祖父母に一番喜ばれたことは?

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祖父母に何かしてあげたことがない。
 
母方の祖父は、私が小学校3年生の時に事故で他界するまで
年に1回の帰省で会えるのみだったけど、
宝物のような思い出をたくさんくれた。
もっと一緒の時を過ごせていたら…と悔やまれる。
 
祖父の他界後、帰省することが減り、
数年後に認知症になった祖母とは、いくつか苦い思い出があるだけ。
祖母が亡くなった時、何もしてあげたことがないことに愕然とした。
 
父方の祖父は、私が産まれる前に事故で他界していた。
祖母にも何かしてあげたことなどない。
そもそも祖母と2人で話したのは、たった1度だけ。
 
小学生の頃は、月1回程度、家族で祖母の家に行っていた。
耳が聴こえづらく、補聴器をしている祖母と会話するのは主に父。
母は隣で黙って話を聞き、私達姉妹は隣の部屋で遊んでいた。
 
中学生以降は、祖母の体調が思わしくなく、
父のみの訪問となり、あまり会った記憶がない。
 
そして、20歳前後の頃。
夜、家にかかってきた電話。
祖母の近所の人からだった。
 
親戚が訪ねて来ている、
父に会いたいそうだけど、
耳が聞こえづらい祖母とは約束を取り付けることが出来ないので、
至急、来て欲しいとの電話。
 
父は仕事で不在、母はお風呂、姉は不在。
 
社会人にはなっていたものの、
精神的にまだまだ子供だった私は呆然とした。
でも父に関することで母に相談など出来ず、
そのことに対する反発心もあり、書置きだけ残して家を出た。
 
初めて1人でタクシーに乗り、祖母の家へ。
そこにいたのは父と年齢の近そうな夫妻。
祖母ともまともに話したことがない上に、
人見知りで非社交的な私はかなり動揺していたけれど、
どうにか父への伝言を言付かる。
 
夫妻が帰って行った後、
祖母は三つ指をついて私に「ありがとうございました」と頭を下げた。
私は敬語で話すべきかタメ語で話すべきかもわからず、
どちらも不自然に思えて、曖昧な返事をした。
祖母と2人きりで対峙したのは、後にも先にもその時だけ。
祖母に会ったのはそれが最後だったろうか。
 
その後、帰宅して、母の苦々しげな言葉で、その親戚の正体を知る。
「おじいちゃんの愛人の息子や」
父に金の無心をしに来たらしかった。
 
色んなことが衝撃だった。
会ったことのない祖父はどんな人だったのか。
上品で穏やかな祖母はどんな気持ちで過ごしてきたのか。
子供の頃、自分の家族が理想の家族なんかではなかったと知った衝撃と同様に、
父の家族も、表面上だけ理想の、中身は冷たい家族だったのかと思った衝撃。
 
これが「喜ばれた」わけではないけれど、
祖母に唯一「感謝された」思い出。
 
…お題の趣旨とかけ離れすぎか。