あさたろうのブログ

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Road To 国立 →高田馬場

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こんばんは、あさたろうと申します(適当)
2014年3月10日、高校の卒業式の日、友達とボーリングをしていた僕は突然社会的な身分を失い2015年3月10日、早稲田大学政治経済学部への進学が決まるまでの365日、いわゆる「浪人生」なるものをやっておりました。

まっとうに生きてきた人なら経験することのないこの一年。
僕が一年間、何を考え、何をし、そしてそこから何を得たのかをまとめることでこのブログの締めにしたいと思います。


1 駿台入学まで
2014年の3月10日に浪人生活が始まったと書きましたが、僕の中ではもっと前から始まっていたような気がします。
一つ忘れられない記憶があります。

現役時代の一橋受験、二日目が終わって国立の駅に向かっているときのことです。
センター試験の時点で99.334%不合格は確定していたのですが、案の定二次試験もまるで歯が立ちませんでした。おまけに周りの受験生も皆とても頭が良さそうに見えて、文字通り雰囲気に圧倒されていた感じでした。

ぼく(18)(国立駅に向かいながら)「また来年、強くなってここに帰ってこよう」

高3の夏になってようやくノソノソ勉強を始めたところで間に合うわけがない。結果なぞ最初から分かりきったことでした。
それでも何とかなると思い込み続けた結果の全落ち。良くも悪くも結果は裏切らない。目の前に突き付けられた現実をただ受け入れるだけでした。

かくして無事浪人が決まり、僕がまず行ったことは現役時お世話になったクラスリーダー(大学生チューター)へのあいさつでした。
僕のCLは東京大学法学部という日本最強の学歴を持っている方でしたが、同じく駿台で一年浪人を経験していました。
そのCLから浪人生活のイロハを教えてもらいました。そこでまた忘れられない一言をかけていただきました。
CL(イケメン)「浪人は辛く苦しいものだが、それを乗り越えた先には新しい世界が見えてくるよ」

ぼく(全落ち芸人)「何言ってだこいつ」
正直何言ってるかわかりませんでした。この意味が分かるのはこれから一年後でした。

そして正式に駿台高卒クラスへの入学が決まり、オリエンテーション・教材交付を経て2014年4月14日、駿台での通常授業が始まり新たな生活が始まりました。

2 駿台での日々~授業~

かくして駿台での授業が本格的に始まり、いよいよ10か月にわたる戦いが始まったわけですが、僕が所属していたLBクラスの最初の雰囲気は想像を絶するものでした。

僕のイメージでは、浪人のクラスはみんなぱーてぃーぴーぽーみたいな感じでガヤガヤしている感じでした。
実際は、誰一人として言葉を発することなく単語帳を読むもの、寝るもの、周りをにらみつけるもの…などなどここは刑務所か!?と思わせるような環境でした。

そうした中駿台での日々が始まりました。
予備校とはいえ基本的には高校の授業と変わらず、基本的に英数国社理すべてありました。
高校と違うのは、どちらかといえば大学での授業に近いところですかね。午前中で終わる日もあれば、午後からの日もありました。

とはいえ底辺浪人生だった僕はそんなのお構いなしで毎日9時には駿着してフロアの空き教室とかで自習してました。
空き教室で思い出したのですが僕の隣のクラスにいた京大志望の彼は何してるんでしょうかね。

前期の授業は、特に英数は基礎力強化みたいなところがあり、正直そこまで難しい内容ではありませんでした。
ぼくら「こんなん簡単すぎてやる気でーへんW」
担任「それを疎かにしてたから今ここにいるんでしょ?」
ぼくら「せやな」

ただ担任の言っていたことは合っていたようで、英数の前期のテキスト、特に数学は夏休みすべてをそのテキストの復習に捧げた結果、お前誰やねんってくらい成績が伸び、気が付いたら英語より安定した科目になっていました。

