毎朝届く、松原靖樹さんのメルマガ
少し前に届いたコラムですが、
私がずっと自分で持て余していたことについて書いてあったので、ご紹介したいと思います。
私が持て余していたのは
マイナス部分がわかる、ということ。
マイナス部分がわかる、ということ。
違和感の感じ方が強いというのかな。。。
わかりやすいことだと
誤字脱字、誤植などを見つける
こないだお茶会でいただいた名刺の住所間違い5秒で見つけました。
ご本人とデザイナーさんで3回くらい確認しても見つけられなかったそうで。
内面的なことでいうと
人物全体から出る「陰」のオーラみたいなものに敏感
「この人暗い」と思ったら距離を取る。
(楽しい人つまらない人、というのとはちょっと違う。楽しそうに見える人でも暗い人はいる。)
人間関係でストレス感じることがない。
言ってることとやってることが違うとか
嘘つきもわかる。見つけちゃう。
「子供が病気で」って約束キャンセルした人がよそのお茶会でてるのわかったりします。裏もとれます。気づきたくないんだけどね(笑)
全然関係ない話してても
「この人は女性同士のコミュニケーションに苦手意識がある」とか
「容姿のココにコンプレックスがある」とか
わかる。
本人に確認したわけではないけど、合ってると思う。
言ってることとやってることのズレも気になってしまう。
自分にもそれを感じる時は苦しい。
そういうことに気づいてしまう自分が
嫌で嫌で
私の僻みや嫉妬や、人の優位に立ちたいとか、ヤンキー根性で
粗探しをしてるんじゃないかって。
「自己否定に陥る」
まさにそれ。
「ブロックや心理的な不整合がない」とは言えないけど
このコラムを受け取ってから
すごく楽になったというか、「やっぱり、そうなんだ!」というか
納得して、変な力が抜けました。
私が「ダメ出し」して喜ばれる(笑)のは
強みを発揮してたってことかな。
「言いにくいことも普通のことみたいに言える」っていう、別の得意技でもあるな(笑)
以下、松原さんのメルマガより
マイナスをカウントできる、という強みがあるとする。
(実際にある)
例えば、人間関係を行うときに
その人はマイナスをカウントする。
何がどのくらいの強度のマイナスで
何がどのくらいあれば人間関係がダメになり
どのくらいなら、どの距離で維持できるかがわかる。
人との関係の絶対的な条件はなかなかよくわからないが
制約的な条件がよくわかる。
たとえば誰かと飲みにいくとか、家族旅行に行くとか
そういうこともマイナスの少ない物を選ぶ傾向にある。
楽しめるかどうかではない。
つまらなくないかどうかが判断基準になる。
強みがあるのでそれを有効に使っている。
そういう人に
「人を引き算するな、長所を見ろ」とか
「イヤなヤツがいたら飲み会に合流しないって・・・」とか
「家族と思い出を作れるところを選ぼう」とか
そういうことを言ってもはじまらない。
そういう視点は強みに反しているので
やろうとしてもなかなか上手くできない。
しかも、そういう声・・・・社会的に正しいとされている声が多くなると
その強みを持つ人は、
「こんな自分はダメだ」と自己否定に走ることになる。
自分が全然だめではない。
たまたま社会常識的なものに合わない強みをもち、
ただ自分らしく生きていたら否定された・・・という
誤認世界に生きていることが問題になったりする。
ブロックや心理的な不整合がないなら
この強みは自分を上手く運ぶために使われるべきだ。
自分を上手く運ばないところでも
この強みは使えるので、
そういうのは誤った使い方になる。
そうでなければ
「これが私の強みだ。くだらないアドバイスをするな」
と言わなくてははならない。
自分を殺すコミュニケーションを取ってはならない。
強みを使って自分を運ぶと、
多かれ少なかれこういうことが起こる。
強みを使うということは、こういうことに負けないということで
自分を生かすということは、自分を生かさない人と付き合わず
社会的常識に則らないということでもある。
その覚悟がない人に強みを使いこなせるとは到底思えない。
(実際にある)
例えば、人間関係を行うときに
その人はマイナスをカウントする。
何がどのくらいの強度のマイナスで
何がどのくらいあれば人間関係がダメになり
どのくらいなら、どの距離で維持できるかがわかる。
人との関係の絶対的な条件はなかなかよくわからないが
制約的な条件がよくわかる。
たとえば誰かと飲みにいくとか、家族旅行に行くとか
そういうこともマイナスの少ない物を選ぶ傾向にある。
楽しめるかどうかではない。
つまらなくないかどうかが判断基準になる。
強みがあるのでそれを有効に使っている。
そういう人に
「人を引き算するな、長所を見ろ」とか
「イヤなヤツがいたら飲み会に合流しないって・・・」とか
「家族と思い出を作れるところを選ぼう」とか
そういうことを言ってもはじまらない。
そういう視点は強みに反しているので
やろうとしてもなかなか上手くできない。
しかも、そういう声・・・・社会的に正しいとされている声が多くなると
その強みを持つ人は、
「こんな自分はダメだ」と自己否定に走ることになる。
自分が全然だめではない。
たまたま社会常識的なものに合わない強みをもち、
ただ自分らしく生きていたら否定された・・・という
誤認世界に生きていることが問題になったりする。
ブロックや心理的な不整合がないなら
この強みは自分を上手く運ぶために使われるべきだ。
自分を上手く運ばないところでも
この強みは使えるので、
そういうのは誤った使い方になる。
そうでなければ
「これが私の強みだ。くだらないアドバイスをするな」
と言わなくてははならない。
自分を殺すコミュニケーションを取ってはならない。
強みを使って自分を運ぶと、
多かれ少なかれこういうことが起こる。
強みを使うということは、こういうことに負けないということで
自分を生かすということは、自分を生かさない人と付き合わず
社会的常識に則らないということでもある。
その覚悟がない人に強みを使いこなせるとは到底思えない。