読まずに、どう読むか?(2023/6/4) | 梶山牧師のブログ

梶山牧師のブログ

中学一年の時に母親自死の後、
父親や学校、社会に反発する少年時代を送る。
外車輸入車ディーラーを経たのち
神に仕える者となった男、梶山直樹
移りゆく現代社会を牧師という視点から綴る。

 日本は世界的に教育水準が高い国だ。識字率は99%。現代の世界教育水準からだと14位だそう。

 

受験の為の学問と言われている日本だが、それは必ずしも悪い面ばかりではない。暗記、歴史、読解、計算、その他含めて大切なことが日本の教育に含まれている。しかし、人間として大人になるための責任や成熟に向けてと言うより、自分が理解し、徳が得られ、自分が高められるための学びなのである。あくまでも、自分が中心なのだ。

 

R・マルホーランドJr師は、これを「自分の支配下に置くため」であると言った。さて、聖書を理解していく時も、実にこの点がド、ストライクだ。

 

自分の認知度、合理性、損得など、自分の目的や問題に対して、分析し構成し統合し消費するのだと著者は重ねて言う。なるほど、自分の環境下で聖書箇所にどのように関わるかを自分で決め、自分の人生に与える影響も自分で調整できると言うのだ。

 

であるから、聖書がいう内容も自分で調整し、自分で決定しているのだ。また、アダムとエバ以来神に反逆してきた我々人間の本質がそうさせる、とも言える。これらの側面で共通するのは神が不在であるという価値観と視点である。

 

また、どうやらこのような邪悪な背景には個人的な状況下だけでなく、国家的な風習や時代の流れ、日本人特有の文化的な要素、悪しき力も絡まっているのではなないだろか?私たちは「自分の支配下におく学び」から抜け出し、神が何と語っているだろうか?神がどのように見ているだろうか?今週、もう一度チャレンジしていただきたい。自分の支配下から抜け出せなくても大丈夫だ。主が必ずふるわれるから。

 

参照「神のことばによって形造られる」

(M・ロバート・マルホーランド著・中村佐知訳)