中高時代常に数学は追試常連だった僕が、まさか数学が得点源になり、センターで179/200とれるとはYMZK先生も、当の本人も予想だにしていないことでした。

駿台の授業で一番好きで、毎週楽しみにしていたのは日本史でした。
もともと高校の時から日本史は得意だぜみたいな感じはあったんですが、それは単に歴史的事実のワードをたくさん覚えているだけの、表面的なうす~いものでした。それ故一橋大学で出題される論述問題にはまるで歯が立ちませんでした。

しかし駿台での日本史はそれまでの僕の考えを根底から覆すものでした。日本史は暗記科目ではなく、論理的に考える必要がある。無暗に単語だけ覚えるのではなく、歴史的事実の因果関係を把握することに重点を置いた授業はとても新鮮なものでした。

そうした駿台での経験があったからこそ、僕は日本史という科目に惹かれるようになり、現在所属している政治学科でもこれから日本政治思想史を専攻するつもりです。

以上合格体験記風に書いてみました。

3 夏休み、そして秋

そんなこんなで前期が終わり、夏休みがやってきました。

夏休みは駿台の前期授業が終わる7月第1週から8月末までのおよそ60日ほどありましたが、それが始まるにあたってクラス担任はとんでもない目標を僕らに提示しました。

夏 休 み 5 5 0 時 間 学 習

最初は何言ってだこいつって感じでしたが、かわいいので許しました。平均すると一日9時間ちょいだったのでまあいけるやろ、といった感じでした。

浪人の夏休みは前期の復習・そして基礎となる英数の土台を確立することに主眼を置きました。しかしそれはあまりにも単調な作業の繰り返しで、何度も何度も投げ出したくなるようなものでした。加えてお盆には亡くなった祖母の家の片づけなどで数日佐賀に帰省したりと、思いのほか勉強時間が伸び悩んだな、というのが率直な感想です。

それでもなんとか乗り切ることができたのも、共に毎日夜遅くまで自習室で勉強している友人、週一回は欠かさずに行っていた浜虎の存在でした。感謝感謝です><

そうして夏が過ぎ、やがて秋になりました。
現役の頃の僕も夏休みはまあそれなりに勉強していたので、その甲斐もあって9月の模試ではC判定というびっくりするような成績が出ました。(当社比)
しかし浪人の夏はそれ以上に勉強したという確信があったので、当然成績も前期よりもさらに上がっているもんだと思っていました。

しかしふたを開けてみると、それは上がるどころか前期よりも心なしか落ちている成績表でした。一応B判定だったので悲観するほどではなかったのですが、僕の中で危機感が芽生え始めました。
思いのほか現役生の伸びが早い。そうした焦りを感じつつ、後期が始まりました。

後期は何といっても模試ラッシュ。9,10月は毎週のように模試を受けていたような気がします。
このころになるとクラスのメンバーともだいぶ仲良くなっていましたが、そろそろやばくね?みたいにクラス内でも徐々に緊張感が生まれてきました。

4 駿台での日々~クラス~ 
ここで少し僕のクラスについて触れたいと思います。
僕は横浜校のLBクラス、つまり一橋大学を目指すクラスに所属していました。
クラスの人数は35人くらいで、横浜校で一番小さい6階の教室で日々を過ごしていました。内訳は8割近くが男子で、それも所謂中高一貫の進学校出身の奴が多かったため、どことなくお互い似たようなところを感じ取ったのか、他校の人とも6月くらいには普通に話すようになっていました。

この環境には本当に恵まれたと感じています。ほかのフロアとかを覗いてみると、クソでかい教室に人がぱんぱんに押し込められ、静まり返った様子が見受けられました。(主に理系のクラスで)その点僕のクラスは割とみんな仲良く、それでいてやるときはしっかりとやり、しゃべるときはとことんしゃべるメンバーでした。 

僕が現役生の頃、自習室の前の廊下であったり階段で無限に駄弁ってる浪人生というのをよく目にしました。
ぼく(17)「こんなゴミ浪人生にはならない。俺はひたすら勉強するんだ」
ぼく(18)「wwwwwwww」(廊下での雑談時間30分経過)

