生命の行きつく所 | 魚のハリセンダンス

魚のハリセンダンス

ウソだらけです

どうも、午前中ちょっとバイク乗っただけで、

腕がヒリヒリ焼けたバードです。

長袖にすればよかった…。

 

で、先頃芸能関係の有名な方が、

自死されましたね。

そこでバードは思ったのです。

 

どんな生物であれ、

いかなる場合や条件であれ。

生き延びる選択をするものである。

と、思っています。

自己のDNAを残すと言う行為以外で、

死地に向かう事は無い。

親鳥がおとりになって、巣から敵の目をそらすとか。

鮭が排卵と射精をしてから死ぬとか。

まあ、それも彼らが死と言う存在を

どれほど認識しているかですが。

それは、他者には解らない事でしょう。

 

人間はちょっと違うみたいですね。

自分で死ぬ事を選びます。

そう言う事が出来るようになりました。

子孫を残すと言う生物学的ではなく。

国の為、神の為と言ういかれた理由でもなく。

自己の苦しみから解放する為に。

 

これをどう考えるか?

そう言う心の病気なのか?

それとも、生物学に進化して

人間が手に入れた能力なのか?

そして、それは正しいのか?悪いのか?

解りませんね~~~。私の脳じゃ無理みたいです。

 

ただ、安楽死と言う選択肢も存在する国がある。

宗教観や個人主義的なお国柄なら有り得る話です。

そう言う本を読みましたが。

選ぶ人の意思を尊重すると言う自分の認識を強めましたね。

 

そして、人はペットやその他の動物を安楽死させますよね。

あれには納得できない、越権行為の気がするし。

人はそれほど偉くはないでしょう。

これを正当化すると言うのなら。

人は動物を飼うと言う権利は無いと思える。

まあ、自分も今日カルビを食べましたが。

これも自分の正解を求める残りの人生だろう。

 

まあ、私の余りに混乱した仕事中に考えた事です。

私自身は自殺という行為に否定的ではありません。

おじさんやおばさんや従兄をこれで亡くしています。

この方達の行為をダメだと言う事は出来ませんね。

彼ら彼女の選んだ行為なら、

それはそれで認めると言うスタンス。

残された家族の事を考えるのを超える何かが有ると言う事で。

それは、本人しか解らないでしょうから。

私には何とも言えないですね。

ならば、それを選んだなら仕方がないと言うスタンスです。

 

あくまで私のですよ。クリスチャンでもなく。

無神論者の私の考えです。

最近、自死を含めて亡くなる人が多くてね。

ついつい忙しい仕事中に考えちゃいました。

こう言うのを考える病気を5月病って言うのかね?