毎日のニュースと福音の切迫(2022/4/17) | 梶山牧師のブログ

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中学一年の時に母親自死の後、
父親や学校、社会に反発する少年時代を送る。
外車輸入車ディーラーを経たのち
神に仕える者となった男、梶山直樹
移りゆく現代社会を牧師という視点から綴る。

 日々のTV、新聞、Webのニュースが戦争かコロナ関連のものばかりだ。ニュース(NEWS)は東西南北の4つの英単語頭文字をとってニュースとも言われる。巷で最も新鮮な情報がニュースだ。辞書には「まだ、一般には知られていない新しい出来事や報道、情報」とある。よく新橋駅前などで号外なる新聞を無料で配っているシーンが見られる。また、ニュースとは、NEW(新しい)の複数形からできた言葉とも言われるが、人類で最も大切なニュース、NEWSが我々が聞いて受け取ったイエス・キリストの福音だ。

 

キリストが人類の罪の身代わりとして十字架に架かって下さったこと。墓に葬られよみがえられたこと。そして、復活された後に多くの人に現れたことだ(Ⅰコリント15:3~5)。この福音といわれるニュースは、常に緊急性があり、普遍的、預言的、現在的だ。

 

「終わりの時」という言葉が聖書の書簡に度々出てくるが、21世紀を生きる我々にとって、今はどれぐらい切迫している「終わりの時」と言えるだろうか?この福音のニュースこそ一人でも多くの人たちに届いていくことが教会にとっての急務だ。私たちの成熟や学びや祈りも大切である。しかし、教会が最優先にしなければならない事は、この福音のニュースをどう持ち運び、一人でも多くの人に届けることが出来るか?と言う事だ。サタンは教会に大切ではないことに時間と労力を意識させることに成功しているかもしれない。イスラエルの民が神を優先にしなかった際、敵に侵略され神からの呪いを受けたように、私たちも主の御思いを後回しすることは自らを失われた存在にしてしまうのだ。