当然周りから見たらこのゴミ浪人いつまでしゃべってんだよって見られていたんだと思いますし、僕自身、まさか自分もこうなるとは思っていませんでした。
それでもあの雑談に費やした時間には後悔していません。本当に一生懸命勉強している仲間同士だからこそ、いろんなことを話すこともできるし、何よりその時間だけが駿台にいて心休まるときでした。

僕にとってあの一年は62号教室がすべてでした。なにせ所属しているコミュニティーがあの小さい教室だけだったので、その中の愉快な奴らと一年間一緒に勉強し、笑い、話したことは決して忘れません。

5 季節は冬へ
模試ラッシュの秋を何とか乗り越え、現役生の猛追から何とか逃げているうちに冬が近づいてきました。この頃になるとだいぶ成績も安定してくるようになりました。(大体B判定くらいでした)

11月、そして12月になるとついに通常授業が終わり、いよいよセンター、という季節になります。

僕はマーク模試、つまりセンター式の問題がとにかく苦手でした。特に一番嫌いであり鬼門だった地学。やれどもやれども一向に70点すら取れず、焦り以外の感情を失っていました。
冬はいったん普段の勉強はお休みし、ひたすらセンター対策の日々です。毎日英語やら数学やら地理やらのセンターの黒い本をせっせとこなし続ける日々。中々にこの時期もしんどかったです。なにせセンター試験である程度国立の選択肢であったり結果が占われてしまうのです。

そうしている内に年が明け、すぐにその日はやってきました。

6 二回目のセンター試験
2015年1月17日・18日、ついにその時はやってきました。会場は東京都市大学。

一年前の自分とは違う姿を見せつける最初の勝負でした。

しかし…

結果は自分の想定とは50点ほど届かない結果に終わりました。惨敗です。(詳細は前記事で)
目の前が真っ暗になりました。意を決してずっと憧れていた一橋にもう一度出願するのか、夢をあきらめて安全策をとるのか…その日悩み続けました。

翌日は登校日となっていて、駿台で所謂センターリサーチを提出しました。僕の友人たちの中でも当然一番低い点数で、(アカン)って感じでした。
その後クラス担任との面接があり、どこに出願するかの相談をしました。その末の結論は…

一橋に出願するという予定通りのものでした。お前の二次力なら絶対逆転できる!そう担任に背中を押されました。

もう逃げない。最後まで前を見続けるという強い気持ちを持って、僕は最後の戦いに挑みました。

7 2度目の挑戦
そんなこんなで2月になりました。ここまでくるとひたすら国立。私立の過去問を解き続ける日々です。
心なしか僕の中のもやもやした気持ちも吹っ飛び、ただゴールを目指して突っ走ってたのを覚えています。
(私立については他記事参照)

私立が終わり、去年とは異なり合格を手にしたうえで本番がやってきました。

2015年2月25日、一橋大学二次試験初日
もはややり残したことはない。そう思いながら僕は国立駅に一年ぶりに帰ってきました。
そして席に着くと、去年とは全く異なる光景が目の前に広がっていました。

周りの受験生がみんなたいしたことない連中に見えたのです。(実際は大半が僕よりセンターとってます)
もう怖いものなんてない!そう思いながら、僕は一年間地道に積み上げてきたものを解答用紙にぶつけました。

翌日、日本史が終わった段階で僕の2度目の受験は終わりました。やりきった。国立駅に向かいながら、長い一年間の疲労からすべて解放された僕は、大きな達成感を抱いていました。

自分のできることはすべてやった。これで落ちたならそれはもうひとえに自分の努力不足。
去年の自分とは違う自分がそこにはいたような気がします。

その2日後、2月28日、正午。
僕は私立の第一志望であった早稲田大学政治経済学部に合格し、残るは一橋の結果を待つだけとなりました。

そして、運命の日。
ちょうど一年前はボーリング中でした。今年は静かにその時を待ちました。
そして、10時になってHPを見ました。

番号は…ありませんでした。
その結果を目にした僕は、本当に悔しくて泣きそうになりました。しかし、すぐに受け入れることが出来ました。その裏には、ここまで自分が積み上げてきた努力であり、自信があり、これでも届かないならもう何回受けてもダメだろう、と感じました。

