、このブログではイントロダクションに留め、詳細は下記の文献を参照していただければ幸いです。

 

文献

首藤佐智子、前提研究の受難と新たな道 ~ メタバース時代に前提の共有と操作を考える ~、電子情報通信学会技術報告、vol. 122, no. 103, TL2022-4, 2022年7月