毎年8月になると、終戦記念日を頂点に
第二次世界大戦や原爆に関する報道が増えます。

“遠い過去だったはずの戦争”が
“過去ではない”現実を突きつけられた今年、

それらの報道い、これまでにない厚みと
焦燥感を感じたのは私だけではないはず。

 


中でも私が今年一番ガツンと来たのが、
8/8(月)の午後10時から放送された
NHKスペシャル「そして、学徒は戦場へ」でした。

 

 


昭和18(1943)年10月21日の
いわゆる「学徒出陣」に至る経緯
(なぜそうなったのか)を辿った
ドキュメンタリーです。


20歳にも満たない若者たちを戦場に
送り出してしまったのは、
政府の責任はもちろん、

市井のひとり一人だったかもしれない。

 


そして同じことが二度と起こらないとは
言えないんじゃないか。

 

そう突き付けられたような

気がしたんです。

 





今日も“根っこを掘り出す”堀美和子のブログに
お越しくださり、ありがとうございます。
あなたに感謝ですっ!





私がドキッとしたのは、

「学徒の出陣は当たり前だ」
と思っていた元女子学生さんが
述懐するシーン。


その人は1943(昭和18)年10月21日に
明治神宮外苑競技場で行われた
「出陣学徒壮行会」の会場におられた。


(出陣学徒壮行会 Wikipediaより)



会場で銃を持って行進する学徒を見て
ふと気づいたことがある、と。


「この人たちは戦争に行って、
 戦死して戻って来ない、と
 その時感じた」

「これが現実なんだって」

 


  


「群衆っていうのは

 何かに動かされて
 とんでもないことを

 しちゃうものだと
 それ以来思ってます」

「若い学生たちを

 納得させた“装置”に

 使われたんだと思うと悔しい」



元学徒でご存命の方も、

(当時は)自分は『のけ者』には
 なりたくない。

 (戦争に行かなければ)
 もう日本人として認められない。
 生きてられないですよ」
と。



ご存知のとおり、
当時の高等教育機関に在籍する学生たちは、

「国の未来を担う存在」として
徴兵を猶予されていました。

各国立大学(当時は帝国大学)の
学長たちも、学生を戦地に送ることに
一致団結して反対していた。



それが、東条内閣成立の辺りから、
世相が戦時色一色になっていくにつれ、

~例えば、市電の車掌を女子学生が
 務めねばならないほど人手が不足していた~

当の学生たちも、周囲も、
戦地に赴かないのはいかがなものか、
と思うようになっていった。


(東條内閣 Wikipediaより)



繰り上げ卒業の答辞を分析していた
京都大学の西山伸教授が、

「学生たちは若干傍観者的な位置にいたものが、
 もうそうではないと。

 むしろ一つの核となって
 その団結の中心となる、学生たちが。
 傍観者はいないんだ」

と言うように、
「誰も傍観者はいなかった」。



当時、一般市民に知らせられたのは
政府の一方的な情報だけだったとはいえ、


鵜呑みにして、
本当にそうなのかを
一人ひとりが自分の頭で

考えようとしなかった結果が、

あの学徒出陣であり、
戦争だったのかもしれない。






壮行会で答辞を読み上げた元学徒の方(故人)が

「今考えると

 それは間違いだったってことは
 はっきりしたけど、その当時は
 そんなことは分からないんだよ」


と語っていたように、

 

同じことは十分、

今でも起こりうる。


これだけ多種多様な情報がある今だとしても。



あの頃と違って、
情報へのアクセスには事欠かないけれど、

それだけ逆に“情報操作”に遭いやすく
なっているかもしれないし、

自分に心地よい情報に
引っ張られるかもしれない。


 

 


日常の選択の一つひとつを
疎かにすることなく、
しっかりと自分の頭で考え
必要なら発信していくことの大事さ。

 

 


77年前に生きた方々から託された
使命のように思いました。





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