去年は同じクラスの連中の合格に腹が立っていましたが、今年はともに苦楽を共にした友人の合格を心から喜ぶことができ、惜しくも届かなかった、僕と同じ立場の友人の気持ちもしっかりと理解することが出来ました。

その日のうちにこれから進学することになる早稲田大学に家族で行き、新しい学び舎である3号館を目の当たりにしました。
病気と闘っていた祖父にも報告し、本当に喜んでくれました。なんとか亡くなる前に間に合わせることができてよかったです。

8 その後…
すべての受験を終え、進学先も決まった僕は駿台にあいさつに行きました。一年間、本当に様々な面でお世話になったクラス担任と、僕のゴミみたいな論述をいつもいつも添削してくれた日本史の先生に最後にお礼を言いました。

二人とも僕が合格できなかったことに対して本当に悔しそうにしていましたが、当の本人はすべてを出し切った表情だったので、早稲田に行くことを喜んでくれ、恒例の写真撮影をしました。

これをもって僕の2回目の受験は全日程終了し、また浪人生活も終わりました。

思えばあっという間の一年間でした。そろそろお前いつまで書いてんねんみたいな感じになるので締めたいと思います。

この一年は僕にとってまさに転機となる年でした。高校生でも大学生でもない、ちょうどその狭間で過ごした一年。

浪人が始まった当初は自分のふがいなさ、そして高校同期のLINEテロ(意味深)などでメンタルを抉られる日々が続き、本当にこの生活に終わりは見えるのだろうかと感じていました。

浪人したところで成績が上がる保証はない。それでも僕は後がなかったので、4月からひたすら勉強し続け、2月までの10か月間突っ走りました。

そうした過程で得ることができたたくさんのものはかけがえのない財産になりました。
一緒に夢を追いかけた友人、苦しみに苦しんだ末に得た合格、自信、粘り強さ、謎メンタル…

今日、全国的にも浪人生の数はどんどん減り続け、僕の時は10%くらいだったようです。
高校生が安定志向をとるようになり、現役で受かったところに行くようになったらしいです。本当にもったいいないなあって思います。僕はそもそも全落ちで自動的に浪人することになったので何も言えないですが、現役での結果に納得できないならもう一回くらい挑戦してもいいんじゃないかなあって思います。

何も一年大学に進学するのが遅くなったからといってそこまでデメリットにはならないですし、
「一年浪人したなら、一年人より長生きすればいい」
これは某先生が言っていたことですが、本当にその通りだと思います。

二回挑戦してダメならもう諦めがつくし、何より進学先でもつらいことがあっても、浪人していた時のことを思えばたいていのことは乗り切ることができます。


これから先の人生何があるかは全く分かりません。でも、大人になって思い出す若かれし頃の記憶の中で、確かに18歳の一年は残り続けるであろうと持っています。

以上が、二年前に経験した僕の浪人時代のすべてです。
ありがとうございました。
前回の続きです。

今回は予備校の日常について書きたいと思います。

~とある浪人生、Hくん(18)のある日~
7:00 起床
8:00 登校(電車の中でまとめサイトをチェック)
9:00~12:20 駿台着、授業開始
12:20~13:00 昼食
13:00 ~15:30 授業
15:40 授業終了、個別自習室へ(荷物だけおいて廊下へ)
15:40~16:00 自習室の廊下で友人と雑談
16:00~19:00 自習室でその日の授業の復習、問題集など
19:00 下校(電車の中でなんjをチェック)
20:00 帰宅、夕食、風呂、野球観戦(テレビ)
23:00 就寝

とまあこんな感じです。ちなみに脚色抜きです。
浪人生とはいえそこまで勉強してるわけではないんですね。
これは夏前の日常なので、夏休みを見てみましょう!

~夏休みのある日~
7:00 起床
8:00 登校(電車の中で単語帳)
9:00 駿台着
12:00~12:25 弁当(時々浜虎)
12:30~14:00 自習
14:00~14:30 昼寝@自習室
14:30~17:00 自習
17:00~17:20 お散歩(結構大事!)
17:20~19:30 自習、おしまい
20:30 帰宅、以下略
23:30 就寝

僕の夏休みの手帳に書いてあったある日の様子です。大体こんな感じでした。

通常授業がある時期は、基本的には授業の予習復習がメインでした。しばらくすると授業を切り始める人が出てきましたが僕はそんな余裕がなかったので全部出ました。(たぶん)(チリ以外)

クラスは大体35人くらいの小さい教室で、後ろには模試の成績優秀者が張り出されていました。
(僕は割と載ってました。特に日本史だけはお隣の東大クラスの奴らと張り合ってました)

女子はそのうち6人くらいで、残りはほとんどが男子校出身でした。
A野、S光、E光、Sジオ、T蔭、K東 などなど…

クラスで一番かわいかったのはクラス担任です。(!?)
担任にほめてもらうために勉強してたみたいなところはある(18)

なんか書くこと思い出したら追記しますね。

追記:
  
   3.浪人生活で得たものとは!?

これが本題です。

1.やればできるんだという自信

僕は浪人生には2パターンあると思っています。
1つには、現役時代に既に学力が完成していたが、あと少し足りず落ちて浪人した人。
こうした人は、早慶を蹴って東大や京大を目指す人が多いです。LAですね。

もう1つは、現役時代勉強しているのかしていないのかよくわからず、何とかなると思ったがそんなことはなくあえなく浪人したザコ。僕のことです。
僕のクラスはこんなんばかりでした。なにせ、現役時代に早慶に受かった人がいなかったんですからwwww

上のパターンの人は、そもそもなんで落ちたの?ってレベルの人なので、5月の模試から冊子とかに載っていました。
そんな彼らにも悩みはあったと思います。俺は知っている!
最初からいい成績なので、一年間その成績を維持しなきゃいけないわけです。つまり、勉強してももうあまり伸びしろが残っていないので、気持ちを切らさないようにする必要があるんです。
これは思った以上に大変だと思います。知らんけど。

で、大半のクソ浪人は下のパターンですね。
こうした奴らは、根が不真面目なので勉強する習慣を作るまでが大変ですが、予備校に通えばそのうち習慣化してきます。
するとあら不思議!みるみる成績が上がるではありませんか!
僕自身も、現役時代はE判定製造機だったのが、5月の模試でいきなりBをたたき出し、7月にはなんとA判定をたたき出しました。

もちろん現役生がまだ雑魚ってのもありますが、これはなんの楽しみもない無職奴には本当に励みになるんですよ。

「なんだ、俺ってやればできるじゃんwもっとがんばろw」

秋以降はやはり現役が伸びてくるため成績が停滞気味になるのはご愛敬として、
つまり、自信がつくんですよね。

俺って勉強全然できないと思ってたけど、こんなにも勉強することができたのか!って思えるんです。一度本気になった経験を持つ人間はその後も強いと思います。

2.挫折
僕のイメージですが、僕のクラスは大半が中高一貫の進学校だったような気がします。ということは、中学に入った段階ではそれなりに順風満帆な出だしだったのでしょう。
しかしどこかで歯車が狂い始め、約束された道から外れ始める。高校を卒業した時には昔自分より下だった奴に抜かれまくる。
ひとえに自分のせいなのは間違いないですが、そうはいってもショックは大きいですよね。立派な挫折ですね。失意の中新しい日々が始まった人もあのクラスにはいたのではないでしょうか。(僕はそこまででした)

とはいえ、最近人生でコケたことがないまま大人になり、そこでうまくいかず挫折すると立ち直ることができないほど落胆し、鬱などの病気になってしまうエリート官僚のニュースをたまに耳にします。彼らは開成→東大→官僚と一度も失敗することなくそこまでやってきたのでしょう。しかし官僚になったら周りもそうしたスーパーエリートばかりなんです。そこで成功できる保証などない。挫折もありうる。

そうしたニュースを聞くたび、挫折した経験というのは後々活きてくるのだなあと痛感させられます。それも大人になる前、18の夏を勉強に捧げるというのはこれ以上ないものになるでしょう。

僕の小学校時代の友人(A布)も、中学受験は灘まで含め全勝でしたが、中高で堕落し一度目の大学受験は全敗。初めて危機感を感じ、一生懸命勉強して兄弟に合格しました。

彼曰く、「俺浪人してよかったわ。成績を上げるのがこうも大変なのかと、地獄を見た」

つまり、これからの人生どうなるかは検討もつかないけれど、少なくとも浪人時代をはるかに凌駕するようなつらい経験なんてものは滅多にお目にかかることができないし、大概のつらい出来事は自分が予備校でもがいていた時期を思い出せば乗り切れると僕は信じています。たぶん。

3.苦労したその先に見えるもの

浪人生活って、本当につらいんです。同級生が大学へと進学する中、自分はいまだに受験勉強をやっている…そんな自分が不甲斐ないと何度も思いました。

生活に慣れてきて、予備校に行くのは苦にならなくなってきても、自分は果たして合格できるのか?全くゴールが見えないんです。
そんな中でも毎日勉強を続ける必要がある。それが報われるとは限らない。

僕自身も、箸にも棒にもかからない状態からスタートし、一年間やれるだけのことはやりましたが、肝心の第一志望には届きませんでした。

それでも、僕はこの一年は人生で一番充実していた時期だったと思います。今でも。
人生で初めて、何か一つの目標に向かってひたすら勉強し、友人と競い合い、駄弁り(?)、といった経験すべてが僕の中で生きる糧になりました。

大げさかもしれないですが、僕は遠回りして本当によかったと思います。

前に述べた、現役の時に早稲田政経に落ちてよかったとは、
もしあの時もう一問記号を合わせて合格していたら、おそらく僕は「なんだ、この程度の勉強で早稲田政経受かるやんけww」とか調子に乗って、大した苦労もせず人生を舐めきってたはずです。

それよか、一年間血を吐くまで勉強し、(実際は吐いてません)やっとの思いでつかみ取った合格にはそれ以上の価値があると思います。


ちょっと今日は疲れたのでこの辺にしときます。
もうちょっと書きたいことがあるのですがまた今度書きます。

長文失礼しました。
どうもこんばんは、ご無沙汰してます。

このブログを書くのは1年4か月ぶりくらいになりますかね。

まあ今更いうことでもないと思いますが、高1で一橋を夢見た少年(15)は4年後、紆余曲折を経て早稲田大学政治経済学部に進学することとなりました。

2年前は雨の日も雪の日も朝7時には起きて駿台に行っていたんですが、今やもう3限からでもはえーよ!4限からでちょうどいい!ってなるくらいには堕落しました。

とまあ今のことは別にどうでもいいのですが、ふと浪人時代の思い出や、そこから得たことを思い出し、文にしてみようかな、って思ったんです。

しばしお付き合いいただければ幸いです。

    1.そもそもお前なんで浪人したの?

A.受けたところ全部落ちて予備校しか僕を受け入れてくれるところがなかったからです

元々理科が心の底から嫌いだった僕は、漫然とまあ文系に行くんだろうなあとか思ってました。
東大はそもそも無理だろうから、じゃあその下の一橋を目指そう!っていうとても安直な決め方でした。今思えば、あの時もっと真剣に自分の目指すべき道を考えればまた結果も変わっていたのかもしれませんが、まあ無理やろなあ(諦

そんな感じでテキトーに志望校を決めたもんですからそこまで何が何でも一橋に行きたいってわけでもなかったし、僕の高校は結構早慶に行ってる人が多かったんで、今の成績では到底早慶もうかりゃしないけどなんやかんやでどっか行くんだろ、って思ってました。高3になっても。

何とかなりませんでした。(完)

いや~すがすがしい落ちっぷりでしたねwかすりもしませんでしたねwww

一橋はあと47点、ケイケイに至ってはあと183点wwwwwwwwwww
強いて言うならば今僕が通っている早稲田政経は合格まで1,2点っていうところだったんですが、今となっては落ちてよかったと思ってます。理由は後述。

    2.浪人生活ってどんな感じなの?

華麗に全落ちをキメ、18歳にして職なし学歴なしなんもなし状態になってしまった僕は、失意の中現役時から通っていた駿台横浜校の高卒クラスに入りました。

正直、僕は予備校で友達をつくる気はあまりありませんでした。
浪人するにあたって色々なインターネットのブログであったり記事であったりを見て、予備校で友達をつくると最初こそお互い頑張ろう!と誓って勉強に励むものの、徐々に傷の舐めあいをはじめ、結果的には共倒れしてしまうパターンになりがちということを知った僕は、身近に浪人した人があまりいなかったこともあって一人で黙々と勉強するぞ!!!って4月の初めに固く心に誓いました。

無理でした。

いざ駿台のオリエンテーションに行ってみると、高校時代そんなに話したことがない同じ高校の人が何人かいて、偶然にもこんなところで再開しちゃいました。
最初のうちは彼らと一緒に弁当とか食べていたんですけど、徐々に他校の友達ができ始めたんです。

僕の場合は、忘れもしない2週目の日本史の時間。
世界史組が自習のため教室を出て、日本史組10人ほどが残されました。
12月には授業前クソ騒いでた奴らでしたが、4月の最初の空気は凄まじかったですw

後ろの席でブスっとしてるやつ、一問一答を熟読してるやつ、寝てるやつ、など様々。

みんな落ちたショックからまだ立ち直れていない感じでした。まあしょうがないよね。

そんな中最前列でたまたま隣にいたやつが僕の最初の他校の友人でした。
友「学校どこっすか?w」
僕「ASANOっすww」
友「俺○○ジオwwwよろしくw」

それが彼との出会いでした。ちなみに、彼は慶応に進学して今でも連絡を取り合っています。
浪人して得られたものの一つに、高校とはまた別の友人を得られたことがあると思います。

高校の友人とは違い、予備校の友人は基本的にみな志望校は同じです。僕のクラスは一橋クラスだったので特にそうでした。やっぱり同じ志を持ち、落ちた経験を共有している人ってのはどこか共感できるところがあるんだと思います。

加えて、出会った環境がかなり特殊なところってのもあると思います。
予備校の高卒クラスにいる以上、全員が一度ないし二度()失敗した経験を持っており、浪人という社会的に最底辺の立場にいるわけです。そうした本当につらい状況を知っていて、共有してきたわけです。(もちろん闇を抱えたままの人もいました。某進学校出身が足かせになっちゃったり。でも、そうした人も高校で知り合ってればひょっとしたら仲良くなってたかもしれないですがw)

そうした友人は本当に大切だと思います。なんの保証もされていない、ただ勉強するだけの日々を知っている友人ってのは高校や大学では中々得られないんじゃないかな。

もちろん浪人のことを完全に肯定しているわけではありません。現役で行くに越したことはないです。もしかしたら、どこか自分の中で浪人生活という本当ならする必要のない無為な一年を正当化しようとしているのかもしれませんね。

ちょっと脱線しましたが、要するに僕の場合は授業が始まってものの一週間で友達ができてしまいましたww意思弱すぎwww

でも今振り返ってみると、あの時の友人とは今でも付き合いがあるし、つらかった浪人時代も今では思い出話に昇華したしこれでよかったんだって思います。

日々の生活のことをなんも書いてなかったンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


続きます